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東大合格へわが子を導く「我が家の教育戦略」

東大生の母親のブログです。
子供が東大に合格して分かったことは、「東大は、特別な子だけが行く学校でない。」ということです。ここでは我が家がたどった教育戦略をお話ししていきます。

●お子さんを理系に進ませたいなら

この間、息子と会話をしていて、へ~そうなんだと、思ったことがあります。

どうして、理系に進学しようと思ったの?

だって、僕が生きたことで、少しでも人類が発展したって、思いたいじゃない。

これは、少し意外でした。

というのは、息子は、中学受験時代から、ずっと国語ができませんでした。だから、受験で国語のウエイトの低い理系を単に選んだと思っていたからです。

息子の悲惨な国語の話:ああ国語(1)ああ国語(2)

今、子供たちの理科離れが深刻だと言われています。

やはり、それは、子供たちを取り巻く環境にあると思うのです。都心に暮らすと、親の世代では、普通に身の回りにあった自然との触れ合いの機会がなかなか得難くなっています。

子供は、外遊びを通じて、いろいろなことを学んでいきます。子供の頃に、河原で遊べば、石や土器への興味につながるし、草むらで虫取りに夢中になれば、バッタやセミなどの昆虫に興味を持っていきます。

でも、そんな親の世代に当たりまえにあった環境を、今は、子供に与えてあげることって、本当に難しい。

だから、親は、意識して、子供に「理科って楽しい。」と思えるワクワク体験を与えてあげないといけないと思います。それは、机に座っての学びからは絶対に得られないものだと思います。

子供は、体感を通して、さまざまな知識を自分の中に取り込んでいきます。だから、理科や科学の面白さを体感的に味わえば、結果、理科の好きな子供になりますし、それが結果的に、子供の「見えない学力」を伸ばすことにつながると思います。

たとえ、都心に暮らしていても、理科の好きな子供に育てる機会って、探せばたくさんあると思います。家庭の中のほんの小さな工夫でいいのです。

親は教師ではないので、理科の知識が豊富であるわけではありません。でも、日常のなにげないことを、子供と同じ目線で不思議だと感じて、それを図鑑で子供と一緒に調べるだけでも、子供の目は輝くと思います。

たとえば、お料理でいつも捨てている人参の切株を水につけて、芽が生えるのを一緒に観察したり、漬物用の重層や食塩と果汁で酸とアルカリの実験をしたりと、台所には、実験の素材があふれています。

そして、もう少し行動の範囲を広げれば、街中には科学館がいくつもあります。科学館は、実験の宝庫です。息子が小さい頃、日本科学未来館科学技術館の実験教室によく通ったのですが、そこで目にした子供たちのキラキラした表情がとても印象的でした。

こういう最先端の実験施設での実験教室に参加すれば、子供の心にも「科学って、すごいな!」という気持ちが胸に刻まれて、絶対の理科好きの子供に育ちます。

息子も当時を振り返って、「あそこに通ってた子って、きっとみんな理系に進んでいるよ。」と言います。

日本の産業の発展を支えてきたのが、科学技術の高さだと言われているのに、このまま子供たちの理系離れがすすむのって、さびしいと思います。

理科の実験のワクワク体験は、必ず大切なお子様の「見えない学力」を大きく引き上げてくれると思います。

ですから、週末は、お子さんと一緒に科学館にお出かけしてみませんか!

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●中学受験:大切な2つの学力

子供の学力には、2つの大切な柱があります。

「見える学力」と「見えない学力」です。

この「見える学力、見えない学力」という言葉は、息子が幼い頃に繰り返し読んだ岸本裕史さんの本のタイトルにもなっていて、有名な言葉ですが、

これを私流に解釈すると、

見える学力とは、偏差値や、試験の点数で数値化されて測られる力

見えない学力とは、ゼロベースからものを生み出せる想像性や表現力


だと思っています。

子供が幼い時は、この2つの学力のバランスの取れた子供に育てたい、それが私の願いでした。

見える学力を見えない学力が根っこのところで支えている、そんな理想な子供に育てたい、それは、ある種の祈りでもありました。

単に試験だけに強い子では、さびしいと思います。いい学校を出ても、「アイツは使えない。」と言われる人を、職場で見てきましたし、そんな大人にわが子には、育って欲しくないと思います。

