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次男の中学受験では


あり得ないというほど
涙を流してきました。



毎月のテストで

否定され続けて


ここが底だろうと思っても

さらなる深い沼が待っていて



後悔と

絶望と


もう

後には引き返せないという

恐怖と



いろんな

感情がありました。



夢や希望なんて

ズタズタに引き裂かれて


紙クズのように丸められて

ポイっと捨てられて



優秀な人を

羨んだり

妬んだり


そのことで

自己嫌悪に陥って

さらに自分が苦しくなったり



早めに

さまざまな手を打ったつもりが

全て空回りして



やっぱり

ああすれば良かったかな?

もう手遅れだな…


どうしてもっと早く

そちらを選択しなかったのだろう


…と

迷ってばかりで


自分の不始末ばかり

目について

落ち込んで


当時の私の顔は

引きつって、歪んで

随分ひどかっただろうと思います。



合格発表の時



私には嬉し涙も


満面の笑顔なども

ありませんでした。



そんな表情も出せないほど

疲労困憊していました。





今年の春


苦難の末に結果を出された

2人のお子さんの話をします。



1人は

長男の中高の同級生の弟さん

次男と同い年です。


このブログにも

以前書いたことがあります。


次男より数倍も

優秀なお子さんでしたが



幼いところがあるらしく

式や図を書くことを面倒がり

優秀だったので

それでも成績は取れてました。


能力の差は

段違いでしたが


性格面などで

次男と共通することもあって

お母さんとは

よく悩みを打ち明けあっていました。



そして入試本番

能力に見合った難関中を

何校か受けましたが


優秀だった故の

落とし穴にはまってしまったのか


1月校以外

全落ちになってしまいました。


1月校は地方の学校だったので

彼は公立中に

進学することになりました。



当時のお母さんのLINEには


生まれてこのかた

流したことのないほどの

涙を流しました


と書かれていました。



それを読んで

私は涙が止まりませんでした



中学受験が終わってすぐに

長男の学校行事で

お会いすることになっていたので


そのLINEには

次男の合格への祝福と


周囲の人に支えられて

立ち直りましたと

添えられていました。


ご自分のことだけで

精一杯であろう時に


こちらへの気遣いを

示して下さっていることに

さらに涙が溢れました。



実際にお会いした時には

明るく振る舞われて

いらっしゃいました。


そのすぐ後から

コロナ禍が始まったので


お会いする機会は

ありませんでした。



そして

今年の高校受験



私立の難関なのか

公立のトップ校か



どこを受験されるのかは

わかりませんでしたが


とにかく望む学校の

合格が取れるようにと

密かに祈っておりました。



5月になって

お会いする機会があり

進学先をお聞きすると


中学受験でも

難関校である超進学校へ

見事に合格されていました。


高校から入るほうが

難しかったと思います。


思春期も重なり

ご苦労もあったようでした。


合格は厳しいと

言われていたらしく


「奇跡のようだった」

とおっしゃられていました。



悲しみを乗り越えて

頑張ってこられたんだなと


私は心の中で

また涙していました。





もう1人は

長男の小学校の同級生


彼のことも

ブログで書いたことがあります。


下の子同士も同い年で

お母さんとは

仲良くさせていただいてました。



サッカーが上手で

公立中の時には

クラブチームに入っていました。


公立高校に進んでも

サッカー部に入って

引退まで頑張っていました。


高校での成績は良く

現役では近くの

国立大を目指していました。


共通テストも

8割を取っていたので

大丈夫だろうなと思っていたら


2次試験がよくなくて

残念な結果となりました。


にも関わらず

お母さんは

長男の東大合格を知って

真っ先に電話をかけてくれて


涙を流して

自分のことのように

喜んでくれました。



彼も私大は合格してましたが

国立に行きたいと

浪人することになりました。


昔は男子なら1浪くらいと

思っていましたが


先の見えない不安は

想像以上に大きいものです。


1年頑張ったからといって

必ず受かるとは限らないのです。


母として大学受験を経験して

その不安がわかるように

なりました。



私には話を聞くくらいしか

できなかったけれど


せめて不安な気持ちを

吐き出してもらえるように


定期的に

お母さんをランチに誘ってました。



もともと実力のある子なので

予備校での模試もよくて



1年後には

現役より1ランク上の大学を

受験しました。




ですが




結果は不合格



前期の不合格がショックで

中期や後期の大学も

全て落としてしまいました。




実は現役より志望校を

1ランク上げることについて



何となく

私は不安を感じていました。


予備校の先生が

OKを出したのだから大丈夫だろうと

思いながらも


現役時代に共通テストが

十分な点数だったのに

2次試験が良くなかったことが

気になっていました。



後期の発表は

3/20頃なのですが

それを過ぎても連絡はなく


入学準備できっと

忙しいんだろうなと

不安なまま待ち続けていると



国公立全滅だったと

LINEが入りました。



頭が真っ白になって

何か返さなきゃと

返信を書き始めたけれど



「文章なんかじゃダメだ!」



いても立ってもいられず

お母さんに電話しました。



LINE来たばかりだから

おそらく家にいるはず



気の利いた言葉なんて

見つからなかった



彼がずっと

真剣に頑張っているのを

聞いていたから


それをお母さんは

心配しながら

不安を抱きながら


ずっと

見守ってきていたのに…



直接声を聞かないと

直接言葉をかけないと


その一心で

電話をかけていました



何て切り出したかは

覚えていませんが


入試の状況を聞いた後

繰り返していたのは



「合格するだけの実力は

あったと思う!」



私の心からの叫びでした。


2人して泣きました。



MARCHレベルの私立は

合格していたので


お母さんは進学して欲しいと

願っていました。



けれど

彼は2浪を選びました。



お父さんも含めて

何度も家族会議をしたと

聞きました。



あれだけの勉強をしたのだから

合格している私学では

納得できなかったのでしょう。



2浪目は予備校に通わず

本人が宅浪を選びました。



自分に足りなかった部分を

把握していたのでしょう



1浪の時より

精神的に落ち着いていると

お母さんから聞きました。


今のほうが

精神的に良い状態だと



1浪の時の入試が

かなりのプレッシャー

だったのかもしれません




息抜きも上手にしながら

着実に実力を積み上げていって





この春






早慶と国立大と

3冠を取ることができました




まさかの不合格で

どん底に突き落とされて



そこから這い上がるのは

並大抵のことでは

なかったでしょう



その様子を

じっと耐えて見守ってきた

お母さんの心労は

いかばかりだったかと思います。




底にいる時は

出口は見えないのです


這い上がれる

保証も何もない



辛くて

苦しくて

幾度も涙を流して



どんよりした気持ちのまま

進まないといけない


無理矢理にでも

前向きにならないといけない



綺麗事じゃなくて


泥臭く頑張るしかないんです




けれどこの経験は


すんなり通り過ぎた人達より

数倍も




その先の人生に

生きていくのではないかなと

思います







2人とも本当に

合格おめでとう‼️










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