我が家の場合は、性別が分かって決めました。
性別が分かる前から考えていて。


早くに決めていて得したことは、
・出産後の手続きですぐに子供の名前が書ける。
・妊娠中にお腹の子供に向かって名前で呼べる。
ってことでしょうかねぇ。


良い名前つけてあげたいですよね。
悩みますよね。
そりゃ名づけ辞典なんて本も出版されるわけだ。

最近では、当て字が多いので、わかりやすい読みやすい名前を探していました。

性別が分かる前だったので、
女の子だったら「○□」にしようねっと。

夫婦ともに同じ画数だったので、
子供も同じ画数にしようって決まっていて、
下の字は「□」を使いたいとなんとなく思っていたら。

「△□」天から降ってきました。
???
ひらめきというか突然浮かんだというか。
そんなことってありますよね。

そういうインスピレーションでついた名前はいいらしいです。
占い師さんがいってました(笑)


タローだ!タローだ!ってずっといってきたのに、
産まれてきた子の顔を見た瞬間、「イチローだ!」ってなることもあるらしいです。


性別、エコー画像では、タマタマが隠れてて見えない場合もあるので、
女といわれつつも男ということもあるそうですね。
育ての親がいます。





両親共働きだったため、近くに住む母の親戚のおじさんと、おばさんのところへ


赤子の頃から預けられてました。





父より父で、母より母で。


細かいことは気にしない感じの人たちだから、両親に言いにくいことも話していたり。











数年前、おじさんは脳梗塞となり、半身不自由で、意思疎通もうまくできないため老人ホームへ。


おばさんは介護に通いました。


田舎の老人ホームは遠く、車もないから自転車で一生懸命通っていました。


元気な時はあれだけ喧嘩していたのに、暑い夏も寒い冬も。








とある冬の日、おばさんは調子が悪いと近くの個人病院へ行くと・・・


その病院で倒れてしまったのです。





同じ脳梗塞でした。


その時、病院にいたから助かったものの、自宅にいたら亡くなっていただろうと。


入院した直後には、うちの母をわからないほど。


半身は動かず、ろれつも回らず。








入院して、ひと月たたない頃、おじさんは亡くなりました。


寂しかったのか、何かを感じ取ったのか・・・。








すぐにお見舞いに行けったため、その葬儀の時に病院へ、初めて会いました。


葬儀は息子さんたちで行い、おばさんは出席していませんでした。


その頃には人の顔もわかり、だいぶ回復したようだけど、


右側は動かせず、歩くこともできない状態。


ろれつが回らず、話そうとするも、意図したように話せず・・・


あ”-、う”-、ははっ(笑)


あ”-、う”-、ははっ(笑)


