日の丸と私 | 和歌山市議会議員 戸田正人 オフィシャルブログ Powered by Ameba


先日、中国で前丹羽大使が乗っていた大使館車にが襲撃され、車に付いていた日の丸が二人組の男により強奪された事件があった。これは、器物破損といった性質のものではなく、日本という独立主権国家のシンボルである日の丸を強奪するという行為であり、その事は大変許し難く、日本国家への由々しがたい侮辱行為でありました。



この二名は中国公安当局に取り調べられたものの、不起訴処分であった。もちろん、中国当局が下した処分に対して「罪が重いだの、軽いだの」という事は内政干渉に値するので、その事には触れたくはありませんが、国家侮辱罪ともとれる、屈辱的な行為であると私は感じております。しかし、政府も政府で「ポールは破損しましたが、人物にも、物的にも大きな損害がなかった」などしかコメントせず、日の丸に対する意識の無さをさらけ出しているものなのか、外務省お得意の中国政府に対する配慮の上でのコメントなのか、些か不快な収束であったように思えて仕方がなかったのは私だけではないはず。





この行為における両国の国旗に対する価値観の違いがはっきり分かったといっても過言ではないような気がします。我が国の法律では外国国章損壊罪というものがあり、外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊・除去・汚損する事を罰する目的で作られている法律であるのですが、肝心な日本国の国旗には対象外となっているのです。 




自国の国旗を侮辱しても罪に問われない国、それが日本なのです。




当たり前のようにアメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、中国、韓国などの国は自国の国旗に対して侮辱行為を行うと罰金から禁固刑まで様々な罪に問われ、逆に言えば、自国の国旗に対する尊敬の念から制定された法律ではないかと伺えるものです。




そのような事から、2012年5月自民党から「国旗損壊罪」という日の丸を傷つけたり汚したりする行為を罰する法律を提出したのだが、「そもそも国旗損壊罪の保護法益は何なのか」、「何をもって日本を侮辱していると判断するのか」との意味不明の反対論や、2003年には民主党岡崎トミ子参議院議員は公費をともなった「いわゆる従軍慰安婦」抗議活動で韓国の日本大使館の前でバツ印の付いた日の丸を掲げ抗議活動をしたり、2009年に鹿児島で行われた民主党大会では日の丸を切り刻んでは繋ぎ合わせ、それを民主党の党旗として使用しており、まったく日の丸に対する意識の無い民主党政権の元、未だ成立されていないのがこの国の現状なのです。




後で、私はアメリカでの体験論を述べるつもりですが、特に岡崎参議院議員の行った行為。外国人から見ると、自分の国を侮辱したり、否定したりする発言や行為をする人に疑問を抱き、その様な人は世界の人々から、人として信用されていないのです。また、自国のアイデンティティを語れない人は教養がないと判断される。これが世界基準なのです。






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さて、昭和42年生まれの私は、公教育を受けている頃、まったくもって国旗、国歌を学ぶ機会がありませんでした。逆に言うと国旗、国歌は戦争をイメージさせる産物であると擦り込まれていたものでした。



子どもの頃の私は、日本の歴史や文化より、アメリカ文化、ファッション、音楽、生活習慣などが私の理想であり憧れとなっていたのでした。その傾向は私だけでなく、同世代の若者たちの間でも西洋文化への憧れがあり、衣、食、住、全てのものが影響を受け始めた頃だったのです。例えば、アメリカの国旗にある星の数は言えても、日の丸の白地と赤い丸の比率を知っている方は何人いるのでしょうか。お恥ずかしい話ですが、私が18歳時のアメリカ留学をしていたとき、アメリカ国歌を歌うことができても、君が代を歌う事ができなかったのです。アメリカで暮らしていると、事あるごとにアメリカ国歌斉唱の機会があったからです。また、君が代に対して教育も受けておらず、自分の恥をさらす様ではありますが、それほどの愛着心がなかったのも事実です。




ちなみに横1.5:縦1に対して、赤丸縦13/5です。



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ただ、そんなアメリカでの生活環境の中、私が日本人であると自覚をもった事象が起こりました。




