「子どもたちが乗った船が沈む」 現職教員らが記者会見で訴え | 毎日新聞 (mainichi.jp)
教師の超過勤務と長時間労働が社会問題化している。その仕事の中身を見直すことは「教師は、何のためにだれのために
仕事をするのか」という原点に立ち戻ることである。
私も40代になるまでは、体力と暇にまかせて長時間労働をしていたが、教師生活の後半は、基本的に子どもたちの下校時間と
とともに特に会議や特別の生徒指導がない限り職場を離脱していた。それでも勤務時間は超えていたし平均して1~2時間程度の
超過勤務はあった。
「何が大切なのか」人間教師として生きるためには「家庭」、「自分のこども」も大事にしなければならない。
自分の仕事以外の余暇趣味の時間もつくらなければならない。
それらを「置き去り」にして「人間教師」になることはできない。
ではどうすればいいのか。具体的に考えてみよう。
① 若い時期には巧みな教師術、指導力を学ぶことが大切である。体力と時間のある時に「学ぶ」ことは重要である。
これは官製でおしつけられる研修会はほとんど意味がない。僕たちの新採の頃はなかったが、新採研修であれこれいわれることなど愚の骨頂である。(なかにはもちろん良心的な指導教員もおられるが制度として「しなければならない」がよくない)若い時期には自主性こそ重要な成長のエネルギーである。教師としての自分をつくるためには、だれかに言われて学ぶのでなく、自分から学びたいことを学ばなければ成長しない。テストや進学のために勉強させられていた自分と決別し
なければいい教師にはなれないのだ。
② 「子どもたちのための」教師になるのか。「将来の出世・管理職になるために」教師をするのか。この方向性も重要である。
前者はこどもに寄り添い、こどもと対話・応答し、子ども達の可能性を信じ成長と発達に喜びを感じる教師である。
後者は、前者のすべてとはいわないが、半分近くを脇に置いて、ひたすら教育委員会や上司(校長や主任の)の意のままに
仕事をする教師である。
①と②を5~7年余り20代で「自分はどんな教師になるのか」ということを磨き続ければそのあとは「楽しい」「魅力ある」教師人生が待っている。
では、具体的に
③ 教師として得意技、持ち味をだそう。小学校の先生でもすべての教科のスペシャリストになることは難しい。この教科ならこ
どもを惹きつける得意技をもとう。→それをサークルや自主的な研究会で磨こう
④授業の中身で勝負しよう。「宿題」を毎日だすことはやめよう。点検と〇つけなどが多忙化の要因になる。
⑤「これをすることは意味があるの?」「なんでこんなことしなければならないの」という形式的な仕事や上からの指示はサボろ
う。適当に「さっ」と片付けよう。(それさえけっこう時間を浪費するが。丁寧にする必要は全くない。)
⑥周囲の教師に歩調をあわせることより子どもの「願い」や「思い」に歩調をあわせよう。
それぞれのやり方を尊重することが大切なことである。他の教師のやり方を「こういうやり方で」と強制されればストレスが
たまります。「自分は自分」「自分でしかできないことを」を大切にする。
⑦テストは重視しない。中学校は定期テストで十分。単元テストなど必要ない。
小学校では市販のテストを成績評価のために用いることはしない。重きをおかない。
テストをすれば採点で時間を使わざるをえない。正しい評価は授業のなかのやりとりでできる。魅力ある授業をしていない
から「テストにでるよ」とテストのための勉強を強いることになってしまう。テストは成績評価のためでなく学習の点検の
ためにという視点をもつ。
⑧ノート点検などは最小限でよい。全員一律に点検する必要もない。これも時間がかかる。たいていのこどものノートの取り具合
は机間巡視などでわかる。ノートがなかなかかとりきれない子どもたちを丁寧に支援したらそれでよい。
⑨⑦や⑧を最小限にとどめても授業のなかでこどもたちとの応答・やりとりをすれば、十分学力を高めていくことができる。
「点検」ほど無意味な教育はない。
⑩ 親との関係を大切にしよう。定期的な「学級通信」や「うれしい電話」でこどもたちの「いいところ」を親に伝えよう。親と
の関係づくりを大事にしよう。何もしなければ関係はできない。関係がないところに理不尽に要求がふりかかるのです。それでしんどくなりま
す。最初に「私は子どもたちのことをこのように考えます。ぜひ力になってください」と伝えよう。
教師が「学校の駒」として教育活動にとりくむのでなく「一人の人間」として親とやりとりしてくれることを保護者は待って
います。
関係性をつくると「浪費的」「理不尽な」親からの「不満」「文句」はほぼなくなります。