(ちょっと長いです〜お時間おありの時にお読み下さい)
ご訪問ありがとうございます!
中学受験マンガの「二月の勝者」のドラマがもうすぐ始まりますね。
中学受験を経験した者からすると二月の勝者で展開されるストーリーはとてもリアルで、見ぬふりをしている内面を赤裸々に語られていたりもしてドキッとすることも多いです。
中学受験塾ではイジメもある程度存在しますが、良きライバル、良き友を得られる場所という利点もあります。
学力別にクラス分けされてますから、知的レベルも同じくらいで話も合いやすいです。
今回は長男の中学受験塾からのお友達の話をしたいと思います。
長男は小5から入塾しました。
成績で苦労した次男とは違い、最初から上位クラスに入りました。
半年ほどすると最難関の上から2番目のクラスに上がり(SAPIXでいうとアルファ2と言ったところでしょうか)
結果的にこのクラスに一番長く在籍して、多くの友人に恵まれます。
長男の小学校で中学受験するのは毎年だいたい十数人ほど。難関校を目指してバリバリ受験するのは男女合わせて5〜6人ほどと少ないです。
小学校で一緒に遊ぶ子は何人かいましたが、親友と呼べるほど特に仲良しな友達はいませんでした。
ところが
中学受験塾では気の合う友達がたくさんできて、それはもう楽しい塾ライフを送っていました。
だいたい同じ方向に帰宅する子でグループができていて、長男は6〜7人のお友達と行きも同じ電車に乗って通塾していました。
やがて塾の友達と同じ中学に行きたいと言い出して、そんなに気の合う子たちがいるならみんなと一緒に行けたら楽しいだろうなと、親もそう思っていました。
塾で同じクラスにいる子供達ですから、志望する学校もほとんど同じです。
長男は最上位クラスに上がったこともありましたが、最終的にこの2番目のクラスで入試を迎えました。
そして2月本番、仲良しグループ6人が同じ志望校を受験しました。
昨年の記事で書いたことがありますが、結果は6人全員がバラバラに進学することになります。
6人のグループの中で、特に長男が仲の良かったRくんとKくんというお友達がいました。
1月校の受験は遠方でしたので、同じ電車で行こうと3人で話し合い、親同士も連絡を取り合うようになりました。
結局、長男は1月校の入試日にインフルエンザにかかって受験を断念したので一緒に行くことはできなかったのですが…
代わりに志望校の入試が終わった後、3組の母子でお昼を食べに行きました。私は初めて2人のお友達とそのお母さんにお会いしました。
お母さん方もとても良い方で初対面なのに話がはずみました。塾でのママ友は誰もいなかったし、敢えて知り合いを作ろうとはしていなかったので、受験の話ができて本当に嬉しかったのを覚えています。
「みんなで一緒に合格できたらいいね」
そう言い合って、帰宅しました。
志望校の合格発表の日
会場はごった返していて長男は仲間の誰とも会えませんでした。
自分が合格していてホッとしていましたが、みんなの合否はわかりません。
その後併願校の合格発表があり、誰かと会えるかもしれないからと見に行きました。
発表のある学校の校門のところで同じ塾のT君に会いました。彼は第一志望は長男達とは別の学校を受けていました。
「あっ、おまえ○○中はどうだった?」
「受かった」
「へぇ、すげぇな! さっきKに会ったけど、あいつ○○中はダメだったって」
「……‼️」
K君の合否を聞いて長男に衝撃が走ります
私も愕然としました
まさか…
ノロノロと、合格発表の場所に行くとK君が長男を見つけて手を振ってくれていました。
私は横にいらっしゃったお母さんにご挨拶しました。
ここの併願校は2人とも合格していました。
子供達は同じ塾のみんなと輪になって話してました。そこには初日の本命校に合格した子も不合格だった子も混じっていました。
Rくんはその場にいなかったのですが、長男と一緒に○○中に合格した子が受験の時にRくんの後ろの席だったらしく
「Rはダメだったと思う。番号なかった」
長男はここでR君の合否という衝撃の事実を聞かされます。
私は子供達と少し離れたところで、Kくんのお母さんとお話してました。
「うちね、○○中はダメだったの」
「あ、うん…さっき、T君から聞いた」
「長男くんは受かってたんだよね?」
「えっ…?」
「Kが長男くんの受験番号覚えててね。合格発表見て、あいつは受かってるって言ってたの」
私は一気に涙が溢れ出てきました。
K君はどんな気持ちで長男の番号を見ていたのだろう…?
