卒業式シーズンになると… かつては物議をかもしていた「日の丸」「君が代」
国旗・国家法という法律が制定されて それがいまでは 議論もなく 「あたりまえ」のごとく
演奏したり、歌わされたりしていることに 僕は「拒絶反応」を強く感じる。
日の丸といえば、たぶん小学校のとき自分たちでつくっていたクラス新聞「日の丸弁当」だったような。
これって「貧しさ」の証し。あかずがないんだ。 辛かったなあ。
野球場でも 3連戦の試合前に「国歌の演奏をします。みなさまは脱帽・ご起立の上」とアナウンスされる。
僕は弁当を食べることにしている。ほとんどの人は起立しているが、2割程度の人は、じゃまくさいのかどうなのか
わからないが、座ったままでいるという光景だ。
君が代は、野球だけでなくサッカーやその他競技でも演奏される。いろんな国々のアスリートが自国の国歌を
声高らかに歌うが、君が代は曲調もあるが、そんな雰囲気ではない。
かつて学校に「日の丸」「君が代」がもちこまれたとき、1980年代後半~90年代の時期であるが、地域の方々
保護者などが校長室におしかけて、それに抗議し、涙ながらに「学校という教育の場に日の丸、君が代をもちこまないで
ほしい」と訴えられたことを私は心に刻んでいる。
そんな思いもうけながら君が代や日の丸の歴史や歴史のなかでそれらがはたしてきた役割を学習し、職員会議で議論を交わし
続けた。「あの戦争で戦場に駆り立てられた人々が君が代によって送られ、そして日の丸に武勲を祈り寄せ書きなどがされた。
あの忌まわしい戦争、大日本帝国の象徴が日の丸 君が代で あり、君が代という歌詞には天皇の御代がこれからも末永く
続きますようにという意味合いがこめられていてそれは国民主権の今はふさわしまくないのではないか。
いつも議論では「君が代」「日の丸」賛成という人はいなかったが。結局は教育委員会の指示で。ということで
それらが強行された。それでも式次第のなかでは、「国歌、校歌斉唱」という流れで。私が在職中は 積極的にというか
ほぼ 歌う指導はなかった。生徒自身の意志任せた。社会科の授業等では、「日の丸」や「君が代」がどのような形で
利用されたのかということは簡単ではあるが、触れた。
そして私の胸中にあるのは、1991年訪韓した際、従軍慰安婦だったことをカミングアウトされた金学順さんの話だった。
金さんは「私の青春を返してほしい。私は日本の兵隊を恨んでも恨んでも恨みきれない」と嗚咽のなかで身体を震わせながら
「私は飛行機の日の丸をみただけで虫唾が走る。君が代など聞こうものなら怒りで身体じゅうがどうにかなりそうだ」
と話されたこと。
やはり、国旗・国歌は平和を象徴するものであってほしいし、誇りのもてるものであってほしい。
スポーツなどイベントごとで「国民のなかに定着している」とよく言われるが、「日の丸」「君が代」の本質は
けして変わっていない。
歌うにせよ。歌わなくてもいずれにせよ。強制はよくない。よく考えることが大事だ。
新しい国民に新たな希望と誇りをもって声高らかに歌うことができる国歌をつくっほしい。