養老孟司・藻谷浩介「日本の進む道 - 成長とは何だったのか」(2023) | 北条得宗家の鎌倉めぐり

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鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

最初は以前に出版された共著『日本の大問題 - 現在をどう生きるか』(2016)の続きかと思ってしまった。去る2023222日に立憲民主党本部において政調勉強会が開かれ、養老孟司教授や天野礼子氏や藻谷浩介氏らが招かれた。そのことが、私が休日を出してまで見たかった長谷寺の梅を堪能した日に立憲民主党のホームページにて出されている。養老孟司教授って保守派で自民党応援団ではなかったのか。どっちでもいいんだけど、後々が大変になるから、やっぱり旧民主党の経験は無駄ではなかったと思う。

 

 

その福島第一原子力発電所と同じく、コロナも一旦、蔓延したら防ぎきれない。養老孟司教授の「いい加減にして欲しい」に思わず顔が綻んでしまった。私はサトリ世代であり、シラケ世代でも団塊ジュニア世代でもないから、それ以前の高度経済成長期やオイルショックのことについては、私にとっては机上の空論であり、体験をしていない。従って知るまでには至らず。皆さんは私が単純だと思い込んでいる人もいるかもしれないが、人と言うのは、そうそう単純ではない。サトリ世代はサッとお金を出さない。

 

 

例えば怒るという仕草が出たとする。今現在の日本人は無関心だから「あいつが勝手に怒っている」としか思っていない。ただ状況がそうさせていることは確実で、こういうことを日本では以前から「空気を読む」と言った。空気がそうさせていることもまた否めない。お金になると必死こいてケチになり、なぜ政府がもっと配らないんだ!と選挙に行かない人が文句を言う。そういうこともまた空気の読めない人が増えてしまった。アメリカや中国に追随する必要はなくとも、少しは考える癖を付けたら良いのだ。

 

 

やはり経済の問題から入る。現在はぶっちゃけて言うと、経済代表の欧州と政治代表のロシアとの戦いに見えなくもない。日本は経済発展していない。だから国連で「経済発展しなければ脱炭酸になって効率がいい。ケシカラン」と発表するのは構わないが、ここは本音を言ってはいけない。でも、その方がいいに決まっている。プーチンもトランプも私的には飽きてしまった感も否めない。日本では経済発展を高らかに宣言するけど小泉純一郎は、本当は格差があった方が余力が出ると見ていた。恐らく分かっていたんだろう。あの時には、すでに経済成長など出来ないことは見越されていた。安倍晋三の時の経済成長率は落ち込みの一途を辿った。株を持っている人だけが儲かる。それはどういうことか?というと誰かから奪っている。収奪こそ経済成長の本当の姿だ。

 

 

お金を持っている人こそ才能があって偉い。アメリカはそういう国だと。養老孟司教授がオーストラリアに留学した時にユダヤ人も実は、そんな感じだった。でも日本は違うと。しかし、これ一つ付け加えると日本は未だお金に縛られ、年齢を重ねるたびに知識豊富な人が偉くて、みたいな空気があって、私の感覚から言うと、年齢を重ねたら偉い訳ではない。ボーっとして他人任せの怠け者であれば生きている意味はない。そうやって意味付けしているから、いい歳こいた中高年でも自己愛を発揮してブログなどで自己主張と自慢を繰り返す。話というのはするのではなく聞くもの。ブログは、大抵そうだけど常識的な使い方が出来ていない。

 

 

自分のために働く。

古臭い時代を皆さんとともに。

 

先日も「姉上、経済とは何ですか?マクロ経済とは?」などと言って割とマトモな答えは返って来るが、政治の話になるとズレていて頓珍漢なことを言い始める。私は反対で政治の話になるとマトモなことを言い出し、経済の話になると疎い。だから政治と経済は双方とも両立しない。姉に「早稲田大学政治経済学部で勉強したんだろゴルァ!」と言っても政治学科と経済学科は同じ学部でありつつ本当は双方とも人間にとって不可欠なものとは言い切れない。政治が強くなれば経済は弱くなり、経済が強くなれば政治は弱くなる。そもそも政治とは日本では千年、自民党らしくしてきた。道徳も「われらの日本」などと書かれているのだそう。

 

 

南海トラフにおける東南海地震を養老孟司教授が今からでも心配している。最も予測されているのが15年後の2038年で101歳だから死んでいる、というのを前置きしたうえで、静岡県の浜名湖が「今切」と呼んで、海と繋がった場所に新幹線を通していることや、関東大震災で起きたトンネル事故などを教訓として作られていないことに警鐘を鳴らしている。リニアモーターカーはトンネルを通っているが、断層が左右にズレて曲がってしまう。そうなるとリニアモーターカーは、それ以降、通せないことになるだろうし、新潟県中越沖地震や東北地震などで新幹線は脱線しているため必ず安全とは言えない。室町時代中期の東南海地震を見返せば、そんなことは一目瞭然だということだ。静岡県知事はたまたま見越していたのかもしれない。復興には膨大な時間を要す。

