忍者?相原家の古い墓石に【秋〇】の文字か…まさか陣羽織に九曜紋の会津藩【秋月梯次郎】と関係か… | 【相原 將人(通り名: 相原 将人)】所属芸能事務所は渋谷区渋谷二丁目の㈱STAGE

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相原家は千年の歴史ある毘沙門天の寺に【九曜紋付きの墓石が明治と明治以前の2つ】在ります。俺は戦国武将や藩主が使っていた九曜紋の継承者の1人で相原家本家の父親(長男)の子(次男)で千年の歴史ある京都の神社【晴明神社】の会員でもあります♪

チョキ

【名作過去ブログアンコール2014年11月】



ちょっと中古のマイカーで


相原家の古い墓石の

墓石に彫って有る


古~~~い文字に


何か【歴史の謎を解き明かす】


ヒントの文字が彫って無いか?


確認に行ってきました。



がその前に


相原家の墓石がある

寺に到着する


直前の曲がり角にある目印の店の商号or屋号が


(幼少の頃から気にせず普通に通りすぎ、今まで全く気にしなかったが)


なんと


【戸田】!!


戸田は【美濃:大垣藩】藩主の名字でもある!!

w(゜o゜)w


これだけでも


相原家の家紋【九曜紋】は大垣藩の【九曜紋】との共通性を感じますが


(詳しくは1話前の過去ブログ


【御先祖様忍者?【家紋の本】…【相原家の墓石に刻まれた九曜紋】……】参照)


さらに大垣藩と江戸を結ぶラインを延長した場合

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九曜家の【大垣藩】と


同じ九曜紋の【土浦藩】の間に

江戸城が存在!?

写真↓

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これは


【仙台藩】(伊達正宗の軍師【片倉小十郎】の家紋)や


【会津藩】(会津武家屋敷の家紋や秋月梯次郎の陣羽織に有る家紋)



【相馬中村藩】(相馬家家紋)

等の


東北地方の武将・武士達にも好まれ使われた


九曜紋の広まりが



【土浦藩】の九曜紋に何かしらのヒントがあるのかも知れない!!


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そして本題の新たなる大発見!!


【甲州屋と九曜紋】の印(しるし)が刻まれた

相原家の古い方の墓石に

細かく刻まれた文字を肉眼黙視で


よく読んで見たところ



風化して、欠けた九曜家紋の近くに


【秋月】か【秋日】らしい文字を発見!!


(ちなみに欠けた九曜紋は3つの小さな丸で解りづらいですが…

欠けた3つの丸の3時の場所と6時の場所が90°なので、それを理解すれば直ぐに正真正銘【九曜紋】と解ります♪)



ちょっと話しがそれましたが



その墓石の九曜紋の近くに刻まれた【秋月】か【秋日】らしい文字は



もしやあの会津藩で有名な

【陣羽織に九曜紋】の


【秋月梯次郎】と何かしらの因果・関係が有るのか……


その決定的な墓石に刻まれた【秋月】か【秋日】らしい文字を写真に撮ってきました!!


これです!!


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以上が


九曜紋の継承者で甲州屋の子孫【相原家】の次男で


御縁が逢って京都西陣【晴明神社の崇敬会】会員でもある


相原将人の


真実のレーポートでした!!

(`´)ゞ
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後書き


【もう1つの決定的写真】


風化の凄い相原家の墓石

(甲州屋の下の線香立てに【相原】の文字が刻まれています)


その隣にある


明治時代に建てられた相原家の墓石


(明治の文字がくっきりといくつも刻まれています)

例えば、江戸時代に公儀隠密を職業とした人達も


欧米列強と足並みを揃える為に

新生【明治政府】が行った

【士・農・工・商】の身分制度の廃止により

(武士はマゲを切り落とし、刀を返上)


徳川将軍下の公儀隠密業はなくなり


公儀隠密っぽい武将・武士の家紋と甲州屋(忍者屋敷?)を刻んだ



相原家の古い墓石から



明治時代の新しい墓石の土台には

【甲州屋】ではなく


堂々と【相原】の名字を


大きく彫ったと考えられます。

写真

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そして秋月梯次郎の陣羽織写真



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もしや同じ江戸時代に


同じ九曜紋で


太陽と月を表す


【秋月】と【秋日】という

陰陽道の対極名


もしくは戒名


または忍者ネーム【甲州屋か…甲州屋の秋月か…甲州屋の秋日!!】

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以上。

※参考文献

①宝島社:TJmook
【家紋の本】


②学研
歴史群像シリーズ56

【幕末 剣心伝】
青き志と赤き血潮の肖像


③株式会社英和出版社

まるごとわかる【江戸三百藩】繁栄と没落…全国諸藩260年の歴史


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最後に

「九曜紋は、北は東北から

南は九州まで、武将・武士に好んで使われた痕跡が有りますが

(江戸時代以前の蝦夷地=アイヌの地の北海道や琉球=沖縄わまだ知識不足で解りませが)


アジア大陸から見ての北東の【牛寅=鬼門】の位置にあると言われる日本列島を守る


インド発祥の鬼門封印守護マークのようではないか




俺は個人的に推理想像しています。」

相原将人


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九州の細川九曜紋↑
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岩手県の獅子舞にある九曜紋


忍者は敵に追われ死ぬとき顔を焼き誰か解らなくした




昔何かで見聞きした覚えが有りますが


相原家の古い墓石の九曜紋の3/4が消え(消され?)


線香立ての相原の文字の真ん中に横一文字が入り



【甲州屋】の文字だけが大きく、くっきりと残されているのは


「徳川忍者・服部半蔵一派らしい幕府側の【甲州屋の相原】が



尊皇維新軍(新生明治政府)に敗れたからか!?



もしくは


徳川家の江戸幕府時代(約250年)の長きにわたり


相原としてでは無く、忍者【甲州屋】として人生をまっとうした相原家を表現したのが



【相原家の墓石】であり



日本国の【実在した忍者の歴史上貴重な資料】なのかも知れない!!」



ちなみに幕末の大垣藩は


江戸幕府側(佐幕派)から

新世明治政府側(新政府派)に付いて


明治維新を戦ったと文献に記載が有りました。


以上