【映画】「それでもボクはやってない」いやなんか暗ーい気持ちになったゎ... | 人生にドラマを!~トコの海外ドラマ日記

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海外ドラマ(主に米国もの)を中心に感想などを書き連ねます。
読書や映画鑑賞も好きなので、たまにそんな話もします。
一応それなりに気を使ってはいますが、レビューはネタバレを含みますので、何卒ご了承ください。

映画評「それでもボクはやってない」です。

昨日、WOWOWでやっていました。

半沢直樹をオンタイムで観た後、22:30頃から視聴しました。


観終わってまず思ったことは、「とりあえず電車に乗るのはやめた方がいいんじゃないかな。」てことです。


ストーリーの要旨はこんな感じ。

ある若いフリーターの男が就職の面接に行くため、満員電車に乗った。

降りた駅で女子中学生からスーツの腕先をつかまれ、痴漢したと言われる。

そのまま警察に連れて行かれ、拘留。

当番弁護士には「否認すれば拘置所暮らし。有罪率は99.9%。無罪は千人に一人。示談で済むような事件を裁判で争ったって何もいいことなんてない」と事実上、自白を勧めるような物言いをされるが、引き続き否認。

フリーターの男は結局、起訴され、裁判になる...


私が一番、おいおいウソだろ、、、と思った瞬間は、多分、加瀬亮くん演じるフリーターの男が同じように思った瞬間と同じだと思いますが、裁判官が変わった場面です。


当初の担当裁判官は、フリーター男の目線で言えば、ちょっと期待できそうな人でした。

劇中、その裁判官と司法修習生とのこんなやり取りが描かれます。


裁判官「刑事裁判の最大の使命はなんだと思いますか?」

修習生たち「公平さ?」「公平らしさ?(笑」

裁判官「最大の使命は、無実の人を罰してはならない、ということなんです」


その言葉を聞いて、我々見ている側は、「ああ、この人ならきっと、我々が望むような判決を出してくれるだろう」と思うわけです。


ところがなんと、この裁判官が途中で交代してしまいます。

漏れ聞こえてくるところによると、当該裁判官は「無罪判決」を2回を出したことで、検察当局、というより国家権力を的側にまわし、左遷されたのではないか、ということでした。


なるほど、裁判官が無罪判決を出すことは、国家権力へ楯つくことであり、いわば反逆行為ととられ、力を奪われてしまう危険まであることのようです。


劇中でも「傍聴オタク」の一人がこんなことを言います。

「裁判官が無罪判決を書くには、大変な勇気と能力が必要なんです」


このような物語展開を見て、ただ漠然と司法の良心を信じていた善良な市民は、正直、呆気にとられるでしょうね。

裁判所が自分を守ってくれないとしたら、たまたま居所やタイミングが悪くて冤罪加害者となってしまった自分を、いったい誰が守ってくれるのでしょうか。


この映画では、別の痴漢事件で冤罪を主張している加害者の一人が、主人公を支援してくれます。その力はとても大きく、弁護士たちの活動と同様に、主人公を勇気づけてくれます。

何と言ってもその人たちとのビラまき活動のおかげで、重要な目撃者が見つかるのです!

そのシーンでは、私も含めて観ているみんなが、胸をなでおろしたと思います。


現実はそう甘くはないんだよ、ということを教えてくれる、衝撃的な結末も知らずに...


この映画は後味がよいものでは決してありません。

でもこの映画の重要な問題提起は、普通に今を生きる一般社会人であれば、誰もが観ておくべきものをはらんでいます。


あるとき、周防監督がこんなエピソードを語っていました。

映画の製作後、監督は2人の痴漢事件の冤罪加害者が「あの映画を見ていたので自白して出てきました」という話を知人を通して聞いた、ということです。

監督は冗談交じりに「僕は,一体どういう映画を作ったのだろうかと思いました」と語っています。

笑うに笑えない現実があるのです。


▼引用元「日本裁判官ネットワーク」のホームページより

http://www.j-j-n.com/opinion/s_reikai2007/index.html



本題からはかなり離れますが、映画では、主人公を弁護してくれる刑事弁護士を紹介してくれる民事弁護士のオフィスとして六本木一丁目の泉ガーデンタワーが映し出されます。

確かにあのオフィスビルには有名な大手法律事務所が入っていますよね。

民事事件を扱っている大手の煌びやかな事務所と、役所広司扮する刑事弁護士の事務所の雑然とした古い事務所のコントラストもまた、感慨深いものがあります。



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