渡米した最初の1年間、私は英語学校に通っていました。そこは英語を母国語にしない外国人のためのカリキュラムで英語の読み、書き、聞き取り、会話、文法など朝から晩まで英語尽くしの授業であり、また、私のクラスでは、日本人、韓国人、中国人、スイス人、サウジアラビア人、イラン人など様々な国の方々が生徒として学んでいるスクールでした。




授業の特徴として、事あるごとに生徒たちの出身国の文化、故郷、伝統などをテーマにさせられ、各国の生徒たちは異国の地アメリカでいかに自分の祖国を語り、他国の人にその文化や、出身国の素晴らしさを伝えようと目を輝かせながらレポートやプレゼンなどしたものでした。しかし、18歳の私は戸惑うばかりでした。他国の人から「ワンダフル」「グレイト」などの言葉で私の祖国である日本を、賞賛を受けられるほどの表現力がないのです。正直に言えば、自分の国である日本の事を全く分かっていないのです。他国の生徒達は、各国の観光大使かと思わせるくらいに自国の歴史、文化を知り、また、外交官かと思わせるくらいに自国の愛国心が養われ、自国愛に満ち溢れているのです。




ある日、自国の国歌を歌ってクラスメイトに披露しましょうというテーマの授業で、私は日本人として恥じすべき決定的な事件を起こしてしまったのです。




クラスメイトの前で歌い始めていた「君が代」、胸を張って他国のクラスメイトの前に立ち、勇んで歌い始めた「君が代」、君が代八千代にさざれ石の・・・なんと、その後の歌詞が出てこない。




それはけっしてど忘れしたわけでなく、明らかに歌詞を覚えていなかったのだった。



18年間、日本で生まれ育ってきた私にとって、君が代の歌詞を学ばなかったし、入学式や卒業式でも歌わなかった、また、覚えなければならない場面もなかった、そのため、君が代を斉唱する機会も想定もしていなければ、意識すらもしていなかったのだ。



そのため、国歌を最後まで歌えなかった私は、さほど気にすることもなく自席に戻ったのですが、左隣に座っていた韓国人留学生に「なぜ、おまえは自国の国歌を歌えないのか?」、右隣のスイス人留学生には「歌詞を忘れるなんてありえないよ」、また、後方に座っていたサウジアラビア人の留学生には「国歌を歌えず、自席に帰る行為は恥じすべき事だよ」など、18歳の私には、いったい君が代を歌えなかったくらいで各国のクラスメイトがなぜここまでに私を責めたてるのかと疑問を感じたのでした。その反面、各国のクラスメイトは自国の国歌を誇らしげに、胸を張って披露している姿があり、君が代を歌えなかった自分は、クラスメイトからの疑問の意味が次第に分かるようになり始め、アメリカに憧れだけで留学してきた日本人である若い私が、君が代を歌えなかった事の重大さに気づき始めたのです。





18歳という右も左もわからなかった私がアメリカで生活するにあたって、まず自分が日本人であるという自覚を持たねばならない。そうでなければ、様々な人種、様々な国家の人々が暮らすアメリカ合衆国で、自分が何人かさえわからなくなる。自身のアイデンティティさえも分からない人間が、アメリカという国では自分の存在さえ認識されなくなるかもしれないなどと考え始めたのです。





それからというものアメリカで約3年間以上暮らしたのですが、常に自分が日本人であるという意識と自覚を忘れる事なく、アメリカの生活や文化を理解しようと心掛けした事を鮮明に覚えているのです。




その時代から25年の歳月が流れ、まだまだ浅学菲才の身ではありますが、日本の歴史、特に近代史を中心に勉強をし、私が教育を受けることができなかった事を自学で学び、理解し、日本人としての自覚と誇りを感じるところではありますが、どうしてもアメリカに留学している時の場面で、未だに悔やまれる事があります。




私は英語学校を卒業し、正規留学生としてGONZAGA大学1回生として受け入れられ、現地の学生たちと同じ授業を受け始めたころ、授業詳細ははっきり覚えていませんが原爆についてのディスカッションがありました。