でも、見える学力がないと、日本の入試制度では、憂き目を見ることになってしまいます。試験に強いことは、たくさんの可能性を開ける扉です。

だから、わが子には高い学力も付けてあげたいと、どんなお母さんも願っているのではないでしょうか。

中学受験は、この大切な2つの学力を伸ばす大切な時期に当たります。中学受験の「見える学力」は、専門家の力を借りないと伸びませんが、「見えない学力」は、家庭の力で伸ばす、人格を含めたトータルバランスだと思います。

私は、バランスの取れた子に育てたいとそんな理想を胸に掲げながら、実際には、成績に一喜一憂し、そんな理念など吹き飛んでしまった時期もありました。

そんな時に、息子を正しくサポートし、軌道修正してくれたのは、夫という存在です。

私は、この「見えない学力」を家庭で伸ばすには、やはりお父さんの存在は、とても大きいものだと思います。どうしても、母親は、近視眼的に突っ走ってしまうところがあります。

私は、夫が教育参加してくれたことで、感謝していることがたくさんあります。

たとえば、
*ニュースを見ながら、政治、社会の話を「週刊こどもニュース」的なノリでよく話してくれたこと。
*息子が大好きだった、囲碁、将棋、アルゴに根気よく付き合ってくれたこと
*日本科学未来館の友の会に入会して、毎週のように息子を連れて行ってくれたこと
*日本モデルロケット協会の会員になって、息子と一緒に大会に出場してくれたこと
*算数オリンピックに一緒に取り組んで、いつも大会に連れて行ってくれたこと
*ぜんそくで弱虫な息子のために、空手を一緒に習ってくれたこと
*理科で星座の単元に入った時に、いきなり天体望遠鏡を買ってくれて、星座観察をしてくれたこと


こんなことは、私には、なかなかやれないことです。もし、私ひとりの力で受験を乗りきろうとしたら、大暴走のあげく、子供を壊していたかもしれません。

ですから、中学受験では、父親が、いい参謀役になって、教育参加してくれることは、見えない学力を伸ばす上でも、大切なことだと思います。

子供が中学受験に差し掛かる時期は、お父さんが会社の中核となってハードに働く時期と重なり、どうしても忙しくて、お子さんに目が行かないことがあると思います。

ですが、大切なお子さんの「見えない学力」は、家庭でしか伸ばせないし、そこは、お父さんの力は不可欠なのです。ですから、どうかお父さんは、お子さんにできるだけ目を配り、お子さんをサポートしてあげてください。


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●中学受験:全敗という悲しい結果

わが子のことでなくても、胸が締め付けられそうになる全敗という悲しい結果、これは何が何でもあってはならないことだと思います。

息子の同級生のMちゃんの話です。

Mちゃんは、小さい頃から、とても目立ったお子さんでした。利発で、ピアノが上手で、いつもクラスの代表で、皆が憧れるお嬢さんでした。

いつもぼんやりした雰囲気の息子と比べて、闊達なお子さんはうらやましいと思ったものです。

Mちゃんは、公文の国語も算数も進度上位者で、Mちゃんのランキングがお母さんの自慢でした。

中学受験をさせることもお母さんの希望でしたし、四谷大塚に入会して、期待のスタートを切ったのは、新4年生の春でした。

Mちゃんママは、自分も中学受験を経験していたので、とても中学受験の知識が豊富でした。私にもいろいろなことを教えてくれたので、本当に助かったのですが、ちょっと引っ掛かる言葉も多かったのです。

Mちゃんママの言葉の端々からは、どうしても「勝ち組」でないといけないピリピリとした雰囲気がいつも伝わってきました。いつも超一流の学校ばかり並び立てて、私は、なんとなく引いてしまうことも多かったのです。

でも、きっと、利発なMちゃんだから、お母さんがこんなに強気なのも当然だろうと思っていたのです。四谷に通っている他のお母さんから話を聞くまでは。

Mちゃんは、4年生のころは、一番上のクラスだったそうなのですが、学年が上がるにつれてどんどん成績が下がり続け、6年生になった時は、一番下のクラスになっていたそうです。

だからでしょうか。6年生になった時は、いつもひまわりのようだったMちゃんママのオーラになんだか陰りを感じたのです。

結局、最後までMちゃんママは、一流にこだわり続け、受験校は、すべてMちゃんの実力を大きく上回るものだったそうです。結果、全敗という悲しい結果になったと、他のお母さんから聞きました。

