養老孟司シリーズの中公文庫版。これで私の今すでに持っている養老孟司シリーズを本・読書コーナーに投稿するのもあと少し。次に投稿するのは『老人の壁』(2016)と『超老人の壁』(2017)というエッセイになります。これ以外にも扶桑社文庫で『バカのものさし』というのがあるのですが、あれは小学生・中学生・高校生から質問を受け付けて答える仕組みなので、子供に分かるように答えています(とはいえ脳の説明に変わりはない)。世の中なんて小学生・中学生・高校生どころか、大人ですら分からないことだらけでしょう。
今回、これらと関連させてみます(というか大いに関連している)。動物は人間よりバカなのか。そんなことはない。それより、大人が子供をバカと言っているあたりもまた、自分を分かっていない証拠なのである。それと同じように、若いから何も分かっていないか、というとそんなことはない。これまで何度も耳が痛くなるぐらい書いてきたのだが、ある人が私に対して「若いからあなたは天皇をどうでもいいと思っている」と言っていたこともあった。実際に、この答えが両書に正確に載っているのだ。別に私は以前から知っていたけどね。
実は、太平洋戦争に行ったのは「天皇」や「国家」という抽象的なシンボルではなく、家族、兄弟、親戚、という近しい人に対する現実のために行ったのである。これは私が以前読んだ鴻上尚史『不死身の特攻兵 -軍神はなぜ上官に反抗したか-』で佐々木友次伍長のエピソードを読んでおり、そこにもハッキリと書かれている。つまり逆なのである。私が古臭い人の考え方で、私を若いと言った人が近代化・現代の典型的な考え方なのである。もっとストレートにハッキリ言うと平和ボケ。だいたい戦争になったら、天皇がどうとか元号がどうとか改元がなんだとか、言っていられないのだ。それは養老教授のエピソードにもこれまで散々、書かれていた。考え方や思想がダメとは言っていない。自由な思想が保証されているから、それは勝手なのだが、その勝手な思想に対して私は現実を見ていない夢遊病者(ここでは理想ばかり追い求めて本当の自分を探し続けている人のこと)だと言っているのである。オウム真理教のような見えない力が働いている。
それから、余談で私のエピソードだが、故郷の福岡に2005年に祖父の葬儀のために帰っていた時、終わってしんみりするのが嫌なので、テレビで報道されたニュースに対していつも通りブツブツぼやいていた。当時は小泉純一郎政権に対する郵政民営化の反対だったと思う。そうしたら九州の伯父(団塊世代)が「お前は全共闘に入る気か(笑)?」とジョーク気味に聞いてきた。そういうわけではない。今さら団塊世代の考え方を汲んで実行しようとは思わない。しかも世の中を本気で変えようとしたらこんなにペラペラしゃべることはなく、秘密裏に計画を実行させるはずだ(まるで日本赤軍のように)。だから口でしか言えない人というのは、身体を動かせない人なのであって、そういう人を昔から「口だけ野郎」とよく言った。やはり「男は黙ってサッポロビール」なのだ。雰囲気や表情で分かるはずというのもある。
このままでは面白くないので、伯父の家にあったヘルメットにビニールテープを貼り、そこに”全共闘”と書いて被ってゲバ棒に見せかけた棒状のものを持って「封鎖だ!封鎖だ!」と連呼しながら現れてやったら、伯父が「スベってるぞ…プクククク」と思わず失笑。同い年の従姉妹はテーブルに顔を伏せて笑いが止まらない様子。女は大笑いする時になぜかテーブルに顔を伏せる癖があるらしい。東京の従妹(故人)はひたすらゲラゲラ笑っている。なんだか、楽しい家庭で良かったな。人はみんな昔のことを良いと思う傾向がある。
こういう考え方の人は今現在でもいると言えば、いるのだ。政治家はバカだし、経済学者は私利私欲を吹聴して周るクズだし、家族を含めた大人たちはゴミ以下、という高校生の質問投稿はあながち間違っているわけではないのだ。だってそうでしょう? 例えばコメント自体だって、他人には言いたいけど、自分は言われたくない、という人が多いから、自分で動こうとはあまりしないでしょうね。でも、自分とは反対の考え方を持っている人の話を聞くことで、自分が磨かれるはずです。本でも自分とは反対の意見を持つ著書を読んだ方が良い、というのはそういうことです。そもそも養老教授は散々、そんなことを事あるごとに書いていたし、自分の成長のためには自然に身を置いてみることです。たとえば昆虫ひとつでも、吉野川を中心に調べてみたら、辿っていくと中国地方の高津川流域に辿り着く、というのも調べた結果なのです。四国は恐らく東西で違う文化を持っていたのではないか、と。実際、徳島県と香川県はほぼ関西弁で、愛媛県は関西弁に広島弁が混じっているような感じで、山を越えないと行けない高知県はまた土佐弁などという独特の方言を持ってるきにゃー。