アメリカ人の学生達は各々「原爆投下は、アメリカが正義のために日本に投下したものだ」「アメリカが日本に原爆を投下したことで、日本は目覚めることができたのだ」などをスピーチしていました。原爆投下の事についての歴史事実をはっきり学んでいない私は、アメリカ人学生が言う原爆投下についての認識をそのまま鵜呑みにし、その認識になんの疑いもなく彼らの話を聞き、それにうなずくようにしていたのです。ひいて言うなら、前述で述べた「君が代」事件以来、日本人としての意識を持ち始めている私にとって、実際は原爆投下の事実を学んでいないのにもかかわらず、日本人の私以上に持論を述べるアメリカ人に恥じらいを感じながら、彼らが述べる持論に対して、知ったかぶりしながらうなずいている私がいたのです。




ましてや、広島の原爆平和記念公園にある石碑「二度とあやまちは犯しません」という言葉。子供のころから散々見せられたその言葉に、この文言の主語はあたかも日本だという認識があったのでした。




しかし、アメリカから帰国し、社会人として歩き始めた私は、ある書籍などを通じて原爆投下の真実を知り愕然としたと同時に、アメリカ留学時代のクラス風景を思い出し、アメリカ人の生徒がスピーチする原爆投下に対する知識に、何の反論もできないどころか、無知ゆえに彼らのスピーチにうなずいていた自分が情けなくも悔やみきれない歯がゆさに打ちひしがれたのです。




尖閣問題に関する中国人の反日暴動。私達日本人から見ると異様な光景であるが、尖閣は中国のもの、日本人は我が国の天敵だなどの反日教育を徹底させ、愛国教育をしている姿。また、韓国においても独島は我が国の領土などという歌をつくり、子どものころからその歌を唄わせたり、教科書でも韓国の領土であるなどを教えているのが現状であり、その教育を受けた子供たちは何の疑いもなく独島は韓国の領土と認識しているのです。




アメリカも同様の教育をしており、アメリカ人学生が論じた原爆投下のアメリカにおける正当性は、彼らが受けてきた教育によるものなのです。




例えばロサンゼルス市の教科書の副読本にはこのように記述されています。



 「南京大虐殺として知られる事件は、戦争の恐ろしさを証明しました。2カ月間に、日本兵は7000人の女性をレイプし、数十万人の非武装兵士や民間人や殺害し、南京市内の3分の1を焼き払いました。その後、日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に放り込まれるなどして、40万人の中国人が命を奪われました」、まさしく、「悪魔の軍隊」という感じだ。こういう教育をほどこされた子どもたちが大人になり、これ以上の日本の悪事を止めるためには、広島の14万人や長崎の8万人の犠牲は、「平和のためには避けられなかった犠牲」という考えになる。


この様な教育を受けてアメリカ人は原爆投下の正当性を主張するのです。




私の勉強不足は否めませんが、少なくとも今、原爆投下に対する知識がアメリカ留学時代にあれば、あの授業でアメリカ人学生のスピーチの内容に少なくとも反論し、日本人としての見解を述べることができたのにと思うと悔やみきれないのです。




私たち日本人の歴史の真実はどこにあるのだろうか?一方的にアジア諸国に対する猛省を擦り込まれ、その結果、自虐史観を植え付けられ、その延長線上には日本国家を誇りに思う事のできない日本人形成の一員になった自分自身が悔しくて仕方がなかったのです。

だから、私はこの歳になっても、誇るべき我が国の歴史を一生懸命学び、日本人としてのアイデンティティを取り戻したい、そう願ってやまないのです。





そのためにも子供の頃から、日本人として誇りの持てる歴史教育は必要であると考えています。むろん、日本の歴史の中で省みなければならない事象があった事も理解しているつもりです、しかし、その省みる事象ばかりをクローズアップし、虚偽の情報における資料を歴史根拠とし、それがあたかも真実であるかのような一方通行とも取れるような教育ばかりしてきた事実は否めないのです。もし、省みる事を教えなければならないのであるなら、それと同様に、いやそれ以上に、我が国がアジア諸国ならびに世界中で貢献してきた業績、そして、各国々の人々からされる我が国に対する信頼、賞賛など数多くの誇るべき日本の歴史を教えるべきであると考えるのです。




まずは、国旗、国歌から敬愛できる心を育み。真の意味での日本人形成、私達日本人のアイデンティティを明確にし、今この時代だからこそ、祖国日本を愛し、故郷を愛し、そして、家族を愛せるあたりまえの日本人へと戻らねばなりません。