鎌倉フォトギャラリー 2022年末【北条氏と鎌倉殿の13人】 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

鎌倉散策や鎌倉散歩の様子の他に養老孟司教授の著書を中心として紹介

 

前回で鎌倉殿に関する散策を終えるはずが、終わらなかった。末広がりの8回目から9回目の鎌倉訪問となる。子連れバカ両親の皆さん、バカップルの皆さん、最後まで自己中にバカっぷりを楽しんでいることだろう。他人に指を差してはいけない。他人の不幸を笑ってはいけない。幼稚園児が教わることを現代人は大人になっても、いちいち教えてあげないと分からない。そんなもの自分で考えて行動するはずが、自分たちで行動できなくなってしまった。一億総幼児時代に一億総他責社会。アタマの悪いバカの増殖は別として、神仏に祈るしか今は出来ない。自分は絶対に正しいと思っている。それは心ではなく頭の中で思い込んでいる。心とは脳の機能。つまりバカの壁とは身体所作である。そういうことも一度、考えた方がいいのだ。好きなことだけをやるのでは、子供のまま。成熟拒否という病は治せるのだろか。相手に対するお世辞は嫌だ、自分さえ良ければいい、という自己愛の底上げなら、もうそこで精神面が異常なのである。ついこの前、鶴岡八幡宮で階段に座るなと注意されていた人がいた。今どき珍しいジベタリアンも登場。ああいうことされると邪魔で仕方ない。たまに疲れて座りたくなる気持ちは分からんでもないけど邪魔だよな。

 

【鶴岡八幡宮】

 

 

この前、姉とケンカした。いつもだが、年齢が近いと互いに口撃が激しくなる。男同士なら殴り合いのケンカになる。これも腕力ではなく脳の機能。訪問者が来て「おたくの早稲田大学は岸田文雄首相で有名になった」という余計な一言が入ったので私が思わず「広瀬健一だ!」と、つい言ってしまった。すかさず姉の「違う!」という突っ込みが入る。計算ですべてを証明するという人間の業の数々。理系作家の物江潤は現代におけるスマホが支配する社会をスマホ教と断罪した。そうだと思う。承認欲求の高い皆さんには分かるはずもないか。正解思考に囚われていることなのだが、自然の中では当てはまらない。中国では「君子、豹変す」と言って、より良い方法が他にあるなら、伝統など保守的な思想のすべてを捨ててしまうことを言う。だが日本では、例えば私が「お守り10%オフにならんか」とブツブツぼやいていると姉の手が飛んでくる。日本ではこういう時に使うらしい。仏教では無の世界を教える。だから信仰心はなくて構わない。本当は誰にもバカにされる筋合いはない。それを信教の自由と言った。キリスト教やイスラム教は自由ではない。水の中に入って洗礼を受けないとキリスト教徒つまり信者になれない。実は神道や仏教に信者という概念は存在しないのだ。なぜなら無だから、欧米のインテリ層はその自由度に気づいてしまった。別に日本人が優秀で人格者として優れているから、ではない。そもそも、それが正しいと言っているのではない。だから日本人は他者をはじめ、あらゆる物事に対して無関心になってしまった。なぜなら無の世界だから。三箇日の渋滞を見たら、どこが無宗教なんだ!と叫びたくなる。

 

【大河ドラマ館】

 

 

