私は中学3年間、
とても辛い思いをして過ごしました。
まだ「不登校」という言葉はなく、
学校を休む子は、
「登校拒否」と言われ、
かなり否定的に見られていました。
私の家は、そういうことには
たいそう厳しく、学校を休むことは
全く許されず、
辛くても学校に行き続けていました。
そんな時に、力になってくれたのが、
数少ない友と、国語の先生でした。
友だちには、
自分の身の上に起きていたことは、
あまり話せませんでした。
教室での嫌がらせやイジメは、
クラスの外にはあまり見えません。
だから、
友だちにはいじめられていることを
ハッキリ知られたくなくて、
ただ、他の場所で
仲良くしてほしかったから、
実情は相談さずにいました。
そんなある時、国語ノートの上に、
辛い気持ちをつぶやいたら、
成績をつけるために提出した後、
返ってきたノートに
返事を書いてくれたのが、
その先生でした。
私はそれ以来、
辛い気持ちを書き連ねるように
なりました。
あまりに行き詰まっている時は、
放課後
話を聞いてくれることもありました。
かなり、思い込みも強く、
感情の起伏も激しい私の話を
辛抱強く、ひたすらに聞いてくれて、
否定せずに落ち着かせてくれた先生。
大丈夫。
と、何回も言ってもらえました。
途中でその先生は、
わけあって学校に来なくなったから
どうしようかと思った時に、
手紙を書くようになりました。
毎日のように書き続けた手紙。
時折、返事をくれるところには、
やっぱり「大丈夫」の文字。
私は、その先生からもらった
あたたかさを、
今度は次世代のこどもたちに
伝えたいと、いつも思っています。
大丈夫。
あなたが生きていることは、
必ず、誰かを幸せにしてるよ。
今では、その呪文が私に効いていて、
生きていることを
迷わなくなりました。
私がしていることは、
きっと誰かを幸せにしている。
人って、その思いがあると、
生きていられるなぁ…
あの時、教えられた気持ちです。
今でも、時折、
その先生に手紙を書きます。
でも、もう悩みの手紙ではなく、
いまや、ただのラブレターです。
先生のおかげで、今でも元気です。
そのうちの何回かは、
本当は元気じゃない時もあるけど、
今では、悩みを
聞いてほしいのではなく、
私には、そうして、私を、
大丈夫って思ってくれる人がいる、
と、確かめたくて。
そして、その気持ちをくれた先生に、
感謝を伝えたくて。
それから、先生がくれた呪文を、
今は伝える側に回ったと、
報告したくて。
こどもの時に
もらったたくさんのあたたかさを、
私もまた、
次の世代に手渡していきたいです。
それが、その先生への
お礼返しだと思うから。
と、いうわけで、
今回、送った絵葉書が、コレ。