 

 

自給自足に備えればいい。それぞれ地方が中心となって農業をやる。そうすれば食べ物に困らないが、現状は輸入しないと食べ物がない。つまり、お金がない限り食べ物にありつけない。それは大震災後のお金でない状況になった時に最も困る。農業をやっていれば発達障害なんて苦にならない。なぜ学校で発達障害が発見されるかと言うと、ああいう場所では大人しく座っていることが前提になっているから。もしかしてもクソもなく、発達障害というのは遺伝性が大きく、父親の遺伝子が80%を占めており、残りの20%が母親とかオジサンとかオバサンとかジイサンとかバアサンとか、になる訳だから昔からいた。突然変異などあり得ない。

 

 

皆さんは人間関係にとても苦しいでしょう?というのは昔から、よく言われる。日本の世間が不寛容で自殺させるように出来た世の中なのだ。他人のことは無関心。これはかなり前から言われていること。人間嫌いになっている。本当はインターネットの向こうにいるのはモンスターだと思っていないか。たいてい、よく分からない人同士というのは、完全に理解できる訳ではないのだ。

 

 

英語教育なら喋れればいいと思っている人が少なくない。あんなもの学年を早めたところで意味がない。では英語漬けの中に入れれば良いという人がいる。そういう単純な話ではない。つまり語学力を勘違いしている。本来なら話というのは、するものではなく聞くもの。一方的にぶちまけるの日本人ぐらい。英語の世界も同じで、口が動いて喋れることが最重要なのではなく、話す内容が肝心なのだ。だから国際機関に出ても話せる日本人は少ない。例えば私なら鎌倉で「サムライ」「ハラキリ」について欧米人に説明できれば、それがベストな訳で、だからこそ日本史もある程度、知っておかなければならない。そもそも日本の英語教育は暗記や知識が中心で会話を鍛える訓練をしていない。日本語は象形文字の漢字と表音文字の仮名を組み合わせた言語。まさにマンガの言語なのだ。言語の由来からして違う。さらに言えば高校生まで個性の発揮という落とし穴が社会に出て苦労する羽目になる。

 

 

良い教育とは、教育をしないこと。偏差値主義であり続けるためにバカが増えた。偏差値さえ良ければいい、勉強さえ出来ればいい、仕事さえ出来ればいい、この延長が、自分さえ良ければ性格が悪くてもいい。まして東大医学部に行く人は医療に興味のない人がたくさんいた。自分から興味を出さないと良い医者にはなれない。日本ではそれと同じで、みんなで考えれば大丈夫という逸話があるけどアベノミクスで経済はむしろ購買力が割も下がったにかかわらず誰も気づいていない。全員がこう言ってるから正しい。日本人は以前から意見を一致させないと現実を否定する傾向にある。今の自民党が「みんなで考える」を条件に横並びで一致させる政党なのだ。考えるというのは本来、一人でやるモノなのにね。しかも身体を使わないと本当のことはよく分からないのが現実世界なのだ。ガスや電気が止まった時、電気を起こせるのか。また地震待ちになるのか。そういうことを学びとして養わなければ成長出来ない。私も電車に乗る時にスマホなんて、よくやるよな~と思う。江ノ電なんて景色が見放題の学びがあるのに。

 

 

私が見直したのは鴨長明の「方丈記」と吉田兼好の「徒然草」だ。いわゆる随筆で現代人がインターネット妄想世界で喚き散らす日記帳みたいなものだけど、その現代とは明らかに違うのが世間。学校で習ってナントカというのは一緒だけど、やっぱり年齢を経てから改めて読み返さないと本当のことは分からない。また鎌倉に実際に足を運んでから読めば分かることも少なくない。川の流れから森が生い茂って、そこに大地震が来る。米が取れない大飢饉を経験。そういう内容が方丈記に書かれていて、そして徒然草には例えば、家は大きくなくていいとか、大きい家に住むと掃除が大変だとか、お金に目が眩むと税金がかかるだけだとか、あと食事は質素で構わないとか、まるで未来の東京、田園調布あたりの予想をしているかのような内容が徒然草に書かれている。そもそもお金を持って天国には行けない。だいたい随筆は日記と言っても現代人のような自己主張ではない。さて南海トラフ沖で大地震が発生したら一体、どうするのだろうか。みんな考えていないでしょう。東日本大震災級の東海地震と南海地震は必ず来る。

 

【ニューソース】

毎日新聞社・毎日新聞出版 公式サイト

プレジデント・オンライン 公式サイト

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