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)が終わった後にも来るとは思わなかった。ケーッ!どうせボッタクリだもんね!とか思いつつ再び入る。小道具が更新されたようだ。もう24歳で亡くなってしまった東京の従妹の影響からか、裏方には興味があって、仕事ではもちろんだけど、知り合いの女優さんが呼んでくれて、とある映画の撮影を実際に見学したこともある。どんな映画やドラマであっても撮影自体に大きな違いはそれほどなく、監督や脚本家の意向に沿って進んでいく。時代考証の坂井孝一氏はツッコミを入れるだけ。例えば源頼朝が実は死ななかったとか、あるいは源実朝が空を飛んだとか、おい待てよ!的なことだけ茶々を入れるのみ。シカが出没する。草むらの向こうから紐で引っ張るという子供騙し。執権服はもちろん甲冑も入れ替え。そして一つだけ言いたいのは、入り口前の階段で私はまだ撮っていないからか「邪魔ですか?」に続いて「邪魔ですよね?」と尋ねてきたオバサンがいた。聞くだけマシと言えるが、邪魔だと思うなら自分からサッサとどいてくれ、と言いたい。これを大河ドラマ風に例えるなら「訳分かんねえんだよババア(北条朝時風)!」と毒づいてやりたい。現代人っていい歳こいた大人でも相手の立場を考えないんだね。いや、鎌倉の栄誉を称えるとするなら、それが全員ではない。でも一部しかマトモでないことがあまりの悲報なのだ。

 

【鎌倉国宝館】

 

 

私は大人しくしてるの大っ嫌いでね。歩いて森林浴でもする方がいいかな。でもせっかくだから、北条氏展でも見て行く。皆さんが信じて疑わないウィキペディアにあるような肖像画や彫刻が納められている。長谷寺にいる長谷観音は見事な間抜け面…じゃなくて、ああいう神々しい顔が並んでいる。テレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』に出てくるインチキな鑑定士が目を凝らすに値する物品の数々。正直、良さが分からん。だからって、また若い人と一括りにするバカがいるんだろう。では聞くが、明治期に起こった廃仏毀釈は一体、何だったのか。問うてみたい。国宝とは「壊してはならぬ」というお墨付きを与えたのである。平安時代より廃れてしまった天皇中心の政治を復活させるなら神道だから、仏教は必要なくなる。だから一部の尊王攘夷派が暴徒化して廃仏毀釈は起こった。そのため国宝として仏像を守ることになり、結果的に現在まで仏教は残った。昔の人の方が考えは極端傾向で激しくなる。団塊世代の大学紛争も同様。つまり現代においても鑑定士が胡散臭いと思うのは当然。思うだけなら罪にはならないけれども、決して物を壊してはならない。パパとママに言われませんでしたか。私も頭を冷やすためにキャラメル二つ下さいな。

 

【鎌倉歴史文化交流館】

 

 

歴史と断定してしまうと、それが目的になってしまう。だから、それ以上、話が続かない。あくまで一例として鎌倉なら、鎌倉の街の他に森林浴とか、公園とか、昆虫とか、小動物とか、ショップとか、横須賀線や江ノ電とか、日本史や歴史の他に話せるネタなんて、たくさんある。私の記事を見て、記事に関係のある話が出来るネタがないと思い込んでいる人は、外に出なさすぎ。もしくは普段から自分のことしか考えていないか、自己主張が止まらないという脳の暴走によるものか、または思い込みが激しくなっている証拠。都市化とは、そうやって殻に閉じこもる。本人は恐らく、そう思っていない。でも外出すれば「風が気持ちいいな」とか、私みたく「この前は北鎌倉を歩いて木の匂いがした」とか「どこかで線香を焚いている?」とか、鎌倉市内のほとんどは五感が研ぎ澄まされるに相応しい場所だったりする。事実として、こういう場所は私的には勉強にならない。割れた陶器など興味はない。とはいえ初めて見るから、何かの経験にはなるのかもね。だいたい鎌倉の歴史って近現代まで網羅して、知らない人たちばかりが入っている。もっと川端康成とか大佛次郎とかぐらいならまだ分かるんだけど。北条義時と子供達の展示は、良かったね。

 

【来迎寺】

 

 

三浦義明の墓が目的。その三浦義明の長男が杉本義宗。杉本義宗の子供が和田義盛。さらに三浦義明の次男が三浦義澄。三浦義澄の子供が三浦義村。さらに言うと、その三浦義村の子供が三浦泰村で、鎌倉幕府五代目執権の北条時頼と宝治合戦で戦い、滅亡している。北条時頼は明月院に眠っているが、三浦泰村は謀反人なのでやぐらとして北条義時の旧墓つまり持仏堂の裏手にある。血を流し、幾多もの戦いを潜り抜けた彼らにとって、死ぬことが勲章なのだ。今現在と考え方がまったく違う。双方が食い違っていれば戦いとなり、首になるしかない。それが武士なのである。つまり現代人にとってみれば、生きるか死ぬか、の二極化なのだ。

