東宇治中学校の学校目標は「命輝かす人間」 本当に子どもたちのなかにも「人権」といういう何かしら思いが浸透していました。

 

初めての社会科の授業 歴史の最初の単元  「人類のおこり」で。人類の起源 アウストラロピテクスから北京原人

ジャワ原人  ネアンデルタール人   そして今の人類につながるクロマニョン人の図がありました。

これを生徒に登場してもらって 演じてもらったのです。 

すると生徒のほうから笑いながらも「先生、それ人権や 人権やで」という指摘。「えっ、別に 人類の起こりをわかりやすく

ビジュアルに演じてもらってるだけやん」

でしたが 私自身の人権に対する向き合い方も問い直されていたように感じています。

 

この東宇治中学校には当時教師の「人権委員会」というのが分掌のなかにあって、3年間系統的にこどねもたちが学ぶ指導計画というのを考えたり、また、「憲法」や「平和学習」なども系統的に取り入れられていました。

 

けれども、府下一のマンモス校といわれるなかで 子ども達の非行や荒れの事象は例外なくありました。けれども、

学年の多くの個性あふれる先生方や若くエネルギッシュな青年教職員の先生方の実践の刺激やインパクトをうけながら……

なかなか考えられないことですが、学年は11クラスありましたが、その半数ぐらいの先生が学級通信を100号をこえて発行されていました。また学年会ではみんなが自分の想いや子ども達への思い、愛をしゃべるしゃべるわ。いつもめちゃくちゃ長い学年会でしたが、いつも「子ども達にとって何が一番いいのか」つまり「子どもの最善の利益」になるような合意形成がつくられていたように

思います。学級づくり、生活指導、そして非行や問題行動、学校にはさまざまな学ぶべきジャンル領域がありますが、まさに学年会は学びの場、具体的な研修の場であったのです。

 

私もそうしたなかで2年2組の学級通信「ヤッタぁ」を175号発行することができました。

基本は子ども達との応答です。子ども達の思いいつも聞いたり書いたりしてもらいながら学級づくりをすすめます。

 

そして、クラスや集団というのは、「仲間を守る」ためにあるんだということ。もちろんあかんことはあかんというし、
批判も必要です。けど、一番大切なのありきたりな言葉ですが「友情」それもやさしさに支えられた「友情」です。
ベル着や清掃活動もそうですが、いろんな取り組みを通して 班員を守るとはどういうことかということを具体的に話して
いきます。
 
また日常あたりまえのようにクラスのなかには「班」が存在しますが「班とは何か」 当時班づくりまの初期の段階で
「好きなもの同士」班という班づくりがありましたが、「好きなもの」「仲のよいもの」だからこそ慣れあったり同調したりするのでなく、互いの利益のことや「その人のことを」考えるということも大切です。
そしてこどもたちだけでなく保護者にも教育に参画していろいろな思いを語ってもらうことも学校が「閉じられた閉鎖的な空間」
にならないために大切なことです。
幸いなことに、この東宇治中学校校区は教育的関心も高く、いろんな保護者の方が地域で教育懇談会などにもとりくまれていました。1学期の終りにおこなわれた学級懇談会には43名のうち37名が出席していただくなんとまあ驚きですが、こういう保護者のみなさんに支えられて実践がとりくまれていたのです。
私の学級づくりですが、夏休みの教職員研修会で 
自治の力をという視点で レポート報告をさせてもらいました。