なんと十年ぶりに、新しいMacを買いました。
いままで放置の処理をやらねばらならず、なかなか、今したい作業にまで至らない状態です。
iPhoneで撮った写真をどう扱うかを決めないまま、とりあえずクラウドにいれてるうちに、Macは古くなってアクセスができない、などをはじめとして、万事がそんな調子で、使いにくいことこの上ないのに、なんとなーく、ここまで引っ張ってしまったです。
いろいろ考えると、また動けなくなるから、粛々と処理するだけです。
ちなみに、写真のクラウド利用はやめて、外付けHDDに移行することにしました。
でも、そもそも、写真の利用って私にとって何なのだろう。数年前から、コラージュ的に作品に使うようになったのではありますが。
まあ、実際に実物を拾っている、こまごましたもの(種とか錆びた何かとか、まあゴミ)と同じです。
ミノムシを捕まえて、布くずといっしょにケースに入れておくと、それで「巣」を作ります。子供の時にやったのをなんとなく思い出しました。
私のやってること、それに似ています。まわりにあるものなんでも使って、何かを作っています。
料理なども冷蔵庫にあるもので作ることがほとんど(妻との連携をより高める必要を感じています)。
整理と混沌。。。
やはり、定期的に取捨選択をしていかないと、現代生活はだめですね。それがあることで、生活が整う、と思うので、そもそもいつも整理しておくことと、もう少し短い期間でパソコンを替えていくようにしようと思いました。
遷宮、ということばを思い出しました。ウィキペディアを見ると伊勢神宮の式年遷宮は二十年に一度、立て替えられる、莫大な費用をかけて、なのですが、その起こりの企図ははっきりしないようです。
「それ自体が空虚」とか「白木的な美しさ」とか、が、「インターネットにアクセスするMac」と似ているような気がします。