 

【由比若宮】

 

 

反対の道から、もう一度、来てみた。石清水の井戸がある。そして奥に進んでいくと…鳥居があった。ビンゴであります。私がほとんど道に迷わないのは、サッカーの影響かもしれない。上空から観察できる人でないとサッカーは無理。ただ単に蹴っているだけではない。小学生までなら、ただ単に蹴っているだけで充分というより、まず脳が成長していないので不可能。むしろバカっぽいので、俺が!俺が!的な自己中であって充分。それで自分が間抜けだったと思えば収穫なのだ。監督の言うことを聞かなければならないという右向け右的な太平洋戦争も、終わっているにもかかわらずまだ続いている。もちろん監督は絶対であっても、試合になれば絶対ではない。その場やシチュエーションによって、いくらでも変わる。ほら季節が同じでも、違う日に来れば何となく違ってくるね。旗立松も何だか以前と違うような気がする。それは私の脳が常に入れ替わっている。同じというのは思い込みだ。

 

【鶴岡八幡宮】

 

 

敢えて戻ってきてみる。同じ日の違う時間に来てみると、やっぱり違う。歴史史料において墨で書く執権北条氏の字はみんな手本通りに書いているような上手さ。つまり言葉は八百年が経過しても変化していない。これが人間の脳。昆虫や動物は言葉ではないので常に変化するしかない。しかも、それを意識していない。意識とは人間だけにあるもの。養老孟司教授の著書で教えられてから大分、経つけど、ようやく分かって来る。私も小栗旬と同い年で40歳に達する。分かって来ないと話にならない。大人になるとは、そういうこと。体だけ立派になるのが大人ではない。気づいたらいつの間にか、ロダンもビックリ仰天の「考える人」になっている。極楽寺北条氏の家訓は「頭に来てもむやみに家臣を殺すな」である。今どき、こういう家訓はない。それだけ人殺しが合法と化して、現代人にとってみれば無法地帯なのだ。政治は争いであるから、武士を政治家と考えがち。何度も述べているが、鎌倉武士はもともと自営業で殺人を生業としているから、現在の政治家との比較が出来ない。そして、そういう人たちがいたからこそなのだが、本当は農民も僧侶も戦う時には武装していた。今と違って僧兵もいたことが円覚寺への書状に書かれている。色んなことを頭に巡らせながら石段を上がって本宮へ向かう。せっかくなら拝むだけではなく、鳩みくじを引いてみよう。鶴岡八幡宮の色に相応しい赤にしてみよう。どれどれ?…と思ってワクワクしながら見ると「凶」だった。そして紙に書かれている訳の分からない文章を読むと「今が苦しい時です」と書かれている。思わず「ふざけんなああああああ(三浦義村風)!」とキレたくなってしまう。そういえば凶が出やすくて、破魔矢のところにいくと運気が10倍になるというのを本郷和人教授から聞いたことがある。だけど日没だし、いちいち石段を降りてまた本宮に戻ってくるの、めんどくせえな。また次回にしておこう。結んでおく。とはいえ何で結ぶんだろうな。おみくじって運だから、実は世の中にあることは運も入っているのにね。実力で交通事故に遭ったりはしないでしょ。帰るのは安全を確保するために段葛を通る。行きも帰りも段葛の方が気持ちいいじゃねえか!って、嫁と姉に言ったら飽きられた。小町通りの方が賑わいを増している。せっかくだから、イチゴ飴を食べてみよう。ワンコインで口がベタベタだよ。

 

【2022年の鎌倉】

 

