科学者の日記110525 縦割り:子供の立場は誰が?

















































































(平成23525日 午後5時 執筆)


そしてそれを通じて、「他人を痛めても、自分だけ得をすればよい」という社会から、「他人の痛みが分かる、誠実みのある社会」に近づけたい.


そのために、120ミリなどと文部大臣が言っても、それを「無視して、子供達のために11ミリ」を守る活動を続けたい.


私はこのような歪んだ日本社会を元に戻したいと思う.人間としての心を持ち、他人の健康に気を配り、高潔な魂を持つ人たちの住む国で暮らしたいと願う.


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だから、政府の高官が「健康に影響はない」と連呼して、家族を遠くに待避させていたのは「教育の成果」なのだ。


今の大人は「自分だけ良ければ良い」という教育を徹底的に受けてきている.政府が120ミリまでOKといえばしめたもので、他人の子供が被曝しようが関係ないと言う教育を私たちはしてきた。


私は教育基本法にあると思う.


縦割り社会が続き、なんとか言い訳できれば責任をとらされないという習慣が身につき、「誰のための限度」なのかが判らなくなっているのだろうか?


だれも、子供を守ろうとしない? なぜだろうか?


また、いくら縦割り行政でも、同時に国民の一人だから、文科省の役人は農水省の基準を知っているはずだ。


被曝量の計算ができないことはないはずだ。文科省の役人は国家試験を通っているのだから、算数はできるはずだ。


日本の大人はどうしたのだろうか?


今まで発がん性物質などに神経を配っていた人たちも、子供達に年間150ミリシーベルト相当の被曝をさせても「安全」と言う.


という大合唱である。


「被曝しても安全だ、放射性物質の含まれている野菜も安全だ.自分だけ助かろうとするのは汚い。」


地方自治体はもちろん、どこでもかしこでも、


日本の大人はどうしたのだろうか?


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かくして、国家を信じた親のもとで育つ子供は1年に50ミリシーベルトまで「安全」とされて被曝する。放射線防護学では、大人と子供の感度は3倍とされているので、大人として150ミリの被曝と同じになる。


農水省の仕事は、農作物を買う消費者や子供の被曝など問題では無く、農家を守ることだ。」


文科省は学校の運動場での被曝を決めるだろうが、そんなのは農水省とは関係がない。


スーパーや生協はどうせ子供の被曝量は計算しないだろうから、基準を300ベクレルと決めておけば、それ以下は「安全だ」と言って販売するだろう.


「子供は学校では被曝しない。だから、食材と水で120ミリシーベルトで基準を作ればよい。


農水大臣は、


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と言う。


教育とは上から強制して教えるのだから、子供達の立場など立たなくて良い。文句を言ってくる保護者はすべて「モンスター」と言って追い返せ」


文科省はあくまで学校での被曝だけで20ミリで良いのだ。結果として子供達がどのぐらい被曝しても、それは縦割り行政の原則があるので、計算しなくてもよい。


農水省が「地産地消」とか言って福島の子供達に福島の野菜を食べさせるだろうが、それは文科省の管轄ではない.


また子供は食事をしないし、水も飲まないし、砂埃もかぶらないから、すべてゼロにして良い。


子供は学校から帰ると、外には出ないから、学校以外は家の中に閉じこもっているとして、0.4を乗じて良い。


「子供の被曝限度を、法律で定めた(大人の)11ミリの20倍にして、1年間に20ミリまでとする。


文部大臣は次のように考えている。


基準を見ると水道以外は「自分の職務範囲」だけで被曝限度になるように計算をしている.


でも、どうもそうなっていない。放射線の被曝を受ける子供の立場になった計算を見たことがない。


食材の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守る」ためである.


子供の被曝限度を定める理由は、「できるだけ多く被曝させる」のではなく、「子供を被曝から守る」ためである.




武田邦彦