・・・


話そうとしては、話せなくて、笑ってみせ。


話そうとしては、話せなくて、笑ってみせ。


・・・


いつもおおらかだったおばさんは、


「こんな風になっちゃったよ・・・」っとおどけるかのように、ふるまってくれていました。





ずっと頼ってきた人の元気な姿から、こうなっている姿を見るとつらいものがあります。











葬儀後、しばらくして病院にお見舞いに行きました。


妊娠したことの報告とともに。





伝えると・・・


ボロボロ、ボロボロと。


涙をこぼして喜んでくれました。


「良かった、良かった」って・・・。


声もうまく出せず、不自由な身体で、いっぱい喜んでくれて・・・。


座っていたベッドには、ボトボトと、左手だけではうまくふけない涙が落ちます・・・。











しばらくしてから、息子さんが実家に届けてくれたものがありました。


渡してほしいと言われたと・・・。


それは・・・子供用の食器のセットでした。





自分が子供のころに使ってたものらしく、


大切にとっておいてくれていたようです。





息子さんもビックリしたようですが、


ここにあるはずだって言っていた場所にあったと。


脳梗塞で、いろんなことが「なんだっけ?」となっているのに。











今は、息子さんの住む関東の方の老人ホーム兼リハビリ施設へ入所しています。


簡単には会えなくなってしまいました。








我が子が産まれた後には、息子さんに画像を送りました。


それをおばさんに渡してくれたらしく病室で飾ってずっと見てくれているそうです。








「会いに行くから」ってリハビリ一生懸命頑張っていると。








転職のため仕事を辞めて時間ができたので、


逆にこちらから行く機会ができ、会いました。











驚かされたのは、こちらでした。


まだ車いすではあるものの、自分で移動できるし、


全然動かなかった右手もある程度は動き。


意識もはっきり、伝えたい言葉もたまに詰まるものの話せるし。








子供のことだけでなく、震災後も無事であったことに喜んでくれました。


子供を、動かせる左の方の腕に抱っこさせ・・・


・・・涙をこぼしてあやしてくれます。

















「元気でいる」それだけで誰かの力の源になることもあるんですよね。





「大切な人に会いたい。」


生きるって、そういうことかなって思います。


会うために生きていこうって思うというか。
まだ余震も続く中、震災後に皆がやることは、

・仕事が休みなのかどうか会社との連絡
・食料や生活用品、ガソリンを求めての買い出し
・水が出ないところは、水を求め、
 トイレ用の水などが足りなければ近くの川へくみに行ったり
・震災後の家の片づけ



妻が育児で避難所から動けなかったため、片づけのため一人アパートへ。
すぐには片付かず、何日も片づけに避難所からアパートへ帰りました。



アパートへ行く途中、近くのアパートのところに赤子を抱えた親子三人がいました。
掃除でもしているのかなっと。
とりあえず自分のアパートの片づけをしました。
終わって帰るとき、まだあの親子がいます。
晴れていたけど、もう午後だったため、声をかけました。

「避難しないんですか?」

「どこかあるんですか?」っと奥さんが聞いてきます。

「○○に避難しているので、うちも子供がいるんで一緒に行きませんか。」っと。


避難所に合流したその家族には合ったらしく、
子供もそれほど泣きませんでした。
その家族は、みんなにとても良くしてくれました。
大事な食料も買えたからって、みんなに分けてくれたりと。


しばらくして、旦那さんの会社が県外に避難させてくれるということで、
その家族は避難のため県外へ行くことになりました。

旦那さんは、
「お世話になりました。
 自分たちだけ先に安全なところへ行くのは後ろ髪ひかれますが、どうかご無事で。」


「いやいや、子供のために行けるならぜひ避難してください。
 私たちは大丈夫です。

 無事に戻ってきたら会いましょう。」

ドラマや映画ではないけれど、本当にそんなやり取りがありました。
明日をもしれない状況なのですから。


後日、落ち着いてから我が家もその家族も戻り、今でも仲良くしています。

妻が後から聞いた話ですが、
前日、別のところに避難していたけれど、
夜中までも子供が泣いて、周りに迷惑をかけてしまうからそこにいられなくて帰ってきたと。
ただ、帰ってきても部屋の壁は、ヒビも入り怖くていられない(一階だし)
そのまま玄関の外で寝ようか、途方に暮れていたところだった。
声をかけてもらって感謝していたと。

みな自分のことだけで精一杯です。
横になって寝れるスペースも確保できないほど、限られた分しかありません。
赤子の鳴き声がうるさく感じる人もいます。
多くの人がいる避難所では、安全とは別の問題もでるのです。

そんな状況でした。




すぐ隣のアパートにも同じぐらいの赤子のいる家族がいました。
「大丈夫ですか?夜の暖はとれていますか?
 避難所に一緒に行きませんか」
と声をかけました。
避難所の場所を聞くと、「今のところは何とかしますので、大丈夫です」と。
そして、うちのアパートの部屋番号も聞き、別れました。

後日、片づけのためにアパートに帰るとドアノブに袋がかかっています。
「県外の実家に避難します、声をかけて頂いてありがとうございました。
 少ないですが食べてください。」

と、電話番号の書かれたメモと食べ物の入った袋をアパートのドアノブにかけていってくれました。
すぐにお礼の電話をすると、
「何か必要なものが、あったら言ってください。
 オムツとか足りてますか。」

っと心配してくれました。
この家族も戻ってきてからは、仲良くさせてもらっています。



引っ越してから、近所の人なんて、まったく知りませんでした。


声をかけることが不審者だと思われる時代。



たくさん、声をかけました。
たくさん、声をかけてもらいました。



歩いて灯油缶を持ちながら買いに行っては、対面から灯油缶を持って歩いてきたお婆ちゃん、
お互いに「灯油買えましたか」と聞いたけど、無く、僕はもっと他の所まわってみますと言うと
そこに行くには、こっちが近道だからと裏道を教えてくれたお婆ちゃん、ありがとう。
あの後、灯油は買えたんですか?寒さをしのげたんですか?今でも元気ですか?


