80年代から90年代 学校は20代そして30代教師が大半を占めていた。学校を動かし学校を変革するのは青年教職員の
ロマンだった。自分たちが学んだことを実践に生かし、年齢の近い子ども達の思いと応答し、その思いをうけとめて学校を変革
していく。年齢が近いからこそ子ども達の気持ちもわかる。それが若い教師の特権である。
子ども達のための学校づくりにはそんな若い教師のエネルギーは源泉として必要不可欠なのだ。
また、ベテランの先生方はそのエネルギーを生かし、大事にしてくれた。東宇治中学校はマンモス校ゆえに
教職員も50人を超えていたが、そんなエネルギーにあふれていた。
若さは自由で新たな創造性がたっぷりある。もちろん指導は不完全さを伴っている。子ども達と衝突することもある。
若さこそ新鮮である。新しい感性がみずみずしくあふれている。社会でも学校でも若さを生かすことなくして社会変革も学校
変革も生まれないといっても過言ではないだろう。
失敗もある。トラブルも起こる。けれども、ベテランの先生たちは、必ず子ども達も教師も「守ってくれる」
「そんなん私らでもうまくいかへんことばっかりやわ。あなたらが失敗してくれたらホッとするわ。全然大丈夫やで。
がんばってぶつかっていったらいいよ」そんな言葉をいつもかけてもらっていったように思う。
また、保護者もそうだった。保護者はけして教師の応援団。特に若い先生たちを応援してくれる。
若い先生のけしてまだ先生らしくないその味わいにフレンドリーな親しみを感じてくれる。
「先生、がんばってや。」
一生懸命 人間的に そして心をこめて。こどもとは関わらなければならないことをベテランの教師は若い教師への
関りをとおして教えてくれる。
そんな若い力をエネルギーにつくられたのが1年目の終りの「3年生を送る会」だった。まず学年会で「どんな取り組みをするのか」
ということを議論する。ここはベテラン教師も若い教師もいろんな思いをぶつけあう。まず①学年のこどもたちの現状を出し合う。②いま、学年そして子ども達にどんな力をつけるのか。そのためにどんな取り組みにしていくのか。③どんな形でその取り組みをすすめていくのかビジョンとプロデュース。 ④どんな指導体制でそれをおこなていくのか。もちろん学年教師は傍観者であってはならない。いろんな教師がその個性と持ち味を生かして関わっていく。
そして 生徒会担当教師が子ども達と原案の話し合いをおこなう。①や②については、教師の分析をもとにはするが、子ども達が率直に感じていることをくわえて。こどもたちの思いを生かすようにする。特に具体的に学年やそれぞれのクラスの課題を明らかにしながら、いろんな課題をもつ仲間を思いを寄せながらみんなをふくめてどんな形でその彼ら彼女たちをまきこんでいくのかということを意見交流する。ただ行事はうわべでつくるのではない。ひとりひとのいろんな課題をもった仲間をまきこんでいくのだ。そして次に生徒会で話し合った原案をもちにクラスで話し合いをおこなう。ここがポイントである。
生徒会役員や学年リーダーで話し合ったその「熱」をどれだけクラスのみんなに伝えることができるのか。クラスのなかには「
なんでそんなんやらなあかんのや」という無関心消極派もいる。最初はあたりまえである。
いろんな意見や思いを出し合いながら少しずつ響きあう思いを重ねていくのである。いや、話し合いはせめて過半数がやる気になればいい。原案を採決したとき反対意見があってもいいのだ。それを取り組みのなかでまきこんで。学年がひとつになっていくことがそれが取り組みなのだ。