ダイアログインタビュー ~市井の人~ 若松真哉さん「愚直に人と関わる」5 | ポンコツ軍曹の不人気ブログ「いいかげんが好い加減」

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前作ダイアログインタビュー ~市井の人~ 若松真哉さん「愚直に人と関わる」4

 

若松 「街づくり」みたいなものに取り組むなら、マクロ(広範な)範囲の事から、段々段々自分の周りのミクロ(小さい)な範囲の事に落とし込んで行って、「自分の事業を頑張りながら世の中に貢献出来る事って何なのかな」という事を今考えてるところです。

 

――なるほど。

 

若松 それに対する答えなんか無いんです。リー・クアンユーの本にも書いてありました(笑)。

 

――「答えがないものを探していく」という行為は、若松さんにとって大変な事なんですか?

 

若松 いや! 健全な事だと思います!

 

――健全ですか。

 

若松 だって迷いが無い人って俺、怖いですよ。時代が変われば人もマーケットも変わりますし、経営者が迷う事ってホント当然だと思います。僕も迷ってますし、迷う中で間違いないのかなと感じるところに進もうとしてますね。

 

――じゃあ今一番迷ってる事って何ですか?

 

若松 来年再来年のウチ(若松味噌醤油店)の事業体制ですね。従業員を入れるか、子育て中だけど、ウチの母ちゃんに仕事手伝ってもらうかだとか。うちも完全な家族経営で三十年四十年五十年とやってきてると、なかなか外の人を受け入れられないような感じになってくるんですよ。

 

――それってどういうところに出てきてます?

 

若松 例えば若いお兄ちゃんをバイトで雇ったりすると、ウチの親父もおふくろも工場に入ってこなくなるんですよ。だから、人の手は人数を増やしても単純なプラスにならない。家族経営の難しいところですね。そんな事もあって今は、親父やおふくろと同年代でもある近所のおなじみさんに来てもらってます。だから上手く回ってるんですけどね。

 

――それってお父さんお母さんからすると、世代のギャップからくるとっつきにくさがあるからなんですかね?

 

若松 いや、単純に「自分の知らない人」って事だったんだと思います。「知らない人とは喋りたくない」と。

 

――それって「地元民」「よそ者」みたいな事なんですかね?

 

若松 そういう感覚じゃ無いと思いますよ、親父やおふくろにしたら。今まで手伝ってもらう時は、親戚のおばちゃんであるとか、本当に身近な人しか入れなかったんで。純粋に従業員として人に来てもらったことがほとんど無かった。

 

――その人が気心知れた人かどうかって事ですね?

 

若松 そうそうそうそう! 親戚なら、他人ほど気遣いはいらないですからね。自分のだらしないところもある程度見せられるじゃないですか。だから、楽な状態で仕事してきたんですよね。

 

■ ここでまた、サラリーマン時代を振り返ってもらっている時に出てきた「そうそうやり方を変える事は出来ない」というキーワードと同様のものが出てきた。人はなかなか変わらない。「変える」とは、とかく難しいものなのだ。

 

 

――私は南相馬で「地元民」「よそ者」みたいな事を気にする空気を少し感じたんです。今の話は、「地元民」「よそ者」を気にするって、単純に生まれ育った場所の違いじゃなく、何か別の要素があるんだなという事を感じさせられました。

 

若松 私が思うに、今の四十代より下の世代って、「地元民」「よそ者」みたいな事を気にする感覚は薄れていくと思うんです。震災の時にこの街で動いていた人たちの間ではね。私の後輩でも、震災以後に帰ってきたなんて人はパラパラいますし。震災前の記憶が強い高齢の方は、新しい環境にはなかなか馴染めなかったりしますけど、それはそれで仕方がない事だと僕は思います。

 

――最近新しく人がよその地域から入ってきたりしてますし、「街の雰囲気が変わった」と感じるようなところもあるんですかね。

 

若松 あると思います。ただ、そんな時期ってのも、五十年とかいう長いスパンで地域を見た時にはあると思うんです。私にとって大事なのは「そんな中で、私はどう動いていくか」って事。二千十一年には二千十一年の動きを私もしていましたし、二千十二年には二千十二年で動いてましたし。これからは、何年か周期に動き方を変えていくと思います。職業は変えずに。

 

――今後はどうしようかというプランはあるんですか?