中学受験で、苦しいことの1つは、同じ塾に通う子も多いので、子供たちの勝敗が周りに分かってしまうし、その結果を中学受験をさせないお母さん達も、とても高い関心をもって、見つめているということです。

そして、私が一番悲しいと思ったのは、Mちゃんのお母さんの姿が小学校の卒業式に無かったこと、Mちゃんが卒業式に進学先の公立中学の制服でなく、私立中風のブレザースーツで現れたことです。当時は、全員が進学先の制服で卒業式に臨んでいたのです。

12歳の子供は、親が子供の可能性を信じてあげることで、とてつもないパワーを発してくれます。そんなミラクル合格もたくさん見てきました。

でも、その親子で夢見る憧れや希望の先にあるものが、お母さんの自身のエゴであったら悲しいと思います。

誰だって、子供はいい学校に入って欲しいし、子供のできがよければ自慢もしたい、でも、子供は別人格なのです。

母親は、子供が生まれた瞬間から、子どもの幸せを願い、あらゆる希望を託して育てています。

もし、その愛情を託すわが子が、ただの凡人にしかなれなくても、愛せるか、そこでは母親の愛情の本質を問われていると思います。

中学受験の結果なんて、所詮大したものではありません。その先には、高校受験も、大学受験もあります。そこで、うまくいかなければ、編入試験もあるし、大学院もあります。いくらでも再チャレンジができるのが日本の教育システムです。

中学受験ごときで、大切なわが子の心が傷つくようなことがあったら、悲しいと思います。

だから、若いお母さんには、私を含めて、いろいろな反面教師を見て、いい受験をしてくださいと、願うばかりです。


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●自分で決断することの難しさ

子供が成長するにつけて、それぞれの局面で、母親が選択しなければならないことが、増えてきます。

私は、その選択でいつも戸惑い、迷ってきました。子供が幼い時は、いつも迷ってばかりで、一向に出口にたどり着けないそんなイメージでした。

だから、誰かに答えを教えてほしい、いつもそんな風に答えを探していました。そして、そんな答えを求める私に、いつも聞こえてきたのは、自立という言葉でした。

自立という言葉は、今も昔も子育ての最大のテーマです。

息子の幼い時は、さまざまな育児書で、立派な子供に育てるのも、学力の高い子供に育てるのも自立が鍵であるかのように謳われていました。

でも、この自立という言葉は、私にとっては辛い言葉でした。

当時の私は、いつも自分の頭の中で作り出した自立のイメージに憧れ、それとは程遠いわが子が歯がゆく、焦燥感さえ感じることが多かったのです。

実のところ、私には、自立と放任の明確な定義が分からなかったのです。さまざまな育児書を読んでも、具体的にわが子の例にまで、落とし込んであるものはありません。だから、よけいに悩みが深くなりました。

息子は、小さいころは、とてもおく手の子供でした。周りのお母さん達からも、よく幼いわねと言われ、ちょっぴりいじめられっ子でもありました。

だから、そんな赤ちゃんぽい子供に突き放した子育てもできず、いつも危なっかしい息子を大切に愛しむように育ててきたつもりです。

でも、周りからは、何でも親が先回りして手を出すから、そんなにぐずな子に育ったのだとか、一人っ子は三文安いとも言われ、涙したこともありました。

人は、自分が属しているレイヤーの中でしか、物事は見えません。別のレイヤーは、異次元だから、見えないのです。

早熟なお子さんのお母さんは、おく手の子供を持つ気持ちは分からないし、また、私のようにおく手の子供を持つ母親には、早熟なお子さんを持つお母さんの悩みは分かりません。

だから、自分の立場でアドバイスをしてしまうし、それが相手の心を傷つけることもあるのです。

でも、わが子のことを真に理解できるのは、親だけです。だから、さまざまな局面の度に、母親は悩んで、自力で決断をしないとなりません。その決断の過程は、苦しいものです。

先日、そんな、当時の私の心をそのまま代弁したかのような、コラムを読んで、当時の気持ちが胸いっぱいによみがえりました。

私が毎日楽しみに読んでいる【家庭学習で学力向上】子育てママ:ゆきこさんの、人は勝手なことを言うものだというコラムです。その中で、ゆきこさんは、こんな風に結んでいます。

