いろんな問題があっても、絆創膏をはる程度の関りしかできずもどかしい。と感じることが多い。
問題はこどもたちのタカラモノである。けど、いろんなその時期の問題はひとつひとつていねいに解決していくことが
こどもたちの成長のためには大切な「教育」である。
中学1年を担任したときには、いたずら暴言ちょっかいからかい、授業のなかでの私語、立ち歩き、けんかなど 1年間ずっとさまざまなこどもたちが表出する問題にとりくむことが多い。終わりの会で「自分ちたちの不利益。いやだと思ったことは、その日のうちに必ず問題として出そう」ということを徹底する。
1学期はそれでも同じ質の問題が起こり続ける。 2学期になると ようやくいくつかの問題は「淘汰」されてくる。いじめやクラスのなかの弱い立場のこどもたちに対する関りなどは体育祭や合唱コンなどの行事に取り組むなかでクラス集団の質が高まればそれに関する問題は少しずつ改善されていくのだ。
けれども、取り組む時間は一日終わりの会で15分それを約200日 取り組むから 3000分実に50時間余り問題解決にとりくむことになる。ホームルームなどでも話し合うわけだから実際は さらに時間がかかる。
いちばんよくないのは、教師の顔色をうかがいながら怖い先生の前では表面的に問題を起こさないことである。
問題にとりくみながら少しずつ、子ども達の「認識」を高めていく。こどもたちが我が事として行動を改善していくことである。
時間をかければかかるほどいい。ところが、いまそういう時間がほとんど削られている。
小学校は、中学以上に雑多な課題が表出する。 まだまだ不完全で未熟で発達途上であるわけだから当然である。それこそこどもたちの成長過程でのタカラモノだ。
最近、小学校ではこちさら「よいこと」「いいところ」ばかりを強調することが多いが、それらだけでなくリアルにこどもたちの問題や課題もみんなで互いに自分たちの課題として「共有」しなければならない。そうしてヒトは人になりゆくのである。
中学校に入学したこどもがたぶん小学校でもいろんな彼に対するいやがらせやいじめ的な事象があったのだろう。その彼が
「先生みたいに僕のことを本気で考えてくれた先生はこれまでいなかった」と言ったが、その言葉の意味は、小学校ではほとんど取り組んでもらえなかった。ということである。ギャングエイジやクラスで不完全な30人余りのこどもたちをみる小学校ではそれはそうなるべくしてそうなっているのかもしれない。
たとえば 小学校中学年
9歳以降の小学校高学年の時期には、幼児期を離れ、物事をある程度対象化して認識することができるようになる。対象との間に距離をおいた分析ができるようになり、知的な活動においてもより分化した追求が可能となる。自分のことも客観的にとらえられるようになるが、一方、発達の個人差も顕著になる(いわゆる「9歳の壁」) 。
身体も大きく成長し、自己肯定感を持ちはじめる時期であるが、反面、発達の個人差も大きく見られることから、自己に対する肯定的な意識を持てず、劣等感を持ちやすくなる時期でもある。
また、集団の規則を理解して、集団活動に主体的に関与したり、遊びなどでは自分たちで決まりを作り、ルールを守るようになる一方、ギャングエイジとも言われるこの時期は、閉鎖的な子どもの仲間集団 が発生し、付和雷同的な行動が見られる。
付和雷同とは、他人の言動に同調するというような意味があり、つまりギャングエイジとは、小学3年生以降が当てはまり、子どもだけの集団で自分たちのルールに従って行動するものの、仲間たちの意見や行動に流されやすい時期ということ。
教育カウンセラーの望月保美さんによると、子どもたちはこの集団の中で人との付き合い方や仲間意識、大人を頼らず自分たちのルールで物事に取り組み、問題を解決していく力を身に付けていくのだそう。
「ギャングエイジというと、親御さんの中には集団で悪いことをするといったイメージをもつ方もいますが違います。ギャングエイジは集団の中でルールやモラルやマナーを身に付けていく時期なんですよ。グループになると試行錯誤する中で悪いことをしてしまうことがあるかもしれませんがそれも発達過程のひとつ。悪いこと・異常なことではないんですよ」
こどもたちの発達段階をふまえて
そんななかで子ども達の「ちがい」と「苦悩」をひきだすことが大切なことである。
教室のなかではみんな同じようにみえてもそれぞれが抱えているものが違う。
いつも母親から叱責され口うるさく言われているこども。スポーツなどを通して大人から「勝負にことさらこだわされている」こども。 こどもたちは幼ければ大人に従うが、じつは苦しんでいる。
そしてクラスみんなで考えるなかで「クラス・集団の質」を問いかけることも重要である。
ギャングエイジは必ず同調傾向=付和雷同傾向が強まる時期である。少しずつリーダーを育てながら 互いの声かけあいができて
きちんとおかしなことは「だめだ」といえること。また仲間を「応援できること」も重要な課題だ。
そんな積み重ねでこどもたちは確実に成長していくのだろう。 教師がすべてを解決しようとしてはならない。
こどもたちに対する「人間的信頼」をベースに取り組んでいくのである。時間がかかればかかるほどよい。