その友だちが、ある友だちのために
密かにやっている習慣があるのを聞きました。
それは、そのしてもらっている友だちの
さらに向こうにいる人のための優しさで、
たぶん、そのさらに向こうにいる人は、
それが自分に向けられた優しさだとは
気づかないんだろうと思います。
それは、
それぐらい
密やかで、
特別で、
でも、限りない優しさです。
密やかに積み上げられたその優しさは、
その相手は自分に向けられたものとは、
おそらく気づかないけど、
その優しい行動が、
その人を何気なく助けている場面が
たくさんあることは容易に想像できて、
聞いたそばから
とても温かい気持ちになりました。
私たちは満たされないことには敏感で、
思い通りにならないことには、
過剰に反応してしまいます。
うまくいかなくて悲しくなったり、
ほしい言葉がもらえなくて嘆いたり、
してもらえないことに不満をもらしたり。
そして、
こういう優しさにはなかなか気づかず、
不満にばかり目を向けて、
あたたかさには鈍感に生きてるなと、
改めて思いました。
今、不満に思うことがあるその一方で、
たくさんの優しさが、自分にもちゃんと
降り注いでいることを感じる感性を
たっぷり働かせたら、
もっともっと幸せなのになと、
改めて気づく出来事でした。
「人は見たいものしか見ないから」と、
以前、別の友だちが話していました。
たしかにまさにその通りで、
自分の都合のいいように解釈したがり、
見たいものだけ見て、
わかった気になって、
納得しています。
でも、
その見るものを、
自分を喜ばせるものにシフトしたら、
本当はたくさんたくさん
優しさをもらってることがわかって、
あたたかさの中で
生きていることを実感できて、
嬉しくなれるんだなぁと
思いました。
以前、読んだ本に、
「悲しみに溺れてるのは、
案外、居心地がいい。
だけど、自分で抜けださなくちゃ」と、
書いてありました。
文句言いの自分から早く抜け出して、
もっともっと、
大切なものを見る感性を
磨きたいと思えた一日でした。