鎌倉散策 | 養老孟司と鎌倉(医療から歴史ネタまで)

養老孟司と鎌倉(医療から歴史ネタまで)

養老孟司教授のネタを中心に医療や歴史や鎌倉散策の様子などを紹介

 

関東はようやく晴れるようになってきた。安定しないのがいかにもって感じで良い気がしない。家を出て渋谷に到着。今回は新しく出来た彼女と同行。そして山手線で品川へ。そして横須賀線に乗り換える。東海道線よりも遠回りして横浜へ行き、そして大船で東海道線と分かれるんだよね。鎌倉の前に北鎌倉ってのが手前にあるし明月院に近いけど今回はコース上、華麗にスルー。

 

 

まず円応寺。ここは仏像が怖い…。サッサと出よう。

 

 

次に建長寺へ。歩く間に「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」とブツブツ言う。鎌倉によく合っているではないか。彼女がウンウン聞いてくれる。私と11歳年下のきゃりーぱみゅぱみゅ似(自己申告)なら優しそうでいいでしょう。年齢の離れた方が違う見方もできるんです。自由だからと言って自分中心の見方だけで良い人間関係は築けない。精神科医の名越康文がそう言っている。しかし現実には自分さえ褒められれば良い、という考えはネット上にありふれている。どこかで立ち止まってコンビニおにぎり(持参済み)でも食べながら歩こう。

 

 

次に長寿寺を抜けて、かねてから行きたかった扇谷地区は海蔵寺へ。ここへ来ると養老孟司邸まですぐそこ。ここでも歩く間に「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくのごとし」とブツブツ言う。これをわざわざ暗記する高校の古典教師なんていないだろうなあ。

 

 

なぜかって、私は仏教徒でもヒンドゥー教徒でもキリスト教徒でもイスラム教徒でもユダヤ教徒でもない。どこにも所属していなければ神道も知る以外のことはなし。そうやって散々、当サイトで述べてきて「若いか老いてるか」とか「時代」とかで区分けされるのが嫌いだとあれだけ書き立てて来たんだけど、分からない人には分からないよね。いわゆる「馬鹿に付ける薬はない」と言ってたとえ「馬鹿に付ける薬があった」としても、シラケ世代(1950年代~1960年代生まれ)から自由(=自己中心主義)を唱えて来たんだから、持って生まれたその人の脳の構造上は致し方ない。自意識過剰になるかどうかは大脳の中にある新皮質と呼ばれる前頭前皮質に関係があるのだそうです。動物にはない機能。

 

悪口に聞こえるという人は、そもそも読んでいない人が悪いんだから。私は過去にもちゃんと書いていますよ。だから思想の問題だと。本来は年齢でも性別でも人種でも分けられない。日本では高らかに「世界に一つだけの花」「オンリーワン」を宣言するけど、それは自分に対するのみだよね。相手に対しては平然と区別(差別)する。それが死体であってもホトケと呼んで完全に区切る。自然という偉大な事象からするならば、はっきり分けることは出来ないと、そう申し上げたのです。だから生と死の切れ目も本来はない。これは私が捻くれているのではありません。本当のことを言っているんです。要するに人を相手にするのは面倒くさい。だから都市に人口集中する。

 

 

ふてぶてしい態度の「養老まる」でーっす!

 

 

そんな養老教徒(ってなんだ?)である私が鎌倉に足を運ぶ理由が分かるでしょう。つまり自然の方が語り掛けてくる。人間が勝手に喋ってくるとなぜかイライラしてくるでしょう。私が書いていることは、まるで機械が喋っているような感じがする人いませんか。それはテレビの見過ぎです。そこから宇宙人が乗っ取った、まであと一歩。死体は語る。人間は語れない。動物の習性と同じで、テレビの中では同じことを繰り返すだけ。ニュースを録画して100年後に見ても同じ。先日逮捕された電通の新聞局長だって、一旦出れば根掘り葉掘り調べられる。以前からだけど電通も博報堂も広告代理店は危険人物が多い。ニュースは現在発生していることではなく、過去に起こったことを繰り返すのみ。だから当サイトのニュース感想でもかなり後になって出ることも少なくないでしょう。この前のNHKニュース7だって10分間のニュースだけで、ラグビーの試合だってアナウンサーが張り切っていたもんね。ところでNHKのニュース7のアナウンサーだけでどれだけのスタッフがいると思う?

