養老孟司・伊集院光「世間とズレちゃうのはしょうがない」(2020) | 養老孟司と鎌倉

養老孟司と鎌倉

養老孟司教授の著書にある医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

デブタレントとして有名な伊集院光と養老孟司教授の組み合わせがイマイチ分からないという人は、対談の通り、拙著『半分生きて、半分死んでいる』(2018)を再度、見返してくれ、ということらしい。東京農業大学に行った時、外でタバコを吸っていたら、学生がワイワイ寄ってきて「養老さんじゃないですか!もう死んでたと思ったら生きていたんですね!」だった。それではあまりに不親切だというので「自分たちの中では歴史上の人物ですよ!」とフォローしてくれたという。ああ、そうか。自分は他人から見ると、ボヤけてるんだ。存在感があるかどうかも分からない。どうせ自分なんか、その程度なんだよね。別に病気したって、関係ありゃあ、しない。だからシラケ世代って無関心だとも言われたけど。

 

 

何度も繰り返すが、現代人は「頭が固い・融通が利かない・ワガママ」の三拍子である。なぜ昔の人が「頭が柔らかい・融通が利く・空気が読める」かというと、世間の中で生きていたからである。伊集院光が長崎県の五島列島に行った時、変な蜘蛛を見つけたようだ。アイツらは九州本土とは違う変わった種類。でもちゃんと蜘蛛として生きている。アイツらは種の絶滅という危機感はないだろう。意識などというのはわずか。

 

 

他の蜘蛛を見たら「アイツらは違う」と思っている。でも人間なら、他者を見た時に「人間」だと思っている。なぜか見た目で差別するのは日本人が多く、生年月日を出せば年齢で差別されるし、男性か女性化を出せば性別で差別されるし、そういうのアメリカだってあるじゃないかというけれども、とにかく国家間としてのタブーになっていることは間違いないから、基本的にレジュメの形式は自由であり、生年月日も年齢も写真貼り付けも性別も明記する必要はない。だけれども、なぜか日本人はいちいち「ジブン」を発揮する人が少なくないのである。インターネットの世界で書かれるのは基本的に各国の公用語であり、世界の中で割が日本語だということは現代人がそれだけ自己主張オンリーである。

 

 

まさに浅草の粗忽長屋である。おい、お前があそこで行き倒れているぞ!何!そんな馬鹿な!実際に行ったら、確かに行き倒れている。仕方ないので背負って連れて帰る。果て、この背負っている俺は自分だとして、じゃあ今のこの自分はいったい誰なんだ?というのが現代人の「意識」の部位なのではないでしょうか。しかもすべてとなってしまっているところが変なのである。養老孟司教授が銀行に行く。身分証明書を持っていますか?しまった…忘れてきた。運転免許証は持っていない。銀行員が「健康保険証でもいいんですけどね…」と言った時にハッとして、養老孟司という自分が確かに今ここにいる。でも相手は養老孟司そのものであることを証明しろと言ってくる。窓口で顔を合わせて「分かってるんですけどね…」と追加してくる。つまり変化するのが今いる自分で、変化しない自分がどこにいるか、証明してくれ、というわけだしね。

 

 

マイナンバー・カード。私的に、やはり自民党による”中身を盗むため”のモノだとすぐ分かった。政治に興味のない人は「便利=手放しで喜ぶべきこと」だと思い込んでいる。これは、子供を待つ母親さえ敵に回すようだが、実は、菅義偉政権は「不妊治療の保険適用」を人気の糧としているに過ぎない。国民ってバカだな~とアイツら腹の中で思っている。30代とか40代とか50代とか、政治のことなんて、ほとんどは考えちゃいないから、手放しで喜んでいる。ちょっと待てよ!と言いたい。本当に国民のことを思うなら、そんなことより、もっと先にやらなければならないことを後回しにしているわけで、それでも強行するあたりは、本書にある通り、かなり危険な行為である。とはいえ、それ以前に、現代人は、ほとんどの人が嘘つきだということを、みんな忘れているのだ。ものすごく危険なことだと思う…オウム真理教のような時代が再来したと思う。

 

 

伊集院光ぐらいの年齢(1967年生まれ)だと、イジメや校内暴力が、最も激しかった時代。見るからに暇人が多くなった。それ以前なんてものではない。体が大きいわりに、イジメられることを不安がっていた。弱いと、そこを突いてイジメたくなる。日本人が悪い意味で他人を気にするあまり、イジメたくなる理屈については中野信子先生の『ヒトはいじめをやめられない』(2017)を参照してください。要は、本書にもあるけれども、アメリカやフランスでは違いをそんなに意識しないのに対し、日本人は徹底的に同じでないと気が済まないのです。アタマの中だけが共産主義者だとバカにされるのは、そこでしょうな。欧米人いわく「アイツらは共産主義者だ(爆)!」ってね。中国人は、本当は、民主主義が、好き。

 

 