買い物に並んでいた時、赤子と荷物で手がいっぱいでしょっと並んでいる間カゴを持ってくれた方ありがとう。
介護士で、「夕方から働きに行かなきゃないんです」って。
今でも働けていますか?利用者の方々も無事ですか?


一瞬の交流もたくさんありました。
今となっては町ですれ違っても気づかないでしょう。



たくさん、声をかけました。
たくさん、声をかけてもらいました。
赤ちゃんの抱っこひもって何がいいんですか?

我が家では、最初、4WAYのにしました。
やっぱり首が座らないうちは、横抱き出来るやつじゃないとね。

ところがだんだん成長して、重くなってくると、
肩への負担が強くなりました。
長時間抱っこひもに入れて歩くときに大変です。

そのため、腰で支える以下に変えました。
ERGObaby (エルゴベビー)ベビーキャリア/スタンダード
http://www.ergobaby.jp/


ちちいく-エルゴ

画像はお借りしました。

肩と腰では、こんなにも違うのかというぐらい、全然違います。

マタニティフォト

裸のやつ?


とってきたのがこれ。

ちちいく-マタフォト


服着てましたかお
でも、これじゃ全然わかんなくない?



マタニティフォト撮ったお店では、
無料の曜日があるんだとか。

3枚入るアルバム。
うまくできてんなぁって思いました(笑)
出産後とか、お宮参りの写真とか、
またうちでとって入れてねってこと。

お宮参りの特別チケットだったかな。
とった人にはプレゼント。
でも、特別割引はされるけど実際は、写真代はかなりかかる・・・ガーン

結局、お宮参りの時には、衣装も無料レンタルできたので、
お店の思惑通り利用しましたが・・・
上級救命講習


ちちいく-救命


なにこれ?

wikipediaさんによると、
日本で消防本部によって行われている応急処置技能認定講習
兵庫県や川崎市などでは修了者を「市民救命士」と呼ぶ。


何をやるかというと・・・

観察要領、気道確保要領、人工呼吸法、心肺蘇生法(心臓マッサージ)、
AEDの使用法(電気ショック)、止血法、傷病者管理、外傷の手当、搬送法

上級では、子ども、乳児などの心肺蘇生法もやるため、
ホテルの従業員、保育士さんとかも受けます。
8時間かかります。


公衆の中では、実際に仙台のホテルの従業員さんが、倒れたお客さんに対してAEDで対処を行って、
完全回復になった話もありました。


最近は、いたるところに設置されているAED。

ドラマとか映画では、心臓が完全に停止した場合(心静止)に電気ショックを与えて、
復活させるっていうのが思い当るけど、

実際はそうではなくて、
心停止(心臓が完全に止まるわけではなく、けいれんしていて血液を遅れない)状態に対して、
電気ショック(除細動)を与えて止め、心臓の働きを戻すことを試みるというものです。

知らなかったです。


少年野球とかで、ボールが胸にあたって心停止になることとかもあるようですね。


たまひよwebによると
赤ちゃんは呼吸停止を起こしてから、心停止に至ることが多いため、
救急車が到着すらまでの間に心肺蘇生法が行われると、救命率がより高くなります。
万が一のとき、そばにいるママやパパが心肺蘇生法を知っているか否かで
赤ちゃんの命が救えるかどうかの分かれ目になることも。
ママは自治体などが主催する講習会などに積極的に参加して、正しい心肺蘇生法をマスターしておきましょう。



また搬送法では、阪神淡路大震災や新潟中越沖地震で実際に行われていた話も聞きました。

この上級救命講習は、たまたま予約のとれた2011年2月の末に取りました。

その後、まさか、今回の東日本大震災にあうなんて。

避難所では、幸いなことにAEDの対応とかが必要な人はいませんでしたが、
足をくじいた人には、三角きんで応急手当てをしてあげました。

テレビでも震災後から無事だった病院にはかなりの患者が運ばれ、
助かる命も助からないほどだったのを見ました。
いざという時のために、医療従事者ではなくても、できることがあります。

