1.17  私の記憶のなかで震災で一番怖かったのは 阪神淡路大震災

 

1995年 午前5時46分。えっ 何 これっ

思わず布団を頭にかぶって。

 

とにかく学校へ おおきな被害はなかったが、授業中なんども揺れる。

「あっまた揺れたな」 余震が続く。

 

そして部活をおえて 5時前。

「おい、戸谷くんたいへんなことになってるぞ。ちょっとみてみい」と当時の

安田 宏校長。校長室のテレビに

高速道路の橋桁が落下し テロップで 「死者が200人を超える」という文字

そして震災火災の様子も あちこちで火災 燃え上っている

 

そしてその16年後

2011年3月11日  東日本大震災  大津波に人が家が飲みこまれる

 

そして13年後  今年 元旦 能登大地震

その間にも  

2010年代

2020年代

 

 
 
これだけの地震列島。
 日本は環太平洋造山帯 火山帯にすっぽりのみこまれている。
 国の主要政策として
防災対策予算の拡充。 防衛装備よりも防災装備をーいざというときの食料 飲物 毛布 トイレ 簡易ベッド
などの準備。 そして原子力発電所はただちに停止 廃炉に。
自衛隊も  防災救援隊としての活用を。 
 
 

 
 
祈り。庶民の祈りはつつましはい。
国や行政がなすべき課題が山積している。
地震列島 火山列島日本に原発はいらない。
防衛すべきは 防災の際の国民のいのちである。