成長できない人というのは、やはり花鳥風月がないんですよね。サイトを見ていても仕事がうまく行っていない人ほど自分を大きく見せる傾向がある。そういう意味での精神的に弱い人は、自然観を身に付けていない。何も精神的に強いことが、イコール言い負かす、ということではない。それだと3歳児の脳でしかない。そんなものは能力ではない。だいたい50代や60代が若いからと言って20代や30代を相手に本気になるのもどうなんだろうか、と思う。それより自分の経験談を話したら?と問うてみたい。ないだろう? だから戦後以降は団塊世代もシラケ世代も団塊ジュニア世代も悟り世代も、すべて同じなのである。一向に変わっていない証拠。戦争に行った人たちのように貴重な経験を話せるなんて、どのぐらいいるだろうか。だいたい江戸時代の日本はすでに都市だったなんて信じられないだろう? でも江戸時代は明らかな都市文化だった。だから忠臣蔵に出てくる浅野内匠頭は江戸城内で脇差を抜くという暴挙に出たので切腹だったのである。
江戸城(模型)
江戸城下町
計画的に作られた都市ということが形状(碁盤の目)で分かる
江戸時代は薪をくべて暖を取るのが主流だったので、日本中の山は禿げていた。そんな禿山に危機感を抱いて、植樹しては、昭和時代に入って第二次世界大戦という間抜けな暴挙に出たのち、再びエネルギーが必要だったので日本中の木を伐採することになる。実は、ヨーロッパでも森を切り倒しては植樹を繰り返してきたのだが、日本でも少なくとも江戸時代から木を伐採してきたのだったのだ。
緑に関しては今現在の方が豊かで、先進国では第1位がフィンランドの73%、第2位のスウェーデンは68%、そして第3位が日本で67%であり、アメリカやカナダに至ってはまさかの30%台である。しかしカナダでは、ある時サケが川を上っていくのを発見し、それが森を豊かにしている原因だということを突き止めたようだ。そうしてカナダでもようやく重い腰を上げて植樹が今現在でも行われている。海の恵みが実は森を豊かにする。それを知った上で、養老教授が海を指して「あれはお前だろう?」とか、山を指して「あれはお前だろう?」と、いちいち聞いてくるのには意味があることが分かるだろう。私の全身も森の一部であり、海の一部で構成されているのである。
サケが川を上っていくストーリーと言えばフィンランドには『カレワラ』という独特の神話が存在するのだが、まさにそんな感じ。だったらアイヌ文化で「熊送りの儀式」があながちバカにできないことが分かるだろう。私だって再び北海道に行けるなら、アイヌ人が受け入れてくれるなら、一緒に船に乗ってサケ漁の体験もしてみたいものだ。海外文化が好きということは、色んな文化を受け入れるという意味でもある。またラオスあたりで飛行機に乗って危ないと言うけど、確率の問題さえあるのだが、どうせエールフランス航空に乗ったって、ルフトハンザ航空に乗ったって、たとえJALやANAだって、完璧などこの世にないのだ。医師の手術失敗とか、どこまで責任を取れば納得するんだというものあるし、だったらお前が医者をやってみろよ、と言いたいのもよく分かる。我が家もまた福岡ではそういう家系だからこそ分からなくはない。いくら薬を飲んでも治らないものは不可能なのだ。例えばアンフェタミンぐらいで発達障害が治ると本気で思っている人が知恵袋などで軽々しく質問を受け付けているのが見て取れるが、お気軽に病院に行ってヤブ医者に当たったらどうするんだと言ってやりたい。
第二部では対談だったけど、あまり面白くなかった。ただやはり太平洋戦争の話に戻るけど、都市の人間というのは精神的に弱い。なぜかというと、石油が止められたら船が動かないので戦争が出来ない、という理由で突っ走ったのである。何も考えずに関東軍が暴走したわけではないと思う。それは高校の日本史の授業でも習った記憶がある。ただし世界最大の戦艦大和を作っても、使い方が分からなかったり、世界最速最軽量の零戦を作っても、軽すぎたために空中分解したり、墜落したり、自爆したり、というのがよくあった。戦争が強かったように見せているが、実は日本は世界でも稀に見るほど弱かった。中国大陸に行ったって、占領していたのは大連などの都市のみであり、重慶までの田舎に戦線を拡大させたら、実は農民の方が強くて思うように行かず、重慶で押し返された、というのが今現在の有力説なのである。あの中国人なんかに勝てるわけありませんな。嫁を見ればわかる。日本よりも論理的で歴史が数千年も進んでいる。
作家の西村京太郎もそのことを述べていて、集団主義というのは世間が中心で良い面も持っているが、家族となると「一億総玉砕」に走るという悪い面も持っている。だから仏教が必ずしも正しいとは言い切れない面もある。なぜなら仏教の教えをそのまま完璧に遂行したとすれば「振り込め詐欺」に引っかかる可能性も持ち合わせているからだ。キリスト教は個人主義だが、相手にとっては迷惑なこともある。良いところだけを抜き出して双方の良い面を習得したらいいだろう。だいたい個人主義というのは夏目漱石の『私の個人主義』でも述べられているが、イギリス留学したのち胃潰瘍になったように、ストレスになる面も多々あるのだ。今の日本人を見ていると個人主義ではなく自己中心主義という面が少なからずある。つまり個人主義のはき違えであり、実は仕事しているフリして、ロクに仕事の出来ない高級取りのオッサンばかりという電通や博報堂の実態が暴かれている本もあるほどだ(中川淳一郎の『バカざんまい』)。この世は自己中だらけ。
