連休が終わって 現場の先生方は疲れがどばっという感じで申し訳ないですが。
いまこのブログをみていただく方は、そんなことなかば「うそやん」と思われるかもしれませんが、ほんとうに
教師生活は90%といっていいくらいとても楽しくわくわくするものでした。もちろん、子ども達とのいろんなことが楽しい
ことの第一ですが…けど
大体こんな具合
4月は 新鮮わくわく 職場で歓迎会がありますよね。新しい先生と飲みながら語らいながら…
それと組合での新歓行事というのもあります。これもハイキングであったり、飯盒すいさん的なものであったり
5月 ゴールデンウイークのあと 支部の新歓行事で 青年部で。河島英吾さんに着て歌ってもらったりケーキ
つくったりてなこともありました。大体中学では 中間テストがあり、テスト作成採点は大変だけど。少し
ほっとできるひとときでもあります。ゴールデンウィークは部活動の春季大会などもあるのですが、こどもたち
が一生懸命とりくむ姿はかけがえのない感動です。
6月には 京都新歓というのがあってこの時期は500人~600人規模で 若いものばかりが大体、職場も20代が主流でしたしね。
飲んで歌って踊って… 当時の人気の実践家 三上満さんや坂本光男さんなどの話も聞いて「教育はロマン」
そしてこの時期蛍も夜舞い始めます。 蛍の光にノスタルジアを感じながら… ロマンチックですなあ。
私が所属していた京都生活指導研究協議会の合宿研が亀岡湯ノ花温泉で有楽荘だったかな。
そこには200人位の兵が集って ほぼ朝から晩まで こどものことを語り会うのです。刺激的で 熱くて
「よし、また頑張るぞ」て。
7月 エアコンがない学校は熱くて大変でしたが、それでも…今に比べると 涼しい涼しい。
もうすぐ夏休みだぞ。あとひとふんばり。夏の計画をたてるのです。それでわくわく。
夏休みの最初に夏季大会があります。こどもたちとひとつになって。最後は「涙」「感動」青春をもらいます。
けど、私らの時代の夏休みは、ほんまに毎日が夏休み。職場にもしばられないし、教師は「自主的な研修こそ大事やで」
と 民間研へ参加したり、本を読んだり… 管理職なんかは「何もないのに学校来てどうするねん」と「教師には自宅
研修権があるんやぞ」と言ってました。
8月 旅行や温泉もかねて 全生研大会他いくつかの民間研に参加しました。教師生活のなかで全生研大会で
ほぼ全国半分以上の都道府県を旅しましたね。温泉つきで 食事も豪華で。 日本全国で足を運んでないのは、
山形 茨城 栃木 くらいかな。あとは。
お盆がすぎると ようやく… それでも職員旅行があって無礼講。校長も教頭もない(笑)ヘッタクレ。
職員研修も。二日酔いで。(笑) けど、中身は濃い。
生徒たちの2学期の体育祭や文化祭へむけのリーダー研修会もおこなった。
9月 こどもたちはもちろん、教師にとっても懸命な体育祭がおこなわれる。毎日毎日話し合いを積み重ね教師もひとつに
なってつくる行事はみんなが「ひとつ」になる。
そして行事がおわれば、「お疲れさん」会で。思いを語りあう。苦労も多いが、感動はもっともっと多い。
10月 組合教研が支部での教研から始まる。「教研へ行くことは教師の生命線」最初の時期は「出張参加」であったが
それが「専免」になり、それもなくなったが、支部の教研も多くのレポート実践が報告され、京都教研は各地域持ち回りで
丹後・宮津・舞鶴などでおこなわれたときは泊をともなって旅気分だった。全体会もいまとは違って実践家が講演し、
1000人以上の参加者があり、夜は各支部の交流会がおこなわれスタンツ・歌・踊りなど大いに盛り上がった。
11月 京生研合宿がおこなわれる。ここにも100人以上が参加。熱き議論が繰り広げられました。
12月 なんといっても忘年会。多忙な2学期をやりきったあ。よく頑張ったなあ。とみんなで讃えあいます。
若い頃は 終業式の日の夜どこへいってもいろんな学校の先生と出会うということがよくありました。
そしてこの時期教育センターの研究会もありました。若い時期にベテランの研究者から学ぶことができる機会
でよく参加しました。
冬休みは年末年始1週間ほどはゆっくりできるのですが、緊張がとけてかよく風邪をひいたり体調を崩すことが
ありました。(笑)せっかくの休みなのにね。
1月 全体ではありませんが、学年単位で「新年会」がおこなわれます。
また年度当初には全生研の近畿地区学校が泊を伴って開催され実践レポートをもってよく参加しました。
2月 あまり特に2月はこれといってなかったかな。
3月 1年のしめくくりですね。学年末。事務作業もいろいろありますが、1年間すごしたこどもたちとの時間を惜しみます。
送別会ともに同じ時間をすごした先生方との別れも大切な時間です。
こうやってふりかえるとよく飲み食べ学び学校の宴会も含めて、実践以外のいろんなイベント企画が目白押しでした。
これ以外にもほぼ1~2か月に1回の地域でのサークル学習会。組合の会議などもありました。
学校現場も朝7時半ごろから平均して8時ごろまでいましたし、土日のどちらかは部活動をしていました。また今以上に生徒指導の問題行動もあり、家庭訪問などもほぼ毎日おこなっていました。
これだけ忙しいのに「なんで」と組合も学習会もと思われるかもしれませんが、主体的に学ぼうとしたからこそ楽しくわくわくと実践できたんだと思います。勤務校の先生からもいろんなアドバイスやサポートをしてもらいましたが、他の困難な学校の先生はまた違う視点でいろんな学びがあります。飲んで語って。それらがすべてエネルギーになっていったのです。
そして何より現場の実践もだれかに言われて実践する。歩調を合わせるというようなものでなく「子どもたちの最善の利益のために」やりたいことを思いきってやる。これが保障されていたんだと思います。
何事も「主体的に」「自分のやりたいことを」そして何よりも学校という狭い「空間」のなかだけで頑張っていたら実践は「窒息」してしまう危険があるのです。教師は外に出ること。遊びでもなんでもいいのです。自分のやりたいことをやればこそエネルギーもわいてくるものです。
そして遊びでも学びでもそういう自分の感じたこと学んだことを実践に生かしていくこと。それが大切です。