一年間を振り返ってみると、あっという間だった。未来は遠く、過去は近く感じるもの。時間は実はみんな同じに流れている。それは計算で成り立っている現代なら分かり切っている。子供と成人と老人と、実は同じ時間なのである。老人になると、朝起きたらいつの間にか夕方になっている。それは脳に関係している。老化と思いがちだが、そうではなくて、例えばボールを10秒の間に早く突いて数を多くすることと、遅く突いて数を少なくすること、の違いにあることが分かっている。つまり時間が早く経過しているというのは、ヒマだから。子供の時は学校で分刻みで授業を行う。遊びも夢中。だから時間経過が遅い。一生懸命にやったから時間経過が早いのではない。むしろ逆。ブログでいちいち仕事が忙しいとか書いている人は、本当はヒマを持て余していることが現在の心理学や精神医学で分かっている。そもそもブログを開設するのは空いた時間でないと出来ない。本当に仕事が忙しい人はブログなんてやらない。ウチの姉なんか私にも出来ないような仕事をこなしている。早稲田大学を卒業すれば、それなりの仕事に就ける保証はない。だけれども確率として、より良い仕事を探すしかない。我が家なんて結婚相手も四年制大学を出ないといけないぐらいだから、良い意味では絞れるが、悪い意味で言えば相手を探すのは大変。そうやって今現在はどの家も結婚自体が遅れてしまう。だからダメという訳ではない。ただ結果論なだけ。親戚に紹介するにも、相手はどこの大学を出ているか、まず第一に聞かれてしまう。東京の従妹だけは違ったけれども、念願のテレビ出演を一度だけ果たして亡くなった。私的にそれは、それでいいと思う。本人がやりたいことで、後になってダメと思ったら諦めるしかない。私は「別にいいんじゃないの?」という立場。困った時を考えるのではなく、本当に困ってみれば、おのずと分かる。舞台をいくつかこなした。少ない給料でも夢中になって続けていけることは、どんな高給取り暇人オッサンよりも輝いている。鎌倉散策も同じで、行ったから分かるのではなく、続けて行ってみて、本当に分かっているか自分なりに確認してみれば、分からないことだらけ。世の中は当たり前だけど意識で出来ていないのだ。意識と無意識の関係。そして歴史とか日本史とか口に出して言うだけでも異なってくる。田畑はないけど人間が創造した歴史だったのが鎌倉。鎌倉は古都でも歴史でもなく、歴史の創造なのである。徳川家康が再現し復興した鎌倉。また行ってみたい。

 

 

日付を見ればギリギリであることは明らか。その後、鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館は展示替えのために閉めてしまった。興味というのも意識だけではなく、見て行くうちに分かることもある。禅宗では「父母末生以前の我」という公案がある。お前の父親と母親が生まれる前のお前は何だ?ということ。養老孟司教授は滅茶苦茶と言うけど、それは無であったことを知らずして今の自分が本当の姿だと思えないからでしょう。私も日本人だから、どこかで諸行無常を信じつつも、西洋から持ち込まれた霊魂の不滅と言って抗ってみる。キリスト教だからと言っても、せいぜい19世紀からが私とか我とかを意識するに至った。動物は元から意識していない。だから自分が死ぬことなんて考えていない。人間は知っている。なぜかというと、過去の歴史がそう言ってる。だから寺社仏閣に行くと本堂で本尊を拝むか、墓参りに事欠かない。18世紀は病気を患うと西洋でも、まだ悪霊退散とか祈祷とかをやっていた。そんなんあるかいな、というのが当時のインテリ層の言い分で、だから科学が発展した。私だって投げやりになっている訳ではない。どこかでオプジーボに期待している。また元気で長生き、もしくは生まれ変わりを信じたいのは、私もまた現代に生きる人間だからだろう。養老孟司教授は89年に出版した『唯脳論』に初めて「都市化」という記述を加えた。かなり前のこと。

 

- 大河ドラマの北条氏 -

 

<①北条時政>

 

 

