京都伏見は深草の銘店、うまいもん工房 喜太呂。
まだ昭和の雰囲気がところどころに残る小さな町に
37年営み続けてる、居酒屋 喜太呂。
自分が幼いころ育った町であり、この小さな店の奥が自分ん家でもありました。
この店を母親とふたりできりもりしてた時期があったんですが
不景気の波に勝てず自分が勤めに出た今でも
母親1人で頑張っています。
喜太呂のお客さんにはいろんな肩書きの人がたくさんいました。
学生から会社の社長、大学の学長、近所の主婦やおばちゃん
元やくざのおっちゃんに刑事課長・・・
本当にいろんなひとが集まる店です・・・・
っていうか店でした。
自分がやってたときは若い世代のお客さんも増えてきてたんですが
やはり大半は母親と同世代の人たちが多く
お客さんも母親のパーソナリティーで通ってくれてたんだなあと思います。
そんな母親と同世代のお客さんも会社の定年をむかえ
故郷へ帰っていく人も多く
夕食代わりに毎日通ってくれてたお客さんも激減
こないだも喜太呂に顔を出してみたんですが
なんか寂しい感じになっていました。
そこで1つもって帰ってきたものがあります
バカラのタンブラーです
自分がやっていた当時、焼酎や果実酒ブームというのもあって
お客さんにはその日の気分やお客さんのキャラにあわせてグラスをチョイスしてました。
ある時は信楽焼き、この人には琉球ガラス・・
といったふうに・・
たとえば23年モノの梅酒や
芋焼酎、森伊蔵
麦焼酎、百年の孤独
こういったプレミア焼酎なんかにはいつもバカラを使っていました。
1脚1万円くらいはするのでお客さんは大満足されることが多かったです。
しかもエッチングといってグラスの底に彫刻をしていたので
しっかり店のPRも忘れません
そういった細かい気配りがお客さんを次回へとつなげるものだと信じていました。
そんな喜太呂のもっとも古いお客さんの1人
熊ちゃん。
熊ちゃんといっても自分の父親と同世代の人なんですが
自分が鼻水を垂れてた子供の時からの常連さんで
ほぼ毎日喜太呂によってくれていました。。
そんな熊ちゃんが先日亡くなったそうです。
生涯独身・・・
最期は孤独死だったと聞きました。
いつも日替わりの食事に
ビール大ビン2本・・・
閉店前にはお勘定
常連ぶってわがままを言うわけでも無く、
すごくきれいなお酒の飲み方をする人でした。
だから父も母もすごくショックをうけています・・・
深草の銘店にはいろんな思い出、たくさんの歴史がつまってます。
そんな今日はバカラでCAMUSをいただきました。
ありがとうございました・・ くまさきさん・・・