身体のなかに憲法が沁みついている。

 

ぼくが生まれた1958年~1978年までずっと京都府庁にはこの垂れ幕が掲げられていた。

そしていつも虎さんは暮らしのなかに憲法を生かすことをいつも語りかかけてくれた。そしてポケット憲法というやつが府民に配られていた。

 

「中村哲という希望」 日本国憲法を実行した男

「よく憲法改正が話題になりますが、私が言うのは、憲法改正の投票は、日本がアメリカ合衆国の51番目の州になるかどうか、国民投票で決めてからにしてくれ ……と。(笑)」

「あれだけの犠牲を払ってた上でつくられたものだから、一つの成果じゃないかと思います。それを守らずして、国を守るもないですよね。だから、それこそ憲法というのは、国の掟、法の親玉みたいなものじゃないですかね。憲法をあやふやにして、国家をどうのこうのいうのはおかしい。それで靖国の英霊をどうのこうのいうのは、結局彼らをテロリストにしちゃうんですよね。

日本国憲法というのは、本当は戦争の犠牲の上にできたものですよ。それを改憲という人はコケにしたんだ。道徳的な心棒もそれでなくなっていく。非常にわるいですよね」

 これが中村哲さんの憲法に対する考えである。

平和を阻害するものについてははっきりと闘わなくてはいけない。ということを中村さんは強く行っています。

戦わないために闘うんです。

 

戦争をやめよう。という人はいっぱいいるんだけれども、平和を目の前でつくった人はいないんですよ。それを干ばつという自然との闘いのなかで、つまり三度の飯をちゃんと食べて、家族と一緒に住めるという状況をつくるっていうことが、これが平和なんだよ。っていうことで。平和を具体的に現実としてつくったということですごく説得力があって。

 

僕はね(中村さん)憲法9条なんて特に意識したことはなかった。でもね。むこう(アフガニスタン)に行って9条がバックボーンとして僕らの活動をそ添えてくれている。これが我々を守ってきてくれたんだなという実感がありますよ。身体で感じた想いですよ。」

「憲法はご先祖さまの血と汗によってできた一つの記念塔であり、「平和憲法は世界の範たる理想」である。

それは日本国民を鼓舞する道義的力の源泉でなくてはならない。それが憲法というものであり、国家の礎である。祖先と先輩たちが、血と汗を流し、幾多の試行錯誤を経て獲得した成果を古臭い非現実的な精神主義と嘲笑し、日本の魂を売り渡してはならない。戦争以上の努力を傾けて平和を守れ。」

アフガニスタンで

砂漠が緑野に変ずる奇跡をみて、天の恵みを実感できるのは、我々の役得だ。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に。はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そしてこれが平和の基礎である。

中村哲さんの思想から学びながら憲法記念日の朝 憲法の思いを新たにした。

 

 

 

 

 

憲法がおしつけられたという輩の人々は、どうして軍事基地が現に独立国日本に沖縄におしつけられているということに怒りを

もたないのだろうか。この一点をもってしても。改憲論は破綻していると私は思っている。