北ベトナムは当時ロシア・・・いやソ連のもとにあった共産圏だったことは前に書いた記者アーネット氏が語った通り。
後に英雄となるホー・チー・ミンまたはホー・チミン(Ho Chi minc/胡志明)は徹底抗戦を決意し、日本やフランスなど敵を次々と撤退させていた。
↑手を振って歩くゴ・ディン・ジェム(Ngo Dinh Diem)大統領
一方の南ベトナムではアメリカが介入した不正選挙により、民主的な思想を持つゴ・ディン・ジェムを支持し1955年に大統領になり、敗れたバオ・ダイ(Bao Dai/保大)は退くこととなる。
住民より票数の方が多かったが、アメリカは彼を支援し共産圏拡大を防ぐことを目論んだ。
しかしジェムはカトリック信者なのだが過剰なまでに仏教を弾圧し始めた。
その弾圧への抗議に、1963年には焼身自殺する僧侶まで現れたほどである。
同年にジェムは仏教弾圧に抗議する反ジェム集団のクーデターによって暗殺された。
アメリカはベトコンを、ベトナム人の誇りを見くびっていた。
ホー・チミンは再び徹底抗戦を決意し、得意のゲリラ戦でアメリカ軍を追いつめて行く。
アメリカ兵士の多くは、父親が第二次大戦で活躍していたように語られている。
しかしベトナムはヨーロッパとは全く違った。
他にも「戦場の真実」での沖縄戦における米軍の苦労も語られている。見知らぬ土地での戦いは多くの死者を生み、ぬかるみから感染症になった兵士が多くいて苦しみながら死んでいったと語っている。
ベトナム戦争も同じで、見知らぬ土地で長期間、よくわからない理由で戦い多くの仲間を失っていくうちに精神に異常をきたしていった。
ベトコンをいくら殺しても、また補充される恐ろしさ。
南ベトナムまでも空爆し始める精神異常は戦争そのものと兵士の苦悩を物語っている。
同じくベトコンには少年も多く含まれており、いかに抵抗の戦争が残酷かを物語っているのだ。