新学期が始まって一週間がたちました。

 

桜も散り、少し華やかさも失われ、多少疲れもでてくる時期だと思います。

 

私も現役の頃 、この時期よく「声が」でなくなりました。こどもたちとの新しい出会い、そして

中学校でいえば「授業」でのこどもたちの出会い。小学校の先生は毎時間の授業の準備をしなければなりません。

 

ても、子どもへのまなざしはどんどん蕾をふくらませていくことが大切ですね。

 

 

「きちんとさせる」「やらせきる」ことにあくせくしてはなりません。

だんだんと成長するのがこどもです。 ゆっくりとできるようになるのがこどもです。

最初はいろんな課題があっても、その課題を明らかにながら クラス全体としてよりよいカタチにしていけばいいのです。

そんなとき、こどもたちへの「2つの目」が大切だと 高垣忠一郎さんは次のように言っておられます。

※今年1月。私が大学の頃から教師生活の間ずっとひとつの灯台として学んできた高垣忠一郎さんが亡くなりました。

あらためて高垣忠一郎さんの何冊かの著作から学びなおしたいと連載を続けています。

⑩までは「寅次郎の学校物語」のなかで連載していますが、しばらくはこの「子どもたちとの出会いの喜びを」の中で

先生方と共に学んでいけたらと思います。こどもたちへのまなざしを考えていきたいと思います。

原本は「揺れる子どもの心と発達」という著作です。

「やさしい目」と「厳しい目」この2つの目でこどもを見たときに。こどもがしっかりと奥行きを持って見えてくると思います。

左目と右目の両方でみたときに世界の奥行きが見えてくるのは、左目の網膜に写る像と右目の網膜に写る像とが少しずれていまして、それを大脳で総合するときに奥行きが知覚されるという心理学の「両眼視差」によるものです。

 

「やさしい目」とは、こどもがどういう思いや気持ちをもって生きているかを、こどもの立場に立ち、こどもに寄り添い、

こどもの枠組みに即して 理解しようとする目です。

 

もうひとつの「厳しい目」とは少しこどもを突き放してこどもが人間として大切な力をきちんと身をつけながら育ってきているのか、それを冷静に客観的に評価する目です。

この「2つの目」でこどもを見るとき、こどもがしっかり見えるのだと思います。

 

どちらが「利き目」になっているのか。ーどちらが「利き目」であれ、両方の目でこどもを見ることが大事なのだと思います。

「まっすぐに」自分の感じたままに。けど「あたたかさ」は失わないでね。

 

教師の場合「評価する目」が利き目になっているのでは…きちんとさせなければならない。みんながやっているのにどうして

                          あなたは…  そんなことでは社会では通用しないよ。

 

「評価の目」ーそれはこどもの発達を援助するための評価ではなく、こどもに脅しをかけて選別していくような、怖い評価

       の目に狭まってしまさっているのではという気がします。

        

        こどもを評価すると同時に、どこかでこどもの立場で立って、こどもの気持ちや思いを共感的に

       理解することしているはずではないでしょうか。ぜひそうしてください。

 

いまの子ども達へは 「たっぷりの愛」と「やさしさ」こそが こどもたちのエネルギーになるのです。

   それとたわいもない「おもしろさ」があれば  ぜひ「いろいろおもろいことも話してやってください。

   おもろいことというのは、何も取り立てて「おやじギャグ」をいうのではなく、先生たちの「生身」の人間性を

   こどもたちになげかけたらいいと思うのです。