『萬葉集』を巡る その十三【城陽市】 | TOSHI‘s diary

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前回の続きとなります。

『萬葉集』を巡る その十二【城陽市】 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

もしよろしければ前半の記事もご覧くだされば幸いです。

 

では早速始めていきましょう。

 

 

【万葉集1870】

春雨(はるさめ)は (いた)くな()りそ 櫻花(さくらばな) いまだ()なくに ()らまく()しも

春雨者 甚勿零 櫻花 未見尒 散卷惜毛

春雨はひどく降るな。桜の花を未だ見ていないことだのに。散るようなことがあれば惜しいことよ。

 

 

【万葉集142】

(いへ)にあれば ()()(いひ)を 草枕(くさまくら) (たび)にしあれば (しひ)()()

家有者 笥尒盛飯乎 草枕 旅尒之有者 椎之葉尒盛

家にいたなら食器に盛って食べる飯だのに、草を枕とする旅の身なので、椎の葉に盛ることだ。

 

 

【万葉集3872】

わが(かど)の ()()もり()む 百千鳥(ももちどり) 千鳥(ちどり)()れど (きみ)()まさぬ

吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 千鳥者雖來 君曾不來座

わが家の門の榎の実をついばんで食べるたくさんな鳥、鳥はたくさん来るけれどあなたはいらっしゃらない。

 

 

【万葉集2965】

(つるばみ)の (あはせ)(ころも) (うら)にせば われ()ひめやも (きみ)()まさぬ

橡之 袷衣 裏尒爲者 吾將強八方 君之不來座

橡の袷の衣を裏返しにするような態度なら、たって来てほしいとは私はどうしていおう。――それにしてもあなたはいらっしゃらない。

 

 

【万葉集3424】

下毛野(しもつけの) 美可母(みかも)(やま)の 小楢(こなら)のす ま(ぐは)()ろは ()()()たむ

之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟

下野の三毳(みかも)の山にはえる小楢のように美しいあの子は、どんな男を夫として笥をもつのだろう。

 

 

【万葉集231】

高圓(たかまと)の 野邊(のへ)秋萩(あきはぎ) いたづらに ()きか()るらむ ()人無(ひとな)しに

高圓之 野邊秋芽子 徒 開香將散 見人無尒

高円山の野のほとりの秋萩は咲いて散っているだろうか、見るべき人のなくなった後も。

 

 

【万葉集1472】

霍公鳥(ほととぎす) 來鳴(きな)(とよ)もす ()(はな)の (とも)にや()しと ()はましものを

霍公鳥 來鳴令響 宇乃花能 共也來之登 問麻思物乎

霍公鳥がやって来ては鳴き声を響かせる。卯の花の開花とともにやって来たのかと問いたいことだ。

 

 

【万葉集3832】

(からたち)の 棘原刈(うばらか)()け 倉立(くらた)てむ 屎遠(くそとほ)くまれ 櫛造(くしつく)刀自(とじ)

枳 棘原苅除曾氣 倉將立 屎遠麻禮 櫛造刀自

枳のいばらを刈りとって倉を立てよう。屎は遠くにしてくれ、櫛を造るおばさんよ。

 

 

【万葉集1860】

花咲(はなさ)きて ()()らずとも (なが)()に (おも)ほゆるかも 山吹(やまぶき)(はな)

花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花

花が咲くだけで実はならぬとしても、早くから毎日待ち遠しく思われることだ。山吹の花よ。

 

 

【万葉集96】

薦刈(こもか)る 信濃(しなの)眞弓(まゆみ) わが()かば 貴人(うまひと)さびて いなと()はむかも

水薦苅 信濃乃眞弓 吾引者 宇眞人佐備而 不欲常將言可聞

み薦を刈る信濃特産のあの弓を引くように、あなたの心を引いたなら、あなたは淑女らしくいやだとおっしゃるでしょうか。

 

 

 

【万葉集1687】

白鳥(しらとり)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 松蔭(まつかげ)に 宿(やど)りて()かな ()()()くを

白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎

 

 

【万葉集1707】

山城(やましろ)の 久世(くせ)鷺坂(さぎさか) 神代(かみよ)より (はる)ははりつつ (あき)()りけり

山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来

 

 

【万葉集1694】

細領巾(たくひれ)の 鷺坂山(さぎさかやま)の 白躑躅(しらつつじ) われににほはね (いも)(しめ)さむ

細比禮乃 鷺坂山 白管自 吾尒尼保波尼 妹尒示

 

 

【万葉集1286】

山城(やましろ)の 久世(くせ)(やしろ)の (くさ)手折(たを)りそ  わが(とき)と (たち)(さか)ゆとも (くさ)手折(たを)りそ

開木代 來背社 草勿手折  己時 立雖榮  草勿手折

 

 

【万葉集2362】

山城(やましろ)の 久世(くせ)若子(わくご)が ()しというわれを  あふさわに (われ)()しという 山城(やましろ)久世(くせ)

開木代 來背若子 欲云餘  相狹丸 吾欲云 開木代來背

 

 

【万葉集2403】

玉久世(たまくせ)の (きよ)河原(かはら)に 身祓(みそぎ)して (いは)(いのち)は (いも)(ため)こそ

玉久世 清川原 身祓爲 齋命 妹爲

 

 

和歌の紹介は以上になります。

ここから少し訪れた正道官衙遺跡(しょうどうかんがいせき)について書いていきましょう。

 

 

実はこの時まあまあ子どもが多くて、遠目からこの遺跡しか撮れませんでした。

Wikipediaのリンクを貼っておくのでもしよろしければご覧くださいませ。

正道官衙遺跡 - Wikipedia

 

 

公園内にある丘には説明が書かれた看板がありました。

全景の再現イラストがあり、かなり広かったことがわかります。

こういった郡庁舎が全国にあったのかもしれません。

 

 

 

奈良時代の郡司をアニメチックに描いた看板がありました。

当時はこういった人たちがここで働いていたのだろうというイメージが湧いてきます。

 

 

正道官衙遺跡の位置をグーグルマップに書き込んでみました。

城陽駅から徒歩で行ける距離なので、立ち寄ってみるのにちょうど良いかもしれません。

 

 

今回は以上になります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

今後もたくさん万葉集の聖地巡礼をしたいと思っているので、よかったらご覧くださいませ。

ではでは皆さんまたお会いしましょう。