わずか7年間の新採教師として赴任した維孝館中学校、宇治田原町での日々であった。

おかげさまで体重は 栄養とカロリーたっぷりの給食(あれから40年以上になるのに、まだ京都市を含めて京都では中学校給食が実施されない摩訶不思議。これは異常なる行政の醜態です)のおかげで体重は赴任当時70㌔が90㌔になりました。

まあ、若い衆で毎夜毎晩。明日の対策会議と称して「飲み会」しながら「語り合い」僕の押し入れがビール瓶だらけになったというもありますが。

 

 

 

 

というわけで。体重が20㌔増えたというだけでなく、ほんとうにこの7年間は。毎年毎年一歩ずついろんな取り組みも変革していったし、私自身は、特活部長から進学主任などもやらせていただいて、「若造」教師ですが、学校を動かせてもらったというのがありがたいことでした。当時の先生方には感謝の気持ちしかありません。

 

飲み会、職員旅行での無礼講やこんなこと今では許されないだろうというような度を超えた数々の醜態もあったかもしれませんが

そんなすべての人と人との関係も昭和の時代ならではのことかもしれません。とにかく教師同士、教師とこどもたちが平行感覚で

ほぼ上下関係があったようでないもので。互いに言いたいことをいい、本気でぶつかりあい、困った時は助け合う文字どおり「ユーサピア」と「ロマン」の世界がそこにはあったのです。

 

そういえば僕たちの数々の醜態に憤怒した K教頭の語り草は「教育はユートピアじゃなかったらあかん。学校というところはユートピアであるべきだ」ということを何度も聞かされました。

 

前にも書きましたが、宇治田原町の町全体の素朴さとあたたかさ。多くの保護者の方にも私は育ててもらいました。

「私らは子ども達のために一生懸命やってくれる先生は絶対に応援するで」という言葉を何度もかけていただき家庭訪問のたびに励まされました。『家庭訪問が楽しくて仕方がない』 まるで 旅をするかのごとく 一日の終りは家庭訪問をしたり、受験前の休みの日などは「学級通信全戸配布」などもしました。

 

子ども達を応援したくてしたくたまらない。職員会議でもいつもこんな提案に対してこどもたちならどう思うだろうか」ということを考えて K教諭の「他人のふんどしで相撲をとるな」という言葉を胸に 必ず発言してきました。それは退職前の職員会議でも同じです。ずっと発言し続けました。

 

 

 

最後の離任式で思いがあふれながらも「めぐる青柿 麗しく 窓に 鷲峰の  青い峰」と歌いました。私たち教師のそして生徒の団結歌でした。

 

次回から2校目東宇治中学校について連載します。