『萬葉集』を巡る その六 | TOSHI's diary

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明日香村の冒険の続きになります。

『萬葉集』を巡る その五 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

 

ここから一気に量が増えますが、よかったら最後まで見ていただけると幸いです。

 

 

冒険の基本アイテムとなる地図をゲットしました。

万葉文化館で手に入ると聞いていたのですが閉まっていたので、

いろいろと巡り巡って飛鳥駅で手に入りました。

万葉歌碑マップがあれば冒険もスムーズにいくはず。

 

飛鳥駅まで来たのでこの駅から近い順番に巡っていくことにしました。

 

 

 

歌碑を探してうろうろしていたところ、鬼の雪隠なるものを発見。

便器みたいな形からそう呼ばれているのでしょうか。元々石室の一部らしいです。

 

 

 

【万葉集1109】

佐檜乃熊 檜隈川之 瀬乎早 君之手取者 將縁言毳

佐檜(さひ)(くま) 檜隈川(ひのくまがは)の ()(はや)み (きみ)手取(てと)らば 言寄(ことよ)せむかも

 

鬼の雪隠のすぐ近くにある万葉歌碑です。

歌碑の最後に「孝書」と書かれてあるのがおわかりかと思います。

万葉集を研究している方なら聞いたことがあるであろう、

国文学者の犬養孝先生が書かれたものだということです。

これより「孝書」と書かれた歌碑が多く登場しますので、ぜひともご覧ください。

重要なことなのでご紹介しました。

 

 

 

 

【万葉集2550】

立念 居毛曾念 紅之 赤裳下引 去之儀乎

()ちて思ひ ()てもそ(おも)ふ (くれなゐ)の 赤裳裾引(あかもすそひ)き ()にし姿(すがた)

 

高松塚古墳の前に歌碑がありました。

「立ちて思ひ」のふりがなが「(おも)ひ」と「()ひ」のどちらなのかわかりません。

どちらも成立するのと、意味は変わらないのでどちらでも良さそうです。

とりあえずはそこだけルビを空白にしておきました。

 

 

【万葉集210】

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し 走り出の 堤に立てる 槻の木の

こちごちの枝の 春の葉の 繁きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし

兒らにはあれど 世の中を 背きし得ねば かぎろひの もゆる荒野に 白妙の

天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が

形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男じもの

わき挟み持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕づく つま屋の内に 昼はも

うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども

逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば

岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる

ほのかにだにも 見えなく思へば

 

すみません長歌はルビと原文を打ち込むのがしんどいので省略させてください……。

さまざまな訓が推定されていますが、今回は歌碑に従って書かせていただきました。

 

ところで飛鳥駅から近い順に回っているわけですが、

撮影できなかった万葉歌碑が三か所飛んでしまいました。

一つは敷地内、一つは小学校内、もう一つは見つかりませんでした。

なので必ずしも全ての万葉歌碑を紹介できないということを、

改めて明記しておかなければなりません。

 

 

 

【万葉集3850】

世間之 繁借廬尒 住々而 將至國之 多附不知聞

世間(よのなか)の (しげ)假廬(かりほ)に ()()みて (いた)らむ(くに)の たづき()らずも

 

すごくどうでもいいことであれですが、私がおもいっきり写ってしまっていますね(^^💦

私のことは見ないでどうか歌碑をご覧くださいませm(__)m

 

 

 

【万葉集3267】

明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 因来鴨

明日香川(あすかがは) 瀬瀬(せせ)珠藻(たまも)の うち(なび)き (こころ)(いも)に ()りにけるかも

 

またすごくどうでもいいことであれですが、私がおもいっきり写ってしまっていますね(^^💦

私のことは見ないでどうか歌碑をご覧くださいませm(__)m

 

 

 

 

 

【万葉集1709】

御食向(みけむか)ふ 南淵山(みなふちやま)の (いはほ)には ()りしはだれか ()(のこ)りたる

御食向 南淵山之 巌者 落波太列可 削遺有

 

こちらの歌は歌碑が二か所あって、一つは坂田寺跡、もう一つは石舞台古墳近くにあります。

南淵山は飛鳥時代には神聖な山として崇められていたらしいです。

 

 

 

【万葉集1380】

明日香川(あすかがは) 瀬々(せせ)玉藻(たまも)は ()いたれど しがらみあれば (なび)きあはなくに

明日香川 湍瀬爾玉藻者 雖生有 四賀良美有者 靡不相

 

解説の看板がなかったので大意を付け加えておきます。

明日香川の瀬ごとに玉藻は生えているが、邪魔なしがらみがあるのでなびき寄せることもできない。

 

々のところに修正した形跡が残っていますね。

どちらでも意味は同じなので無理に修正しなくても良かったような……。

すみません余計なことを言ってしまいましたね。

 

 

 

 

 

【万葉集1366】

明日香川 七瀬之不行尒 住鳥毛 意有社 波不立目

明日香川(あすかがは) 七瀬(ななせ)(よど)に ()(とり)も (こころ)あれこそ 波立(なみた)てざらめ

 

今は田んぼに囲まれた空き地のようですが、かつてはここに宮殿があったらしいです。

その空き地のようなところに石碑が残されていました。

 

 

 

 

【万葉集51】

婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久

采女(うねめ)の 袖吹(そでふ)(かへ)す 明日香風(あすかかぜ) (みやこ)(とほ)み いたづらに()

 

大意

采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠くなったので、ただ空しく吹いている。

 

一見すると田んぼに囲まれた広場のようですが、かつて飛鳥宮があった遺跡です。

遷都して寂れてしまった情景から生まれた歌なのかもしれません。

 

 

ここまでいくつか「孝書」と書かれた歌碑をご紹介しました。

次回はその犬養孝先生についてお話ししたいと思っております。

またご覧くだされば幸いです。

 

今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではでは皆さんまたお会いしましょう。