まあでも、伊集院光より大きい人がいて、弱いので、イジメを受けていた。伊集院光はイジメられることはなかったが、なぜか周りと違う。高校を中退した。落語の門を叩くと同時に、タレントで大活躍する。あの知識は理論武装ともいえるもので、生きていく道はコレだ!というのが見つかったんでしょうな。身体所作や身体表現が上手くいかないなら、理論武装するしかない。何をやってもピンキリいるのだから…やってみよう。

 

 

みんな違うって言って、本当は、同じ方が安心している日本人が、どのぐらいいることか。東大医学部で、死体解剖をした時に、養老孟司教授が「口(クチ)を持ってきて!」と言って、唇を持ってくる間抜けがたくさんいる。すかさず「これ唇でしょう!」と、すぐさま返してみる。世の中に正解とか不正解はないけれども、ここは「口(クチ)なんてものはありません!」が、医学的な正解なんですよね。だって「口は器官の入り口」とテキストにも書かれている。本当は「肛門まで繋がっている器官の入り口です!」と返す。これが正解。これって「ドーナツの穴を持ってこい!」みたいな、無理強いみたなものなのだ。つまり、敢えて意地悪な質問をしているが、それにキチンと答えられるのも…また東大生の役目だよ。

 

 

現代人なんて分からないでしょう。インターネットの世界に没頭していればなおさらでしょうね。相手は人に興味があるわけではないのに、なぜか褒められたい欲求が強いわけ。都市にいたらウザイことこの上ないのであって、田舎や山中で人に会えば嬉しいモノ。だけど、そういうやかましさが嫌なので、福島県会津若松市を除いて「ならぬものはならぬ」がなくなってしまったわけです。本当のイジメ以外は、実は本人が相手をイジメていたりする。気が付かずに相手を陥れていることもある。この快感がやめられないからまたやる(中野信子先生の著書より)。

 

 

宮城県気仙沼市でどれだけの人が苦しい思いをしたか、みんな分からないでしょう。分かるわけない。あそこにいなくては分からないのです。だからサンドウィッチマンは売れた。2011年3月11日に発生した東北・太平洋沖地震(東日本大震災)の時にサンドウィッチマンの2人はその日のイベントを控えて宮城県仙台市にいたんです。でも時刻は迫ってきた。14時46分、大きくガタガタと揺れる。関東にいる人は最初、小さい揺れから、せいぜい震度4ぐらいかな~と考えている間も止まらなくて、あれ?あれ?という間にドドドドドド!という音と大きな横揺れがした。

 

 

ちなみに、現地入りしたアナウンサーの2割~3割が「震災後うつ」になっている。現代人なら、そうだと思う。お前が分かれよ!と、言ったところで、無理です。分かってもらうのではなく、実際に富士山が噴火ぐらいにまで、なってもらわなくては、ならないぐらい。口だけの世界だから「アイツはおかしい!」とか、ちょっと違うだけで「お前はビョーキだ!」などと吐き捨てるのは、日本人の世界がいちばん強いんだけど、そういう世界を許容している我々、一般的、凡人にも、また問題がある。サンドウィッチマンは、決して言わないけれども、東北・太平洋沖地震によって何かが変わったということは、二人にとって、ハッキリ分かるという。この二人とは、もちろん養老孟司教授と伊集院光のこと。つまりは、経験だ。

 

 

2010年代に入っていきなりなぜ売れるか、誰も考えていないんでしょうが、恐らく東北地方・太平洋沖地震の影響はあって、2010年代に変化することを知り、2010年代後半からだんだんテレビで取り上げられるようになり、現在までに至る。そうでしょう? 本当に「才能”だけ”」で売れるでしょうか。こういう仕事って運だと言うでしょう。運も必要なのではないでしょうか。むろんその運とはサンドウィッチマンにとって東北地方・太平洋沖地震のことであって、運はラッキーと訳すからって、自分に舞い込むことすべて良いことが変えてくれるわけではありませんよ。何かをキッカケに”自分が変わる”んです。そのことを彼らはたぶん理解した。ただ単にお笑いコンビだからと言って…単なるバカでは売れません。

 

 

養老孟司教授が正月に病院で遺体を引き取ることにした。看護師長(当時は”婦長”と呼んでいた)が走ってきて、古い病院だから「霊安室は最上階にありますので、いったん屋上に出てから非常階段で降りてください!」と血相を変えて言った。だから仕方なく非常階段で運ぶことにしたというわけ。轢死体や殺人死体なら「ホトケ」になるし、水に溺れたなら「ドザエモン」にもなる。どっちだって同じじゃねーかって、言いたい。

 

 

かつて東京女子医科大学病院にて標本の骨を段ボールに入れて廊下に置いたという話が「とんでもない!」という話になった。この病院もまた何かと問題を起こすのは言うまでもないが、そんなことどうでもいいことじゃね?と養老孟司教授も伊集院光も思っている。だってそこまでするならキンキラキンの棺桶(にさりげなく)に入れなければならないのか。どーすりゃ満足なんだよって、思うでしょう。仏教は無墓制なのにね。

 

 

