教師生活10年目の「節」を迎えた。一年目は新採3年担任で 本当に苦しい毎日だったが(といっても自分は自分でやていたので

 

楽しくもあった) それからは、どうして教師という仕事はこんなにも「やり甲斐」があるのかを感じる日々であった。

なぜなのか。もちろん大変なことも「ヤマ」ほどある。

けど、「新陳代謝」というのだろうか。サークルで。そして組合などの教研で 週ごとにさまざまな実践を学び吸収し、現状維持でない「新しいロマン」と「構想」が泉のごとく次から次へと沸き起こるのだ。

こどもたちからも教えてもらったり、励ましてもらうことがヤマほどある。富士山になりそうだ。その思いは。

 

どんな教師になるねん。

 

 

 

「なんか、ほとんど毎日、旅人(学級通信)をかいてたんちゃう……?すごいなあ… でも、先生がこんだけがんばった「かい」があったと思うで。だってクラスのみんなちゃんと読んだと思うし、私は旅人のなかでいっぱい感動することあったで。だってあれ読んだらしゃべったりしいひん人の考えとかのってんねんもんな。ああ、この人こんなこと考えたはるわ。とかこんなふうに思たはるんや。とか。クラスのみんなひとりひとりが一つの事に対してもこれだけ思うことちゃうねんなと思ったりで。楽しかったわ。ほんまねみんなすひごいな。なんか今思ってみんなひとりひとりこれからおもろそう」

みんなそれぞれ考えもってんねんな。私も見習うこといっぱいいっぱいで。なんかはずかしかった。あと いい言葉とかいろいろ載ってたし、私もこれから新聞ちゅうもん読んでいこうと思う。これからも自分の生徒にいっぱいいっぱい心のこもったプリントつくってあげてな。きっとだれでもちゃんと読むと思うで。」

「とりあえず、先生またクラス持ちや。って私らがえらそうにいうのもなんやけど、先生には、先生というのがピッタリやと思うで。いつでも熱いしな‥。一個だけ頼みは、先生ってことを仕事と思ってほしくないねん。どういうことかというとなあも『どうせ、仕事や』みたく思わんともなんか問題のある子がいるとするやん?ほんなら、そういう子のために、めんどくさかってもがんばってあげるというか……まあ、今でもそんなふうに思ってへんと思うけど。とりあえずそんな先生になんのはやめてな。それにそんなんは似合わへんで」

「うーん、うちらと同じ立場にたっ考えてくれたり、私らといっしょに汗を流したりしてくれたことが寅次郎先生のやり方やと思うし、それはずっと大切にしてほしい。です。生徒にとって同じ立場にたってくれる先生や、ともに喜びや悲しみを味わってくれる先生は、一番望んでいる先生像ではないでしょうか。これからも、生徒に負けず、おじさんになっても、熱血教師であり続けてください。」

「生徒にもできないことはたくさんある。最初から理想を言わずに、少しみてほしかった。私だって必死やった。
先生かて必死やった。それはわかっていたけど、私は先生をみてときどき腹をたてていた。なんで、こんな必死でするんやろ。もうやめればいいのにって。なんでやめへんのかなって、なんでわからへんののか私には理解できひんかってん。先生の言っていることがきれいすぎて、私がきたなく見えてしまって、そんな自分に腹をたててたのかもしれん。気づいたら私は、とんでもないやさしさのない人間やった。だから、これからはやさしくなろうかなと思っている。先生が言ったから私は気づいたわけで、まあ、先生がんばってきたという証明はできたわけだ」

「3年4組は、萬福寺で歌を歌ったり、豆まきをしたり、他のクラスとちがうことをしていたけど、なかなかできないことができたりして、心に残ると思うので、これからも変わったことをして生徒たちを喜ばせてあげてください。」

 

 

「休日とかも勉強教えてくれたりしたので、これからもこういう生徒のためにいいことやってくれたら、報われると思うし、これからもがんばってください」

「すごい、熱血教師やなあと思った。ちょっと声が大きくてうるさいなあと思ったけどいい先生やなあと思った。普通の先生とはちがって、個性きつくて、おもしろかった。それと受験のときとかでも、みんなの所に電話かけてくれたりして熱血ぶりがよかった」

こどもたちは、教師が成長していすくための教師である。ひとつひとつのこどもたちの思いや言葉を私自身がだれのために教師の仕事をするのかということを常に忘れずにこれからもずっと教師という仕事をしていくのだろう。