鎌倉幕府初代執権。大河ドラマの通り史実においても気分屋らしい。ただ一方で知的であったことは意外と知られていない。父親が北条時方もしくは北条時兼で、祖父が北条盛方という記述の上、辿れなくなっている。巷では北条時方が平直方の養子となったことから平家の子孫だと豪語するようになったとか。とはいえ伊豆の地方豪族に過ぎないことは間違いないようだ。むしろ、それ以前の平安時代には北条時定がおり、北条時政の甥とか従弟とか弟とか、血縁関係にあることは間違いないがはっきりしない。そのはっきりしない北条時定が実は、それ以前の北条得宗家であると見ている歴史学者は少なくない。桓武平氏高望流を自称するものの「介」は付いていない。官位はなく豪傑とだけ記されるのみ。つまり生きた時期のほとんどが平安時代であっただけに現代人の承認欲求とほぼ変わらない。当主ではなく傍流で、在庁官人ではなく国衙に出入りする一人に過ぎない。北条時家が北条時方の息子であり、孫が北条時政である説も存在。そうなると北条介時兼が得宗家であり、いずれにしても田舎者が源頼朝の流罪によって一変してしまったというドラマティックな展開が現実にある。今現在で言えば天皇にケンカを売った危険人物の犯罪人と娘の北条政子が結婚するのだから、玉の輿でも何でもない。猛反対したために半ば駆け落ちの恋愛を眺めるしかなかった。そこが違う。

 

<➍北条政子>

 

 

本郷和人教授が事実上、鎌倉幕府四代目将軍と呼んでいる北条義時の姉上。我が家の姉上と同様に凶暴なところだけは、よく似ている。源頼朝を尻に敷いていたのだから、男尊女卑という現代人の考えはまず当てはまらない。ここが鎌倉幕府の良さ。男女平等といちいち口先で言わなくても、元から平等だった。物事は必ず良いことと悪いことがある。そもそも現在に通じる男尊女卑は明治期の考え。源頼朝の死後は尼御台となった。将軍の妻を御台所と呼んでいたのは、キッチンで鍋料理したり、包丁で野菜をトントン切っている訳ではない。史実における鎌倉幕府四代目将軍、九条頼経の後見人となって権力を増した。院号は安養院である。

 

<②北条義時>

 

 

鎌倉幕府二代目執権。大河ドラマにもあったと思うけど、北条氏は将軍になれないので、実際に将軍職には就かなかった。自意識過剰な現代人においてはトップこそ素敵な職業または職種だと思っているが、反感を買うことも忘れてはいけない。ここまで北条義時が脚光を浴びる機会はなかった。大河ドラマの歴史において、私なんて毎年、見ているわけではないからパパっとだけど、初めて一年間、通して見たわけだから、それだけ鎌倉という場所と時代に魅力がある。朝廷を中心にした西日本国と幕府を中心にした東日本国ぐらい違う。つまり、それは多様性を認めていたことになる。今みたいに口先でなくとも身体的に分かっていた。だいたい将軍になれるのは、源氏、平氏、藤原氏、橘氏、の4氏もしくは直系や末裔で源平藤橘と言った。足利や徳川あたりは源氏の末裔なので将軍になれるし、室町幕府でも足利氏がなれないなら新田氏ら御家人でもオーケーだ。しかし北条氏は伊豆から出た地方の豪族に過ぎない。でも、そんな田舎者がメキメキ上達して駆け上がる。そんな夢を追うのは、ドラマに相応しいと思われる。

 

<③北条泰時>

 

 