だいたい、この東京女子医科大学で、いろいろ医療ミスやら、問題や、騒動を起こしても、私が決して諦めずに通う理由。つまり、通常受付と特別受付に分かれているんです。私は、実は最初から特別受付。別に自慢しているわけではなく、罹る医者が、最初から分けられてしまうんですね。当然ながら、特別受付は、東京女子医科大学の中でも1割に満たない、腕が最高の医者です。東京女子医科大学の専任教授・専任教員ではない場合も、少なくありません。有名な医者に来て欲しい!と進言すれば、呼んでもらえることさえ、あるぐらいです。もちろん、実績に見合った医療をしてくれるので、安心します。まだまだ通う義務が…私について回るんですな。もう来なくて良くなったということは一生ない。

 

 

近藤誠医師なんて慶応義塾大学病院ですべての役職を解任された人ですよ? このままだと慶応義塾大学病院で人を殺しかねない。だいたい近藤誠医師って放射線科医ですよね。もちろん診察は出来ず、言われたままに放射線を当てるだけです。セカンドオピニオンを開業したのは、ある意味、世の中に対する自分の正しさを証明することや、慶応義塾大学病院に対する当て付けとしか思えませんね。健康診断の数値は忘れよう。だけれども、すべて数値で測っている以上はモニター画面を見なければいけません。だから、患者の顔を見てくれないのは、ある意味で間違っていないね。だって話し始める時は顔を見てくれるんだから…それでいいじゃないですか。誰も変化する人間なんか見たくない。

 

 

養老孟司教授が、東大で働いていた時に、ワゴン車ぐらいのバンで死体を運んでいた時に、ドアが壊れていることに気づき、仕方ないので、棺桶の上に腹ばいになって、ドライバーでこじ開けたんだとか。腹ばいにならなければ、通行人が「コレ…何ですか?」って、聞くかもしれないじゃないですか。別に、殺人事件を犯しているわけではないけれども、自慢して見せるわけにはいかない。だから、二人がかりで、バタバタしながら運んでいた。こういうのだって、養老孟司教授が、好きでやっているわけではない。そもそも、解剖向きの医者なんて、どこにいるんだ?って話なわけですよ。やりたい仕事とか言って、やりたいことは、もちろんだけれども、出来ることが先でしょう。現代人は好き嫌いだもん。

 

 

そんなわけで、例えばお骨を返す時だって、ガタガタ動いていたりするわけです。なんだかコエーな、って話になる前に、あれ?…これって何だろう?などと思ったらしいです。遺体ではなく骨ですから、骨が骨壺の中でガチャガチャ揺れているだけなんだけど、それでも骨なんです。つまり人そのものというのは本当は死んだ後でしかない。今現在の自分は、自分そのものではない。誰かの闘病記なんて見たくもない。そこで”信者”が溢れてしまう。分かる気がします。Amazonなどのレビューを見て、本来のがん関係で「治したくないという気持ちが分からない!」という方が、私的には理解できる。なぜ治したくないかと言えば、現在の自分は”自分そのもの”だと思い込んでいるに違いない。しかし、残念ながら「がん放置医療のススメ」が近藤誠教祖を中心に2010年代前半に広まり、医療界でのいわゆる「近藤信者」が増えた事実も否めない。

 

 

だから「がん放置」というブログが流行るんだと思う。でもそれはカッコ良くもなんともない。私的には”逃げ”だと思う。戦った方がよっぽどカッコイイに決まっている。闘病して、ダメなら致し方ないと諦める。私なら、決して逃げない。この年齢にして胃のバイパス手術も受けたが、手術した後の方が好調だ。ポリープを取っていじったからだと近藤誠医師は”後出し”で言うかもしれないが、それは違うと思う。早期がんを敢えて末期がんにさせる方がよっぽど不安になる。これは私が誠に僭越ながら”まったくの素人よりも医師や看護師の知り合いが多く医療に詳しくなった経緯がある”からこそ早期で発見できたのだ。まして東京の従妹が23歳で余命宣告されれば、イヤでも調べてあげようという気になる。

 

 

こういうのをハナから分かっているのが、伊集院光の父親だそうです。戦争を体験するって、悪いことだけではない。美しき良き日本を忘れてしまったことさえある。すべてダメとしているから現代人は「シロかクロか」とか「0か100」かでしか見極められない。やはり戦争体験者には敵わないという。ゲームがダメって言って、夢中になることは誰しもある。二宮金次郎だって本を読んでいるのは、あれは偉いのではなく、背負っている薪の方に真意が込められており、本を読んでいる暇があったら、サッサと体を動かして働け!という意味であり、読書は敬遠されていた。

 

 

やっぱり、両方揃って最強なんですよ。政治思想だって、左端のみ、とか、右端のみ、とかではなく、中道を通らなければいけないのであり、現代人はやっぱり極端傾向にあるところ、第一次世界大戦前に思想が戻っているんだと思います。だけれども、精神的に大人になれないのは、やっぱりその時の20歳が2010年代に50代に到達した人たちとほぼ同じというから、伊集院光は敵わないと言ったのであり、いろいろ教授してくれることが大人ではありません。教えてくれるぐらいなら麻原彰晃だって出来ますから。これは四苦八苦であり、苦行でしかないのです。

 

【ニューソース】

PHP研究所 公式サイト