かつて、ディスカバリーチャンネルで「戦場の真実」という番組があった。
様々な戦争の現実を、当時の映像や帰還兵、学者の話で振り返るもので兵士の辛さが身に染みる内容になっている。
30分番組だが、様々な記憶が凝縮されている。
多くの死者とPTSD(心的外傷)の被害者をアメリカ人にも植えつけたベトナム戦争に青春を奪われた彼らの話を一部書いていく。
そのむごさが、この一部の証言だけでも伝わってくる。
毎年、アメリカのワシントンDCにはベトナム戦争の帰還兵が集まり、当時を振り返ったり黙とうする兵士による集会が行われている。
ごく一部の人だけが、当時のことを話してくれた。4人の証言の一部を記憶する。
名前とともに当時の所属や何年にベトナムにいたかも書かれている。彼の場合は1965年とある。
「1950年代は愛国心がもてはやされた時代で、国のために戦うのは当然でした。
ベトナム戦争は、そうした幻想の産物です」
「ベトナムについての知識は、何もありませんでした。
私たちは理由もわからないまま、知らない国に行き、命がけで戦ったのです」
「アメリカにとって、ベトナム戦争は冷戦の一部でした。
共産主義の拡大阻止が戦いの目的だったのです。
南ベトナムの民主化や経済発展は、決して真の目的ではありませんでした」
「アメリカはベトナムの歴史に無関心でした。60年代にベトナムで会った多くの米国軍人は、フランスの敗戦にも関心を持っていませんでした。
彼らにとっては、簡単に勝利を収められるはずの戦争だったのです」
「米国にとってはベトコンとの戦いは、それまで経験したことのない戦争となりました。しかも米国指揮官は彼らを見下していたのです。
空挺部隊ウィリアムソン准将は、彼らを臆病者と呼びました。"ベトコンは昼は姿を見せず、夜になると不意打ちをしてくる。敵が大勢だと逃げ出す"とね」
「彼らはゴムで作ったサンダルで、どこでも歩き回っていました。
教育水準が低く、生活環境も異なる彼らを、私たちは完全に見くびっていました。
しかし実際の彼らの戦闘能力は、予想を超えたものでした」
命がけで見知らぬ地で戦いを強いられ、心に深い傷を負い、社会生活が成り立たなくなった人もいたと言う。
こうして証言してくれる帰還兵も、後に書く予定の記事ではあるがショックな経験をも語ってくれている。
アメリカの普通の若者が、戦争に駆り出されたあの頃。
一体誰が彼らの傷を本当に癒すのだろうか?