ドラマ中に「俺たちの泰時」なんて、よく言ったものだ。どうやら、北条義時では成し得なかった無法地帯をまとめたらしい。それは御成敗式目として習うはずで、日本初の法律なんて言われているが、私的には「どうだろう?」というのがあった。それってすごいことではなくて、養老孟司教授の言い分なら「人間は一つにするという利口なバカ」でお終いだと思う。歴史学者たちはすごいと思っているらしいが、一つにすることが果たして、そんなにすごいことなのだろうか。むしろ、いずれ一つになる、と言った方が正しいのでは。そういう意味では、やっぱり私は北条義時を推したくなってしまう。家制度を守って駆け上がる。それもまた、すごいことなのでは。またタイトルにある「十三人の合議制」を真似た評定衆も作っている。オンリーワンが貴重だと思っている皆さんにとっては分かるはずもない。なぜなら現代人は、そのオンリーワンが自分を発揮することだと思っている。勉強だって、学ぶとはマネブである。パクってナンボだという言い方が良くないと言われるが、でも師匠の言う通りにやってみて、同じにならないなら、そこが本来のオンリーワンというのが以前の常識だった。理化学研究所の生物学者が論文をパクって、同じにならないのも、それもまたオンリーワンだったりする。これが自分の成果だと言い張らなければ問題にならないのに。つまり大したことを人間はやっていない。だからノーベル賞に限界が来ているのを世界中のインテリ層は分かっている。とはいえ得宗家として果たした役割は決して小さくない。別に過小評価などはしていない。北条氏ファンの私としては、あの仏頂面、大いに楽しませた。

 

<北条朝時>

 

 

極楽寺で有名な北条重時の兄で、ドラマ中はクズ男として描かれている初代名越流。せっかくなら弟の北条重時も出演させれば、極楽寺に「鎌倉殿のぼり旗」が立ったかもしれないのに。和田合戦においては兄の北条泰時と共に防戦に当たる。攻撃ではないのだ。だからとは言わないが、朝比奈義秀からの猛攻撃で実際に負傷している。承久の乱では北陸道の大将であり、本当はドラマほどのクズ男ではない。越前守を任され評定衆のメンバーにもなるが、のちに辞退している。これが反執権体制の引き金となった。

 

<⑦北条政村>

 

 

北条泰時の孫が五代目執権の北条時頼といって明月院に入っていると言えば、鎌倉に行った人なら分かるはず。その息子が八代目執権の北条時宗で円覚寺の顔であり、さらに息子の九代目執権である北条貞時と、その三男である十四代目執権の北条高時が仏日庵で眠っている。北条高時は宝戒寺のところに木像として祀られているし、さらに肝試し必至の腹切りやぐらもある。そういった得宗家を差し置いて、ドラマとしては最初の八重と二番目の比奈に続く三番目の妻である「のえ」の息子として登場。伊賀氏の反乱があったにもかかわらず、史実としては七代目執権として中継ぎの役割を果たしている。得宗家ではないから、そこまで重要人物として描かれないが、何気に執権に就いている。兄の伊賀光季が京都守護として就いたものの承久の乱での皮切りとして利用され、殺害されたところから、弟の伊賀光宗が「のえ」と一緒に画策。伊賀氏は滅亡したはずだが、北条政村は執権なので結局、伊賀氏の変は起きていないのでは?とか、北条政子の陰謀だとする説もある。実は得宗家でないので北条時宗を八代目執権に就任させるためサッサと辞任し、連署に就いて蒙古襲来の対処にあたった。連署は三代目執権の北条泰時が作った役職で、自分の暴走を防ぐためにトキューサこと北条時房が最初に就いている。誰も見たわけではないから、真相は闇の中で、自分なりの解釈で良い。

 

<北条宗時>

 

 

北条義時の兄。平家方の軍勢である伊東祐親らによって道中で戦死。実際のところ、どこで斬られたかも分かっていない。北条義時と違って最初から頂点に立とうという目的がしっかりしていたのは事実。二重人格みたいな北条義時とは違い、どんどん前に進んでいく性格が仇となったのかもしれない。武士らしいといえば確かだが、時には退いてみることも重要。戦いも頭の良さだね。

 

<北条時房>

 

 