子育てに答えはない!
子どもが変わればやり方だって変わる!
人生いろいろ、子どもだっていろいろ。


子育てに正解は、ありません。むしろ、正解があって、それを学ぶことができたなら、どんなに楽なことかと思います。

常に、自分で問題の答えを導き出さないといけないから、こんなに苦しいのだと思います。でも、自分自身でそこを乗り越えないと、わが子に最良の選択はできないのです。

振り返ると、子育ての期間は、本当に短いものです。あの頃に戻りたいと思っても、今では2度と手にすることができない時間です。

子供が大きくなった時に、「あの時は悩んだけれども、結局あれでよかったんだ。」、そう思って欲しい。だから、私は、お母さん達には、お子さんの心にいつも寄り添い、向き合って、自分が信じる選択をして欲しいと願うのです。

そして、そんなお母さんたちに、今日も私は、「お母さん頑張って」と、声援を送りたいと思います。


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●お母さん、自身を持って! ~お母さんの人生への応援メッセージ

土曜日に久しぶりに中学校時代の友人と会って、つくづく考えさせられたことがあります。

彼女は、出産以来ずっと専業主婦で、家事も完璧、2回の海外生活を経験して、さしずめカリスマ主婦といったところでしょうか。ずっと、働いてきた私の目からは、すごく豊かな空間の中で生活しているように見えて、まぶしい人です。

でも、彼女が言うのです。

私がうらやましいと。そして、こんなことを言うのです。

2人の子供の受験がやっと終わって気づいたら、もう50歳になっていたの。
私って、このままずっと死ぬまで、社会におんぶして生きていくのかなって、
専業主婦は、どんなに頑張って家事や育児をやっても誰にもほめられないし、
それどころか当たりまえだとさえ言われるし、おまけに手を抜くと怠けているとさえ、言われちゃうんだから。
だから、それが悔しくて一生懸命家事も、子供の教育もやってきたけど、
いまさら、働くところもないし、もっと自立した人生が欲しかった。


これを聞いて、正直言って、驚きました。

外からこんなに素敵に見える人でも、こんなことを考えているんだって、意外です。だって、ずっと私は彼女がうらやましかったのです。私に無いものをたくさん持っているから。

人生には、いろいろなターニングポイントがあります。

結婚や、出産と同時に専業主婦を選択した人、
フルタイムで働いていたけど、出産で一時的に仕事を離れて専業主婦をしている人、
子育て中だから、仕事はすこしセーブして、子育て後にもっとパワフルに働きたい人、
育児休暇を取ってずっと働いてきた人、


誰しも自分なりに、その時その時で迷いながら、いろいろな選択をしてきたと思います。

だから、経済的に自立していることが、自立という概念にとらわれる必要もないし、専業主婦だから自立していない、と思うことは決してないと思います。そんな表面的なライフスタイルに左右される必要はないのです。

つくづく考えれば、専業主婦って、偉いなって思います。

こんなに自分を我慢して、家族のために尽くすことなんて、私にはできません。私は、結局自分が一番かわいかったのです。

だから、「ママ、行かないで!」と泣き叫ぶ1歳の息子を平気で保育園に置き去りにし、会社では息子のことなんてさっぱり忘れて、自分自身の生活をエンジョイできたのだと思います。

仕事でうまくいかないと自分には家庭があると慰め、妻、母としてつまずくことがあれば、私はワーキング・ウーマンなんだから完璧は無理と言い訳できる、そんな2つのチャンネルを持つことで自分の心の均衡をなんとか保ってきたような気がします。

だから、今、ご家庭で家族のために一生懸命頑張っているお母さんは、本当にすごいと思います。

この少子化の時代に子供を産み、一生懸命育てているなんて、それだけですばらしいことなのです。自分のやりたいことより家族のことを優先して、本当によく頑張っていると思います。毎日が自己犠牲と愛情の積み重ねです。

だから、自立していないなんで、もうそんな風に思わないでいいのです。

自分自身が社会の中でどう貢献して、どう役立って行けるのか、そんな風に考えて、自分の人生にプライドを持って生きていこうと頑張る、そんな生き方が本当の自立なのですから。


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