 

 

これだけいるのだ。登坂淳一元アナウンサーはバカなことをしましたね…。いくらコネで入ったって、テレビ局はまずなくならないから安泰なのに。養老孟司もかつては出まくりのNHKだが、テレビは神ではない。アンケート調査結果で出た傾向は10年も経てば必ず意味がなくなる。それは科学がウソである最大の証拠。人間の気持ちが変わる。いちいち傾向に当てはめてこれまでに何か良いことはありましたか?

 

 

その次に金宝山浄智寺へ。ここへ来る間も一緒に歩いてくれる相棒に「大丈夫か?」と声を掛ける。レディー・ファーストで寺巡りをする。けっこう歩くのは大変だけど、その間に寺があるからいいのだ。海蔵寺は少し離れているから、歩く距離が延びただけだ。ここだけの話だが、男性脳と女性脳では差がある。以下の図を見て欲しい(養老孟司の著書より)。

 

 

右脳が芸術分野で左脳が言語野である。男脳では芸術分野が広がってロマンがあり、天才型の芸術家が出やすい。女脳は男脳より閉じているため言語野の重なりが大きい。したがって現実派が大多数を占めており、おしゃべり好きが多くなる。本当の意味のおしゃべり好きというのは、つまりは聞き上手なのである。養老孟司いわく「男は黙ってサッポロビール」なのである(私はそのCMを知らない)。しかし『アイヌ文化で読み解く -ゴールデンカムイ-』の著者・中川裕も著書にて「この本を取ったみなさんは知らないかもしれません」と前置きしたうえで書いていた。調べたら1970年のCMらしい。どうりで私が知るわけがない。ウチの親もこの時はまだ学生で、母親に至っては小学生の時代・・・。とはいえ、私の彼女はよくよく話を聞いてくれる。こんなどーでもいい話に付き合ってくれて、一生を大切にしていくつもりだ。もう失敗はしない。それぐらいの学習能力は備わったと思っている。

 

 

そして今度はお待ちかね通称あじさい寺で有名な明月院だ。ここでオバサンたちがペチャクチャ喋りながらみんなでワイワイ見ているんだよ。正直言うと通行の邪魔だから、端にどいてくれませんかね。6月になるとこんなになる。何度も来たよ。飽きた…と言いたいところだが、やはり来る季節が違うと気持ちも変わるんだな。ホラッチョ浜口が同じことの繰り返しとか言うけど、違う視点で見れない奴に繰り返しも何もないでしょう。いつ来ても良いところですよ明月院は。人だかりで常にありふれています。

 

 

ホラ、こういうの日本史で習った覚えありませんか?見る角度によっても違うし、季節によっても違うし、またまた見る人に気持ちによっても変わるのです。今現在でいう演出です。お茶があるのは、ただお茶を飲むのではなく、体で感じ取ることを目的としている。つまり頭の中のうんちくより慣れろってことです。無意識を意識で説明しても仕方ない。だから取りあえず知りたい人は行ってみて、と言うしかない。

 

 

次に東慶寺に寄って有名な円覚寺に行く。鎌倉五山は制覇したけど、いつ見に来ても良い。それに今回は色気がある。黙ってついてきてくれることに感謝したい。どうしてもイヤならオイラ一人で行くとは言ったけど、一緒に来てくれた。やっぱり散策は良いらしい。

 

 

かなり大きいビッグな寺だね。なんだか広いんだよな。

 

