青木 理 安田浩一 著 講談社+α 新書 より
野中広務さんの沖縄への思い
翁長雄志元沖縄県知事 沖縄に過重な米軍基地負担をおしつけている構図は今も昔も基本的に変わりません。
戦後一貫してそうだったけど、かつての自民党政治は沖縄に過重な負担をおしつけていることへの自責
の念をかろうじて抱いていた。特に戦争体験世代は、沖縄が強いられた凄惨な歴史への知識と
贖罪意識をそれなりに共有していた。
野中氏「すまん、翁長くん。申し訳ないが、よろしく頼む」と深々と頭を下げた。
後藤田氏 一時間以上割いて翁長氏の話を聞き、ふと「オラはな、沖縄には行かんことにしてるんだ」と漏らした。
「沖縄県民に申し訳なくてな顔を見切れないんだよ」
山中貞則(初代沖縄開発庁長官) なぜ沖縄だけ特別な枠組みで沖縄振興予算を配分するのかということについて
1971年国会答弁で「償いの心」と言っている。
古賀誠 は毎年6月23日の慰霊の日に沖縄へ足を運びつつけている。
「なんでね毎年、沖縄へ行くんですか」「いや、怖いから」
よくよく聞いてみると「忘れそうになる自分が怖いから」
「沖縄問題」は日本社会の問題であるわけです。僕らが僕らの問題としてつまり、本土に住む人間が自分自身の問題として
向き合わなければ、解決の糸口は何ら見つけられない。
無知。無関心という装いをまとい、僕たちが主体性、当事者性を欠落させて問題の本質から目を背けさせてきたということですかね。
他人事として眺めてなどいられず、あまりに重い課題に直面してしまうから目をそらし、無知と無関心の殻に閉じこもっている。 それは戦後日本の底流に一貫して築かれてきた構造ではなかってかと思うんです。
最低限の礼節をすら失った日本の支配層
韓国はソウルなどにも広大な米軍基地ー首都周辺で米兵がらみの事件や事故が繰り返され、そのたびに大規模な反米集会や反基地集会がうねりのように開かれてきた。
戦後の日本、基地も朝鮮半島の分断(本来なら敗戦国日本が分断されていてもおかしくない)もまるで不可視のようなものとして
周縁部に押し付け、無知と無関心を装うことを通用するような構造を作りあげてきた。
大戦末期に本土の捨て石とされて凄惨な地上戦の舞台となった沖縄が戦後も米軍統治下に置かれた末に過重な負担を
おしつけられたことを。かつて統治して塗炭の苦しみを与えた朝鮮半島が分断され、いまなお統一されないままに
煩悶していることを かつての保守政治家や知識人メディアはかろうじてそのことの自覚は共有していました。
今の多くの与野党の政治家はかつてのその最低限の礼節を途絶えさせてしまったのです。
米軍にとって沖縄は他国と比べて、たぶん相当に居心地がいいんだと思います。他国でも米兵などによる犯罪や事件は起きている。でも、そのとき他国には日米地位協定のような米軍に圧倒的に優位な取り決めはないし、社会の反応はすごく厳しいわけです。ところが、沖縄だと米兵が交通事故を起こそうが、軍属が女性を殺してしまおうが、ヘリコプターが墜落しようが、しばらくたてば街中を短パンはいて自由にジョギングすることができるようになる。米兵に犯罪がおこると、欧米の人から「これはヨーロッパなら大変なことになりますよ」という話を聞く。イタリアやスペインにも米軍基地があるんだけど、何かトラブルがあると、石を投げられたりする。住民が激しい反発を行動で示す。
辺野古基地建設ー軟弱地盤など感性の目算がないままに強引に埋め立て工事が続けている。
ーそこからみえてくるのは米国の顔色をひたすらうかがい、とりあえず現在をやり過ごせばすいいという政権と官僚の刹那的な無責任体質と、一度決めたことは後戻りできない政治のメンツと官僚的硬直性。負けがわかっていても無茶な戦争に突き進み、負けが確定したあともずるずるとやめられず甚大な被害をだした先の大戦とも相似形です。