先生の6割が「3年以内の離職・転職」を考えている…教員不足で現場に起きているひずみの数々:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

 

 

 

教員の長時間労働解消へ 教職員組合が文科省に70万人分署名提出「現場の声を議論に」(2024年3月13日) - YouTube

 

いま、さまざまな学校で「教員不足」がおおきな問題になっている。年度途中で教員が諸事情で休み、欠員となり、それが補充されないままに教育活動が進められる学校も多い。

 

多忙化忙しいのは一つの理由だろう。けど、忙しいのは何も「教師の仕事」だけではない。スポーツ選手だって長時間にわたって練習時間、試合と拘束される。芸能関係だって 自営業者のさまざまな職種だって 「仕事をする」時間は長時間に及ぶ。

 

教員の離職転職の理由はただ単に忙しいだけではない。だろう。

 

本来、こどもたちに出会い、子ども達とともに触れ合い、こどもたちとともに成長する。その「無限の可能性」と「人間らしさ」が学校からはく奪されて、教師の仕事の醍醐味ともいえる 人間として生きる 喜びや感動やさまざまな問題やトラブルをのりこえて成長する「しんどいこともあるけれど頑張ってよかった」というかけがえのない達成感のようなものがないがしろにされているところに今の学校の悲劇がある。

 少なくとも「教師になりたい」と思って、大学生活のなかで教職課程をとり、教員採用試験を受けた人が教師になる。

その描いた教師という仕事。子ども達とのふれあいや関わる喜びなど「思っていた」教師の仕事とはずいぶんギャップを感じることが離職お転職の要因にあるのではないだろうか。今もそう感じている先生も多いかもしれない。

 

ひとりひとりの子どもたちの個性やまた多様性を生かす時代にあって、その「ゆとり」も奪われて、現場では「スタンダード」という名のもとに教員同士も「周囲と同じようにやる」「みんなに合わせて同一歩調をとる」ことを求められる。そしてこどもにも規則やきまりや画一的な指導をすすめようとする。

それに逸脱しようとする教師はもぐりらたたきのようにたたかれ、子どももまたその頭をたたかれる。

全く面白くない。自由がない。

 

教師がそれぞれの持ち味や得意技や人間らしい個性で自由に創意工夫ある実践がやりにくい。

 

さらには、子ども達は発達途上人であるからさまざまな失敗や問題を起こしながら成長していくのが特権であるにもかかわらず

「問題をおこさせないように」管理を強いて、一部のよくできるこどもの父母の過剰な要求に相乗りして「学力の向上」や「道徳性」「規範」を守らせることに過剰に反応・同調しようとしている。

学力はテストの点数ではかれるものではない。 道徳性はきまりを守ることだけでもない。

教育の原点は、不完全で失敗もする子どもたちを それらの体験や間違いをのりこえて器をおおきくしていく営みにある。

 

こういう現場の歪みの荒波が日々おしよせるなかでその波にのみこまれ、いつしか長時間ゆるやかに「強要」されると「奴隷」のような気持になってしまうのである。

 

「自由」こそ教育の本来の真骨頂である。

 

「言われたことを言われたように「やるべきことをきちんとベテランと同じように」ゆうとおりさせられる。

それほど、人間を閉塞させるところになっているだ。今の学校は。

ベテランにはいくつかの経験則もあるが、若い先生は失敗や指導力の不足もある。けれども、ベテランの教師にはない新鮮さや若さがある。それらが入り混じって互いに尊重しあってこそ「多様性」「人間味」のある学校がつくられるのだ。

できないことを非難する学校ではなく互いに学びあい支えあうねお互いの持ち味を生かしてこそ「教職員」チームがつくられるのできてくるのである。

  

石川啄木「時代閉塞の現状」より

ここに一人の青年があって教育家たらんとしているとしましょう。彼は、「教育とは時代がその一切の持つところのものを提供して、次の時代のためになす犠牲だ」ということを知っています。しかしこんにちにおいては、教育はただその「今日」必要な人物を養成するだけのものにすぎなくなっています。そうして、彼が教育家としてなしうる仕事は、教科書の一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを、毎日毎日死ぬまで講義するかだけの事です。もしそれ以外の事をしようとすれば、彼はもう教育界にいることができません。

 また一人の青年がいて、何らか重要なる発明をしようとしているとします。しかしこんにちにおいては、一切の発明は実際のところ一切の労力とともにまったく無価値です――それが資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎり。

 時代閉塞の現状は、こうした個々の問題に止まるものではありません。

また

チャップリンという喜劇俳優をみなさん知っておられるでしょうか。

 モダンタイムズという映画  ストーリーをお読みください。

『巨大な製鉄工場で働く主人公の男は、ベルトコンベアーを流れる部品のナットをスパナで締め続けるという単純作業を繰り返していた。その様子はテレビモニターで監視され、トイレで煙草を吸っていてもすぐにばれてしまう。ある日、男は労働者の食事時間を節約するために作られた自動給食マシーンの実験台にとなり散々な目に合わされる。やがて単純作業の連続に耐えられなくなって男は精神的におかしくなり、トラブルを起こして精神病院送りになってしまう。

ようやく退院を迎えた日、トラックから落ちた赤旗を拾い、運転手に返そうと追いかけていくうちに、いつの間にか労働者のデモ隊の先導をきってしまい、そのリーダーと間違われて逮捕され、拘置所に入れられてしまう。ひょんなことから脱獄囚を撃退した功績で模範囚として放免され、造船所の仕事を紹介されるものの、ちょっとしたミスから造りかけの船を海に沈めてしまい、職を失ってあてもなく街をうろつく生活に陥る。

そんな中、男は少女がパンを盗もうとして警察に逮捕される現場に居合わせる。少女は貧しい父子家庭の長女だったが、父親が死んだため孤児となり、妹たちが施設に送られてしまい、逃げ出して路上生活をしていたのだった。拘置所が恋しくなっていた男は彼女の窃盗の罪をわざとかぶり護送車に乗せられるが、結局、通りがかりの人の証言で少女が後から載せられてくる。護送車が急カーブで横転し、外へ投げ出された男と少女は逃亡する。

少女と意気投合した男はうち捨てられた郊外のあばら屋を見つけて二人で暮らすようになった。二人のために家を建てるという夢を胸に男は働き出すが、勤め始めたばかりの製粉工場はストライキで閉鎖。デパートの夜警の仕事では泥酔したあげく売り場で寝込んでしまってクビ。工場の技師の助手の仕事も上手くいかない。

一方、少女はダンスの才能を見込まれてキャバレー[注 2]で働き始め、彼女の推薦で男もウェイターの職を得る。ショウタイムには店長に命じられ、「ティティナ」という歌を即興で歌って大受けするが、その直後、施設から逃げ出した罪で少女を捕まえるために男たちが踏み込んでくる。何とか逃げ出し、道端に座り込んだ2人だが、やっと手に入れた幸せすらも許されない無情な現実に少女は悲嘆の涙を流す。そんな姿を見た男は、あきらめないで強く生きれば道はきっと開けると強く励まし、少女はその言葉に希望を見出す。

こうして、現代社会の冷たさと束縛に囚われない自由な生活を求め、2人ははるか向こうに続く一本道へと歩き去っていくのだった。』

 

 今の学校のありようと重ね合わしてみてください。

けれども、悲劇的な学校現場もあるかもしれませんが… 悲劇を喜劇に変え、生きる喜びをする術を考えてみましょう。

                                                つづく