まだ小学生の子供達に
受験は何て残酷な…
合否がはっきり出るのはわかっていました
ですが現実は思っていた以上に酷でした
「Kは第二志望の方は合格していてね、少し遠いけどそこに決めようと思ってるの」
第二志望校、長男は落としてました
実力はみんな拮抗していて
第三志望くらいまではどの学校も同じような偏差値帯で
どこが受かってどこが落ちるのか
それは紙一重
問題の相性とその時のコンディションと
一緒に○○中に行こうって
みんなで励まして合って
あんなに頑張っていたのに…
みんな
バラバラになってしまいました
12月の模試で
1人結果が悪くて落ち込んでいた長男にR君は黙ったまま、じゃがりこを奢ってくれたそうです。
1月校の入試に
インフルエンザで行けなくて、塾にも行けなくてショックを受けていた長男に、塾で張り出されていたテストの順位が良かったことをK君はお母さんを通じて教えてくれました。
長男にとってかけがえのない友だった
一緒に行きたかった
みんなで仲良く通えたらどんなに良かっただろう…
「こんなこと言っていいのかわからないけど、K君は嫌かもしれないけど、…でも、…でも、これからも、中学になっても、ずっとあの子の友達でいてやって欲しいの…」
私はボロボロ涙を流しながら、K君のお母さんの腕を握りしめて、声を絞り出していました。
K君にとって○○中の受験は苦い思い出になるかもしれない。申し訳ないと思いながらも、でも言わずにはいられませんでした。
長男がやっと見つけた心を許し合える友達を、失いたくはなかったのです。
「もちろんよ…共に受験を戦った戦友じゃない」
K君のお母さんもまた泣きながら、そう答えてくれました。
嵐のような中学受験が終わり
春休みになって
K君とR君と子供達だけ3人で、一緒に遊びに行こうという話になりました。
春から中学生だし、少しくらいの遠出は大丈夫だろうと鎌倉まで足を伸ばしていました。
ここで3人はある約束をします。
「中学になってもさ、毎年最低1回は3人で集まって遊びに行こうぜ」
「うん、うん」
「でさ、中高は別々になったけど、6年後、大学でまた合流しない?」
「へぇ!」
「大学で合流かぁ」
「それ、いいな!」
6年後の誓い
今度こそ
3人一緒に通えることを夢見て
この話を聞いた時
私はまた涙を流していました。
この時、3人でどこの大学を受けるつもりだったのかは聞いていません。
それから毎年
夏休みや春休みに3人で会って、少し遠いところへ遊びに行くのが年中行事となりました。
みんな部活が忙しくて予定を合わせるのが難しかったのですが、中学の間は母たちが連絡を取り合ってスケジュールを決めて、高校になってからは自分達でLINEで連絡を取り合ってました。
高校2年の夏休みは
プールやサイクリングが楽しめるレジャー施設に遊びに行きました。
冬休みも会うつもりだったようですが、予定が合わず、高3の春休みはコロナ…
結局
会えないままに大学受験に突入します。
中学受験をしたのは2015年
それから6年
2021年の春
長男は大学に進学して
バイト先でR君と同じ高校だった子と一緒になりました。
このことがきっかけで長男はR君に連絡を取ってみました。
最後に会ったのは高2の夏
この時はまだ志望校の話なども何もしていませんでした。
R君は国立大が残念な結果で、浪人するのは嫌だからと、自宅から比較的近い私立大に通っていました。
K君からは夏休み前にふと、長男のところに連絡がありました。彼は再チャレンジを目指して浪人していました。
大学で合流しようという誓いは
なかなかドラマのようにうまくは行きませんでしたが
やはり中高6年間、別の学校で過ごしていると、考え方もそれぞれですよね。
ですが
年に1回は3人で会おうという約束は来年、K君の再チャレンジが完了するとまた再開されるかと思います。
もしかしたら
来年、K君は長男に合流してくれるかもしれません…
(あとがき)
いつか書きたいと思っていた長男の中学受験のお話ですが、6年後のそれぞれの進路を知ってようやく書くことができました。
書きながら当時のことを思い出して、何度も涙が溢れてきました。
まさかの展開だった長男の中学受験
6人の仲間全員がAかB判定だったのです。
みんな合格するはずの子達でした。
何が起こったのかと思いました。
合格者説明会の日、同じ塾の下の方のクラスから数名が逆転合格を果たして来ていました。
長男は「俺の友達みんなダメだったのに、どうしてこいつらがいるんだよ」と思ったそうです。
そんなこと思っちゃいけないんですけどね。
中学受験は残酷です。
ですが
R君もK君も進学した学校がすごく楽しいと、中高生活を満喫しておりました。
やはりご縁をいただいた学校が合う学校なんだと思います。
精一杯頑張ったみんな
それぞれの道で輝いていました
生涯の友として
これからも切磋琢磨していってほしいと願います…
↓長男が中学受験期に塾のテキスト以外に使用していたものです
算数が苦手で特に場合の数が苦手でした。大学になっても確率ができないそうです