ドラマ内の通称がトキューサ。烏帽子親は三浦義明の息子、佐原義連。兄弟に長男の杉本義宗がいて、その子供が和田義盛。次男に三浦義澄がいて、その子供が三浦義村。つまり三浦氏とは親戚関係にあたる。源頼家と源実朝の和歌、後鳥羽上皇の蹴鞠に付き合ったことは史実としてある。ドラマ中ではカタールワールドカップ必至のリフティング対決になっていたが、日本人は昔から自分を過大評価して誇張する癖があり、本当に千回近くもリフティングつまり蹴り上げたかは不明。そもそも蹴鞠の玉が丸ではないので、蹴り上げた時に力学的にあちこち流されてしまう。現在の蹴鞠達人でも数十回しか出来ない。北条泰時を支えたことは事実で、先遣隊の泰時軍に続く二番隊として活躍。京都では六波羅探題として手腕を発揮した。北条泰時によって時房流は分裂した。

 

<北条政範>

 

 

京都に入る以前に重病のち、京都に入った二日後に亡くなったとされる。ドラマでは平賀朝雅が毒を盛る、という脚本家の三谷幸喜氏が手腕を発揮している。大河ドラマのタイトルは、表向きは十三人の合議制で、裏の意味は源頼朝の死後に飛んだ首の数ということになっているが、これでもまだ現代的で、鎌倉ではもっと血が流れていたから、恐らく死ぬときは毒ではないと思う。だからという訳ではないが、別に批判的ではないものの、サザエさんとゴッドファーザーを掛け合わせた作風に実際に出来上がっていた。今現在の鎌倉はやぐらだらけで、戦いの勲章となっているが、鎌倉当時の武士は庭に生首を並べるのが勲章だったし、僧侶も農民も武装していたので、腹が立つ奴に向かってドラマみたいに頭を下げる必要はない。その場で弓を射るか斬ってしまう。つまり政治家と書くのは現代的で、本当の武士とは政治ではない。それだけ殺生感が違っていた。そもそも京都入りに北条時政がどうこうしたという記述の書物も存在する。同行する人数や兵力の数も出鱈目過ぎて何が本当か分からない。現代人は軽く昔と豪語して、たった戦後75年ほどで同じだの違うだの揉めている。日本が貧しかった頃の田舎と現在の都市を比較なんて出来ないはずだ。

 

<三谷幸喜>

 

 

脚本家も敢えて北条一族に数えてみる。この人がいなくては、このNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)は決して成り立たなかった。人によって違うとはいえ、この時代の「得宗家と傍流」と現代の「本家と分家」はまったく違う。そしてタイトルの本来の意味である十三人の合議制は揃うと同時に即刻、瓦解して視聴者を困惑させた。私はテレビをほとんど見ない立場で、どちらかと言うと仕事で制作側に会ったりすることもあるので、内容をコメント欄に書かれても分かるわけがない。だから見ていない番組なんて尚更で、ヤフーのところではコメントと私の返信がかなりの確率で一致していたのだが、アメーバブログに来てみると、なぜかタイトルだけ見て頭の中の思い込みだけでパパっと入れてしまう人が少なくない。雑談上手とは、実は聞く方が上手という意味であり、話し上手とは聞き上手というのが私的には当然という認識。よく分からないことを一方的に話しても、お世辞が下手な私に愛想を尽かして3歳の子供みたいに不貞腐れても、人にはそれぞれ限界がある。仕事が忙しいとブログに書く人は傲慢でワガママだとよく言われるけど、午前中に病院に行かなければならないこともあり、人それぞれ自分の思い通りになんて行っていないのだ。たぶん三谷幸喜氏も満足とか言いながら、こうすれば良かったかなあ?と反省しているに違いない。そういう人こそが必ず伸びる。成長する伸びしろがある。そしてタイトルに隠された意味の13人は鎌倉という街づくりの最初の人である源頼朝が将軍に就いてから、その後に首が飛んだ数。ただ単に死んでいった訳ではない。三谷幸喜氏も書いてて苦しかったと述べていた。現代人にとってみれば当たり前だと思う。西村京太郎もビックリ仰天の殺人事件の数々。最終回はそんな現代風のミステリーになっていたが、あくまで創作であり、史実に近づけているものの、歴史事実ではない。本当はよく分からないことなんて世間にありふれている。西村京太郎のミステリーはウンウン考えて2時間でキッチリ終わるけど、世の中はそう単純ではない。鎌倉とはそういう時代なんだと改めて感じる大河ドラマだった。本郷和人教授の影響から初めて一年間、通して見て、次はたぶんないだろうから、また似たような創作なら北条時頼と三浦泰村の対決で終わる宝治合戦でお願いしますね。脚本は三谷幸喜氏で、時代考証は本郷和人教授で、それなら恐らく一年間、通して見るかもしれない。良い経験になったと思う。見る側としてのこの経験は大切にしたい。

