初めての異動。 宇治田原町には維孝館中学校しかないので、基本的に他市町村への異動になる。
たぶんいろいろお世話になった綴喜教職員組合の綴喜地方(八幡市)に希望はだしていたように思いますが異動先は
宇治市立東宇治中学校となった。教員住宅から引っ越さなければならないし、とりあえず実家の太秦に戻り、通勤することになりました。少し楽しみだったのは、JRで太秦駅から京都駅経由で奈良線黄檗駅へと通勤すること。通勤帰りには京都駅で寄り道して
「一杯」なんてそんな気分もかすかにありました。
地域もこどもたちもそしていろんなお世話になった先生方もいっぱい愛し「満喫」することができた宇治田原町・維孝館中学校からの異動は、同じように子ども達を心底愛することができて生徒こそ主人公の学校づくりができるだろうか。
そういう不安がよぎりました。
けれども、自分は自分。寅次郎は寅次郎。素のまま自分らしくやるしかない。
いつも自分が教師になった「原点」を見失わないこと。その原点とは
こども」が大好きでその愛おしい愛すべきこどもたちがいろんな社会背景や学校の管理下の中で、苦しみもがいている。そんな子ども達をとことん守り、子ども達が生き生きと楽しく自由な学校をつくりたい。という激しい「熱情」(passion) が原点です。
東宇治中学校に赴任当時、「今度は元気のいい旗振り(組合員)が2人やってくるらしいで」(私とN先生) ということだったらしいです。「良き教師は良き組合員」である。この言葉で当時は青年教職員も多く。ほんとうに楽しく酔いしれるような組合活動も存分に味わいましたが、もちろん組合活動も大切な教師の仕事ではありますが、何よりこどものために何ができるのか。これが組合員としての原点でもありました。
私のデビューは担任することになる2年2組の教室で。着任式、始業式のあとの教室で「学級開き」
「はじめまして。あたしゃ生まれも育ちも京都のシティーボーイ。田原の里で教師をはじめ、めぐりめぐってこの東宇治中学校
にお世話になることになりやした。静はトダニ 名はヨシユキ 人呼んで「ブーテンのトダニ」と発します。今後ともよろしゅうに
おひきたての程お願い申し上げます」
「体はみての通り(当時体重90㌔ぶよぶよ) スリムで見かけは21世紀のハンサム人でございます。年齢は不詳。ご想像におまかせしやす。まあ、人を愛することにおいては天下一品であのとんこつラーメンのたれよりもとってりとひつこく愛することができるというのがとりえでございます」
てな自己紹介。こどもたちは「なんやこの教師???」てな感じであぜんとした表情。
そして 最後に 維孝館中学校で宴会のたびにH先生がされていた花火の芸をこどもたちの前で
「最後にみなさんと出会ったあ祝に先生が花火を打ち上げます。しばしご鑑賞を」
『 どーんとなった花火がきれいだな。空いっはーいに広がって しだれ柳もきれただな」
『どーんとなった花火がきれいだな。この教室に広がって みんなの門出祝うのさ」
とまくしたてたのですから…終わりの会が終わって廊下に待っていたほかのクラスのこどもたちも驚きびっくり
「何が起こっているの」
そんな衝撃的なスタートだったのです。