 

さて北鎌倉駅まで来たぞ。歩くの面倒だから、もう一度、横須賀線で鎌倉駅に行くか。さすがに歩き疲れた。休むことはあるけど、ひっきりなしに電車が走っているわけでもないしね。取りあえずもう一度鎌倉駅に戻ってみる。

 

 

駅の近くに鎌倉市立御成小学校がある。そんなもん見てどうすんだって、だけど我が教祖(養老孟司)が卒業した小学校だから、どんなところだか一度見たかったのだ。なんだか趣のある小学校ですな。東京でもこんな小学校滅多にないよね。最近は再び内装だけを木で作るのが流行っているみたいだけど。江東区とか江戸川区とか、あのあたりは21世紀の東京オリンピックに向けて新しく生まれ変わっている。

 

 

無意識に生きたあの頃。ただ遊びに関しては意識的だったこともあるかもしれない。昆虫採集の方が楽しい。いちいち他人に忖度しなくて良い。なぜかというと、褒めるのが苦手な私が「大丈夫ですか?」「お大事に」と言うこと自体が世の中がひっくり返るぐらいのことかもしれません。ウチの両親は納得するはず。私だって仕事のストレスに人間関係の難しさに色々直面しているんです。褒められたら嬉しいけど、褒められっぱなしって幼稚園児だよね。いちいち「あーでなきゃいけないこーでなきゃいけない」とこだわる必要はない。

 

 

最後に鶴岡八幡宮だけどタクシーを使ってまえ。冗談抜きで疲れたんだよ。もう歩くのはショートカットするのみ。ガイジンとかいたりするけど、本当にここは気を付けなければならない場面ですね。以前に姉とショッピングで歩いていて、今日スリが出たので気を付けてください、と警察官に呼び止められたことがあった。そんなにオイラが怪しいって?いや、むしろ姉と歩いていたからか。私の場合はそういう時には最近で言うと「この前、女子トイレに拳銃を忘れた兵庫県警・女性巡査長がいたんだけど、風俗店でアルバイトしていたんですってね。そちらこそ気をつけてくださいね(日刊スポーツ)」とぐちゃぐちゃイヤミを言うタチだから姉が「ちょっとちょっと!」って焦るような感じだったんだけど、まあガイジンだけが悪いわけではないしね。日本人だって観光地でいろいろマナー違反しているんだろうが。

 

それで二人が幸せになれますように、とお願いしてきました。ようやく一人前のマトモな願掛けが出来たかな。さあ帰ろう。鎌倉駅から横須賀線で品川駅まで行って、そこから山手線で渋谷へ。それで家の前まで某私鉄に乗って到着。自宅マンションに着いた。一緒に住むようになると、寂しさが紛れるその反面、合わせなければならないことも出てくる。だから都市化すると少子化が起こるのは自然なのだ。

 

自宅マンションは親戚が経営する不動産のものだから、私の身の丈に合わない家族用のマンションに最初から住めることになったけどね。その代わり、しっかり貯金はしています。新築の家は私の東京の実家の敷地に作る予定なので、問題なし。ウチだと40坪ぐらいなんだけど、まだ30坪は空いているしね。我が家は住むところだけはしっかりしています。その分、中学受験のために旅行さえ連れて行ってくれなかったし、たまに行くところと言えば上野動物園ぐらいでした。家族に連れて行ってもらうのではなく、やはり自分で行くと何かを感じる。それで何が分かるんですか?とか、何が感じ取れるんですか?とか、何か変わるんですか?とかの質問にはお答えできません。それが分かっていたら、わざわざ足を運ぶ意味がないでしょう。、分からないから、面白いのではないでしょうか。だから過去よりも未来の方が面白いと思います。平成が終わって令和時代が始まる。平成時代の辛かった思いを振り返るよりも、未来をどれだけ良いモノにするかは自分次第ですけどね。