羽二重餅


 大学卒業後神戸市に就職して2年が経った頃、浅間山荘事件のさなかのことです。職場で嫌なことがあり、傷心を癒すため故郷へ帰ってくると言い残して旅に出ました。当時、水上勉に傾倒しており、「越前竹人形」を読んだ後だったためか、自ずと足は福井に向いたのでした。


 そもそも当てのない旅で、荷物は時刻表だけという身軽さで、駅の近くの旅館にたどり着きました。勿論予約などない一人旅の客とあって、宿の人は怪訝な顔で応対します。


 5分も経った頃、二名の警察官がやって来ました。赤軍派の残党を追っているとのことで、身分証の提示を求められたのでした。運転免許がなく、作ってから一度も使ったことがない名刺を渡しました。結果、その日の寝ぐらは何とか確保できました。


 翌日、自分へのお土産として福井の銘菓「羽二重餅」を購入しました。宿でお茶受けに出た一切れのこの銘菓に、疲弊した心が癒されたからです。


 傷心旅から神戸に帰還し、翌日出勤して最初に職員から言われました。

「いつの間に、故郷が高知から福井に変わったのですか?福井県警から照会がありました」

仕方なく、自分が賞味予定の羽二重餅を、口止め料として当該職員に渡さざるを得なかったのでした。


 50年ぶりの福井甘泉堂の羽二重餅です。ふわふわで、舌の感触が優しく、微かな甘みが嬉しい。昔のことを思い出してしまいました。