中学校では「校則」を守らせる指導というのが当時は主流であった。今もそう変わらないかもしれない。
「きまり」を守ることは、社会生活のうえでは大切である。けど、そのきまりの中身が理不尽でないかどうか。
そしてそのきまりを守らせることによって生徒たちにとって何が大切なのか。その意味が十分理解されるものでなければならない。
1980年代後半 ボンタンの学生服 女子生徒なら長いスカート。そして茶髪などを通して子ども達は「逸脱」しある意味
学校の指導に対する「敵意」を示すことがあった。
「指導」に対する敵意というと語弊があるかもしれない。「その指導」はたとえば、いろんな教師から同じように注意、叱責が繰り返されることによる苛立ちが積もり積もって飽和点に達することであったり、また異装などで登校したときに服装をただすまで「教室に入ること」が許されずに「別室で」教師側からみれば「粘り強く」生徒側からみれば「そのことくらいでひつこくいやらしく」指導されることに対する「それ」である。
「すべての教職員で一致して指導にあたる」ということが強調された。けれども、指導のなかで一番大切なのは、何を一致して指導するかということである。学校生活において生徒を「指導する場面」はいくつもある。
たとえば「授業をすべてのこどもたちにわかるように成立させる」ということもそうである。
さらには、「子ども達の可能性を信じて、学校生活の中で自主的な取り組みをつくる」こともそうである。
またいろんな場面において「子どもたち自身が考える」力を育てることもそうである。
いろんな「指導」がある。ところが、表面的な目にみえる「うわべ」の校則をことさら守らせることの指導のみに精力が費やされる。 それが最優先になる。とするならば それはもはや 教師としての教育的な指導とは言えず「取締り」になる。
さらにはいろんな問題をおこす生徒にはいろんな生活背景がある。思春期はその葛藤の時期である。子ども達はある意味、
親に対しても教師に対しても さまざまなどうにもならない自分の不満を身近な「大人」にぶつける。ほとんどの大人は
一般的にそれを「甘えである」「やることもやらずに何を好き勝手に手前勝手なことを言っているのか」と取り合わない。
子ども達の「内なる声」に耳を傾けようとしない。
私はいつも子ども達がいろんな問題を起こすときは「子ども達と対話する」絶好のチャンスだと感じていたが…
暴力事件は それら校則をきちんと守らせようとする 生徒指導主任に対して 対教師暴力という形で起こってしまった。
けして がんばがらめに指導をしようとする生徒指導主任ではない。静かに諭すようにこどもたちに話される先生であった。
けれども、生徒たちは 「学校の指導」を代表するその先生に対して暴力をふるったのである。関わった生徒は3~4人
その先生は鼻骨を骨折され入院という「傷害事件」となった。
連日、私たち学年教師は、教師集団としてどう指導すべきか議論を重ね、ほぼ一週間にわたって 深夜日付変更線を超えて関係した生徒の家庭訪問をし、その問題の重大さと彼らの心の奥にある思いを聴き取ろうと子ども達の「内面」に迫った。
また生徒集団全体にも「どんなことがあっても暴力は許されない」「どんな形でもいい。言葉でもって思いを伝えてほしい」
そして学年のみんなは、このことに無関心傍観者であってしほしくない。我が事ととしてこの事件を考えてほしい」と訴えた。
私は教職員集団にことあるごとに「教師は子ども達にどう向き合うことが重要なのか」「こどもたちのすばらしい可能性」などについてさまざまな「情報」を発信していた。「こどもこそ宝」というタイトルで。 「今、こどもたちとどう交流するのか」
その号である。