飛ぶ本こと山崎曜です。美術と手製本からスタートして、色々考えてます。

キュウリ用に妻が張ったネットの中に、見事に巣を張った蜘蛛。


「巣箱に鳥が入った!」的な感じ。


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暑いです。

私は、暑いのは好きです。

窓を開けて寝ると、朝晩に限っては、今はほんとにちょうどいい気温です。

窓を開けて寝ると、4時頃の、鳥(多分、ヒヨドリ)の第一声が聞こえることがあって、朝が始まったな、と思います。

その後、キジバト、ニイニイゼミ、ヒヨドリが、繰り返し鳴くので、それを聞いてじっと座っています。

キジバトの声ってほんとに不思議で面白くて味わい深い音だなー。
ヒヨドリはいくつかのパターンがあるね、
そして、ニイニイゼミは、芯に効くなーと感じてます。「岩に染み入る」セミの声、です。頭の芯にしみます。

目を閉じていると、声の遠い近いとか、空間を感じます。

zoom音読で近頃読んでいる『数学する人生』(岡潔、森田真生 編)の45〜46ページに

 

〈ものには生の一面と、死の一面がとがあります。いつかは必ず死ぬというのが死。他方、生まれたり滅したりしない、不生不滅というのが生です。この「生」を知りたければ、右の内耳に関心を集めることです。〉

っていう、明らかに矛盾を含んだ、謎と思える文があります。文ってどうとでも書けてしまうのだな、と思うと共に「右の内耳」という具体的な部位が示されているので、そこに注意をむけてみることは、できるだろうと思います。この人、どんな感覚を得て、これを書いたのだろう、と味わえる可能性を感じるので、興味を感じるのです。

右耳の内耳に関心を集める、を試しながら、キジバト、ヒヨドリ、ニイニイゼミを聞いていてみています。

そうやっていると、どこで、聞いているのか、というのは、かなりよくわからなくて、漠然とみみで聞いてる、くらいに感じています。ただ、ニイニイゼミの声が「返る」(徐々にゆっくりになって、瞬時息を継いで、再度高い声で鳴き出す)時、自分の息も少し太く体の中がまるくなるような影響を感じます。

目を閉じて聞いていると、空間の広がりを感じるのが、ここちいいです。

一方、自分の中の「位置覚」はかなり曖昧。

中村考宏先生の『指先から身体を整える』(春秋社)の、深部感覚のことを思い出しました。

動きを感じた時、その部位に注意を向けて、それを感じる、ということで「自分」の身体を、あるな、と感じることが必要だと思いました。