 

若松 今後はもっと地域に根付きます。商工会や消防団の活動はこれからも続けていきます。ただ、やはり本業と家庭に今まで以上に軸足を置きます。

 

――それ大事ですね!

 

若松 さらに言うなら、私は後継者と一緒に生活出来てますからね。これはソフトバンクの孫社長にも出来てない事ですから(笑)。子どもとこうやって過ごせるって、ある意味贅沢な事ですよ。最近そう思ってます。

 

――商売をお子さんに引き継がせていこうという想いもあるんですか?

 

若松 百パーセントそう思ってるわけでは無いですけど、そういう想いもありますね。びっちりでは無いですけど。

 

――今お子さんはおいくつなんですか?

 

若松 まだ二歳とゼロ歳です。

 

――それじゃ確かに分かんないですね(笑)。

 

若松 分かんない(笑)けど多少は有ります。引き継ぐ時に、子どもがはまりやすい道筋は作っておきたいなと。以前うちの親父も俺に言ってました。「環境を綺麗にしてお前に渡したい」って。実際のところは「環境を整備するって大変なんだな」という感じですが(苦笑)。

 

――震災みたいなイレギュラーな事もあったわけですしね。お父さんが若松さんにそういう話をした時は、震災なんて当然想定していなかったでしょうし。

 

若松 そうでしょうね。スーパーイレギュラーです(笑)。もともとは、海側にも山側にも田畑が広がっててそこに人が暮らすという穏やかな市場の中での商売をしていたわけで。そういう環境の中で俺は食わせてもらってたんだなって…一万回思った。「世話になってたんだな」って。だから津波で亡くなった人たちに対して「恩返し出来なかったな」って思うんです。今でも凄げえ悔しい。本当に悔しい! 消防団で「亡くなった人たちを陸まで帰すのがせめてもの恩返しなのかな」なんて悶々と考えながらあの時は活動してましたけど。悔しいな。

 

――ここまで話を聴いてて感じたんですが、会社での経験もそうだし、こっちに帰ってきてからの地域との関わりもそうだし、今の商売の話も、震災後今でも感じてる悔しさもそうですが、若松さんの中で柱になってる一番の事が「人との関わり方なのかな」って事なのかな。

 

若松 あぁそうなんですかね。俺、あんまり自分の事は分からないんで。俺、結構内向的なんですよ。付き合いが長い人からは結構「内向的だね」って言われます。図書館でじっと本を読むのがすごく好きだったりしますし。

 

――だから博識なんですね(笑)。

 

若松 博識ですか(笑)。そういえば図書館で思い出したけど、震災後テレビで何度か取り上げてもらったころ、図書館の端っこで寝っ転がりながら本を読んでたんですね。そしたら目に涙を浮かべた知らない女性が「若松さん! 若松さんですよね!? 頑張って下さい! 」と声をかけてきてですね(笑)。「はい! 頑張ります! 」と答えた後で「しまった! 寝っ転がって本読んでるところ見られた! バカバカバカ俺のバカ! 人前に出るってこういう事なんだよ! 」って激しく後悔しました(笑)。

 

――コンビニで週刊誌とか立ち読み出来なくなるあの感じだ(笑)!

 

■ 南相馬で震災以降積極的に動いていた人の中には、テレビや新聞といったメディアに取り上げられ、期せずして地域で有名になってしまった人もいる。そうした人は、少なからずこんな体験をしている。となると、良きにつけ悪きにつけ噂も流れる。特に地域で商売をしている人にとって、噂は時として致命的ですらある。若松さんの今のこの話は笑い話だが、自戒を込めた話でもある。地域に密着するのは難しい事ではないが、注意を払わなければならない部分も多分にあるのだ。それにこの事は、「人との関わり方」を重視するという事柄にもつながる。若松さんの人柄がうかがえるエピソードだ。