ドイツのルフトハンザ航空に乗っていた時、赤ちゃんが泣きだしたシチュエーションで、フライト・アテンダントが「うるさい!と仰っているお客様がいるのでどうにかしてもらえませんか?」というクレームがあって、どんなクレームかと思ってみたら、ドイツ人やイタリア人らが乗っている中で50代と40代と20代の明らかに日本人と思われる人間がクレームを付けていたそうです。そこはイタリア人が「赤ちゃんは泣くのが仕事だろう!」と怒って、その場は収まりました。これも個人主義の発揮でしょう? 違うんですよ。日本人が考えているのは個人主義ではなく、自己主張が好き勝手に出来ると思っている民族なんです。こればかりは他の日本人でも「みっともない!」とか「同じ日本人として情けない!」という声があったそうです。同じ日本人が怒ったら、明らかに逆ギレされたでしょうね。日本人は知り合いには気遣いが出来ても、他人への配慮が欠けている、とよく言われるそうです。これは私が勝手に妄想しているわけではなく、元官僚で経済学者の岸博幸氏がかつて述べていたセリフです。まして新型コロナウィルスで看護師の嫁まで差別されましたな。自分がうつっても病院に行かないのだろうか。
欧米の個人主義は本来は自己を発揮するのではなく、個人を作ることを世間が強要するのであって、例えば木の車のおもちゃを与えられたら、この車の色はお前が決めるんだよ、という意味なのです。日本人で自分で決められる人がどのぐらいいるだろうか。学校に入るのも「好きにしろ!」と言われて、例えば姉も私も中学受験経験があるけど、偏差値30ぐらいのバカ中学・高校(失礼!)を受験して親が喜ぶだろうか。その「好きにしろ!」とは日本では「空気を読め!」ということであって、一時期KY(空気読めない)が流行った(by 菅直人・元首相 旧民主党)のだが、ここではせっかく中学を受験するのに受験料が発生しているんだから、せめて最低でも偏差値60以上の中学・高校を狙わなければ親は安心できないでしょうね。それでも失敗する人もいて、ある意味、金の力だけではどうにもできませんな。
だからそれと同じで、今現在では50代~60代でも自己主張したい人たちで溢れていて、これを精神科医の片田珠美が「1億総ガキ社会」と呼んでいるんだけど、まさにそんな感じ。ぶっちゃけ、思ったことだ、意見だ、というのはあくまで自分の主張であって、相手の主張を聞き入れなくて良い、という意味ではない。だから宗教などで「自分を受け入れる」というのは少し違う意味だと思われるし、そういうことが書かれていると、そもそも私は「何かのカルト教団の教えかな?」と思ってしまっていただけない。実は世間では自分を受け入れるのではなく、、相手を受け入れるのである。そこは仏教もキリスト教も同じ。ただ仏教は「世間を中心に空気を読め!」という肯定論の世界であり、キリスト教は「神が見ているからやるな!」という否定形の世界観なのである。つまり、だから仏教では本来、死体は自然にお返しする無墓制なのであって、キリスト教やイスラム教では土葬でないと、最後の審判が出来なくなってしまうではないか。これが文化の違いでしょう。
鉄道はイギリスから、林業はドイツから、水道技術はオランダから、それぞれ学んできた。どれもがキリスト教でプロテスタントでもあることが分かるだろう。お金は生活に必要不可欠なのだけど、それと幸福感は決してイコールではないことが、後に明らかになってくるのであって、だから本書のタイトルも「幸福論」なのだ。日本はやはり八百万の神々で、私の好きな文明のひとつであるアイヌ文化みたいな考え方を少しでも取り戻せば、自然に近くなるかもしれない、という意味で本書は書かれていますね。結局、養老教授の言いたい結論だけはいつも通りです。能力でケンカして勝ち負けを決めるだけが人生ではない。私が思うに、やはり「男ならナントカ」と連発していた人ほど、のちに精神科に入っているパターンが少なくないです。仕事のストレス発散だか八つ当たりだか何だか分からんけど、学校教師や塾講師は自分の成績しか考えていないバカが多く、成績不良という意味でのバカはいて良いわけで、たとえ自然という意味合いを持つ子供に当たり散らしても、決して思い通りになんてなるわけがないです。こうやって、世の中は理不尽だよ、と教えるのが健全な教育だと思いますね。
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