 

<坂井孝一>

 

 

以前から知ってたけど、最初から坂井孝一が時代考証に選ばれたわけではなく、呉座勇一北村紗依に対して罵倒する内容がフェミニズム問題に引っかかり、敢え無く降板。私的には「応仁の乱」の呉座勇一だからこそ期待していた部分はあった。後任に坂井孝一が選ばれたという訳だが、最初は「坂井孝一かよ…」と思った。そもそも、この人の所属する大学が気に入らない。皆さんは多数派が正解だと思っているでしょう。その多数派イコール正解が、こういった創価学会や統一教会やエホバの証人などの問題に関わってくる。そしてオウム真理教の問題でさえ本当は未だ終わっていない。だから私が早稲田大学というと常に広瀬健一を敢えて出す。本を読んだから頭が良くなるのはウソ。でも本を読まないと頭が悪いまま。その頭の良さとは養老孟司教授と同じく、ただ単に勉強が出来ないという意味ではない。偏差値のことではない。元を辿れば正解思考に行きあたる。それをバカと言って、私と正解思考に寄る人たちの間には「バカの壁」が存在する。オウム真理教なら麻原彰晃が正解ということになる。それと鎌倉と何の関係があるんだ?って思うでしょう。それが学生時代の私だった。だから大学生が原理研究会などのサークルで引き込まれる可能性のある人が必ず出てくる。もちろん全員ではないけど、大学入学時までは私も運が悪ければ勧誘される可能性だってある。もちろんパンフレットやチラシが自宅に送られても断り続けていた。世の中を知るために「バカの壁」を常に考えることや鎌倉に足を運んでみることは、決して無駄ではなかったと思っている。多様性があるのは当然で、その多様性とは自分を発揮することではなく、身体所作にある。口は軽いから、人それぞれだとすぐ言う。だけど未だ人それぞれにはなっていない。鎌倉殿ミュージアムショップにロボットがいた。ペッパー君みたいに自動で喋るよりは、ああやって北海道あたりからでも喋ってくれた方が、気が楽になる。本人は「怪しいロボットではありませーん!」なんて言っていたが、私の方としては「体を動かせないのかな?」などと色々、考えを巡らせる。他人の立場になって考えられないのは読書しないからで、考える自由は読書によって成り立つ。例えば風邪だって寝れば治るはずで、現代人に「亀の甲より年の劫」は通じない。本当にただの風邪なら休めばすぐ治る。私の場合は巷では持病と言って治るものではないから通院せざるを得ない。とはいえ、そういう「バカの壁」を知るキッカケの一つになったのも鎌倉。自己中の人は理解できない。本郷和人教授とは中世の見方が異なっているので、どちらを信じるかは人それぞれだけど、それでも鎌倉に対する見方は、あながち間違いではない。体育会系と口先で言う間に斬られてしまうし、御恩がなければ奉公は必要なかった。中世の時代を封建社会と見るなら、なぜ朝廷と違う道を歩んだか、考えた方がいい。それが多様性のヒントにもなる。

 

 

 

私の鎌倉散策も円覚寺の拝観から始まった。ここから源氏と北条氏を巡る旅が始まった。コロナ禍から復活、最高の一年となる。

 

【公式ウェブサイト】

鶴岡八幡宮 公式サイト

大河ドラマ館・鎌倉殿の13人 公式サイト

時宗・随我山来迎寺(材木座) 公式サイト

鎌倉国宝館・鎌倉市 公式サイト

鎌倉歴史文化交流館・鎌倉市 公式サイト