今回の京都市長選挙 残念ながら 福山市長の実現はならなかった。
激戦 伯仲つ伝えられ当日のNHKの出口調査ではわずかながら 福山優勢が伝えられたが、結果は敗北だった。
福山さん自身はけして負けていない。政党の一切の推薦をうけずに マスコミは共産党支援で共産党候補のように伝えたが
今の京都の共産党には、それほどの力はない。
前年におこなわれた参議院選挙の比例代表における京都市内の共産党の得票は75000票余りであるから
倍以上 市民派として市民の票を上澄みしたことになる。
かたや松井候補は組織に支えられたとはいえ、自民立憲公明国民の28万票を10万票以上減らしている。
しかし、当選は当選である。
今回、福山さんは2度目のチャレンジであるが、相当な覚悟で選挙にむきあわれたと思います「善戦ではだめだ。
勝利しかない」その気迫を感じました。だから選挙戦前の宣伝もタウンミーティングをしつつ、議員に頼らない
「一人街宣」をされていました。それも自転車で。
庶民的ないいとりくみで好感がもてたと思います。
ただ、それは出馬表明をされて以後です。時間的にも物理的にも限られた取り組みです。
福山さんは前回選挙の候補者でありました。4年間の時間がありました。
福山さんのみならずつなぐ京都という支持母体も4年間の間にどういう「勝利のための取り組み」をされたのでしょう。
選挙のときには威勢がいいが、その後ばったりと顔をみなくなった人々が国政地方議員含めてほとんどです。
選挙のあとが大切です。五輪の選手だって4年間相当な努力をして次の4年後をめざします。
おそらく水面下の動きはいくつかあったんだろうと思いますが、それが可視化されずに多くの選挙をけん引する
リーダー層はほぼ同じ顔ぶれであったことがひとつの結果を招いたのだと思います。
もうひとつの視点はこの4年間顕著になったのは支援団体の共産党の凋落ぶりです。京都はかつて共産王国といわれる
ほど影響力がありました。私も精一杯支持応援しましたが、いまは国政選挙では自民・立憲・維新などに次いで第4党の位置にまで支持を失っています。この要因は改めて書きますが、共産党自身がその要因を多面的に分析に自己変革することなくしてこれからはないと思います。私は一言でいえば、「組織内」ばかりで「ふつうの市民」
のなかにざっくばらんにはいりきれていないし「信頼」もされていないことだと思います。これを「反共」一点張りでの総括しかできないとすればもう何をかいわんやです。
けれども、そうしたなかで福山さんは可能な限り、共産党の支援もえながら、市民派無所属として幅広い支援を得ようと奮闘されたのです。その成果は十分ある結果だと思います。
政党の影響力を極力なくして市民自らが多様に立ち上がる。今回の選挙はそのスタートライン 端緒となる画期的な選挙だったと思います。ミュニシバリズム。多くの他党派無党派の方々が世代を超えて福山さんを応援されました。
投票率40%というのは的確なあたりまえの数字です。
私はこの二週間の選挙戦で街頭で演説を聞く機会は福山さんと松井さんの演説が一度だけ 宣伝カーは二之湯さんはけっこう巡回していたように思います。
選挙にいれこんでおられる方はあちこちで街宣にでくわしたり、候補者と遭遇する場面に出逢うのでしょうがふつうの市民はいつどこで選挙がおこなわれているのかさえわかりません。ついつい投票日といっても意識の中にないということが当たり前になっているのではないでしょうか。
それだけ政治が暮らしのなかにはいりこんでいないのです。
駅宣より路地裏宣伝を継続的にする必要があります。それとタウンミーティングといいますか井戸端会議も4年間定期的に。
そしてそれがいろんな政策と結びついて要求となり、明石市民の会のように日常的に多様な新たな形での市民運動として 政党の傘下の影響をうけた組織団体でなく軸になっていけば次の4年後はおもしろくなると思います。
つづく