桜満開のこの季節。朝から伏見宇治川疎水派流界隈はおおにぎわい。

 

 
 
 

 
 

 
 

 

 

 

川面にうつる桜も。なぜに日本人はこれほどまでに桜に魅かれるのだろう。

 

若い頃は、そんなこと感じなかった。けれども…

 

さくら


僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ

霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる

さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今

今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉

移りゆく街はまるで 僕らを急かすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で

 

心待ちにした春 さくら 咲き誇るさくら 雨風にも懸命に耐え  人を喜ばせ 刹那に散りゆく

桜に 心揺らされ 心動かし  そして別れを惜しむ

 

 

 

 

けど、桜だけじゃない  みんな生きているんです。 僕たちだってね。

生きとし生けるもの。 名もない草花は何ひとつない。 すべての命はかけがえがない。

 

 

 
 

 

 

さまざま多種多様な「いのち」が そこにある。このことほ忘れてはならない。

昨年の朝ドラ  「らんまん」 牧野富太郎の

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」

だから 主役は さくらさんでも。生きとしし 生きる  すべての命を愛しみたい。

 

みんな生きている。僕らも生きている。そんな声が聞こえるのです。