また、ボランティアとして作業する人もそういう資格があれば、
さらに心強いと想います。


絶対必要ではないけれど、持っていたほうがいいかなって思います。
使う場面がないことが一番だけど、身の回りの人、我が子に何かあった時に対応出来たらいいですね。


上級救命講習は良いものなので、できればもっと多く講習が受けられる日を作ってほしいですね。
妊娠したらもらえるマタニティマーク。


ちちいく-マタニティ

画像はお借りしましたペコリ

うちの奥様・・・無くしました(笑)

ひっかかると簡単に飛んでいっちゃいますよね。
出かけていたときに車に乗り込むときに引っ掛けて落としたのか、
探したけど、見つかりませんでした。


無くしたことってありませんか?


マタニティマーク無くしたらどこでもらえるんでしょう?


区役所に行って、正直に「無くしました」と言ったらもらえましたよ。


実際に、自分の妻がもらうまで、マタニティマークを知りませんでした。
ダメンズです。すみません・・・。

最近では、「小さく生んで大きく育てる」とか、服も目立たないのも多いから、
マタニティーマークがないと気づかないこともあるかも。
注意しないといけませんよね。
「子供のいる父親が無職になると影響があるもの」

保育所
 両親ともに働いていないと入れないし、
 入っていてもどちらかの親が仕事してないと辞めさせられちゃうんですね。

健康保険
 子供の健康保険は父親の健康保険煮付けている人は多いのではないですか?
 子供は病院にかかることも多いしね。 辞めたら、会社の健康保険の任意継続か、
 国民健康保険のどちらかに入らないといけません。
 任意継続した方が安くなることもありますので、役所にいって確認し比較しましょう。
 丁寧に教えてくれます。
 ただ、任意継続も今まで会社で半分払ってくれていたものがなくなるわけですから2倍になります。
 収入ないのにこれはきついですよね。

学資
 学資の契約時点で仕事に就いていないと原則ダメなようです。
 今回の震災で会社が被災し、仕事がなくなってしまった人がいたようですが、
 9月に転職の目途が立ったからということで契約できた人もいるとか。




東日本大震災は、今までの価値観を一変させましたが、
これからもっと変わっていくでしょう。

現状維持ということで、4月以降立ち上がるはずの新規事業が
ストップになっている企業が多いです。

仙台は支店経済というか、問題になっているどこかのように、
何故か容認されている大手の下請け・孫請け・曾孫請け・さらにその先経済というか。
そのため、大手が事業をストップして雇止めをすると、その下にどんどん影響があります。
(よくある話ですよね。社員は10名ほどなのに、それ以外全て下請けで1000名の会社とか)


私のいた会社も例外ではなく影響が出ました。
前々から辞めるつもりでいた会社だったのでこれを機に辞めました。
その後、すぐに、無事転職できました。
たまたま転職できましたが、未だに仕事についていない人も多いのです。


他にも、前に一緒に働いていたお子さんが二人いる方も仕事がなくなりました。
その方は、家族と話し合い離婚も考えたようです。
父親の収入がなくなると暮らしていけないから。

今は東京にいってます。
会社に属しての転勤ではなく、個人請負のような形で。
子供は、学校があるため転校はかわいそうだと奥さんと残り。
ここ半年から一年の間に次の仕事が見つからなければ、
持家も売り、転校させるのは申し訳ないが子供を連れて家族で九州の方へ行こうかと。


本当の影響が出るのは12月からだという人もいます。
倒産や雇止めが出てきて、どんどん悪くなると。

全国的に不景気だけど、少しでも良い今のうちに仕事を作り、人が働けるようにして
暮らしを守っていかなければいけないんじゃないかなって思います。


風が吹けば桶屋が儲かるではありませんが、
まわりまわって返ってくると思います。

例えば、被災地がダメだから東京に行こうってなったら。
東京の就職率が上がり。
さらには、仕事がないから満足に物も買わず、
そうすると、どんどん販売するお客さんがいなくなります。

逆に、被災地にも仕事が増える。
仕事が増え給料が出れば、無くなった必需品の多くを購入して消費につながる。


支援は本当にありがたかった。
ここからは自立できるようになっていかなければならないと思うのです。

里帰り出産をする方は、早め早めの行動を!

産休中に役所にいって、産後の手続きの必要書類をもらってきてくれました。
妻に感謝しています。

戸籍法第49条により
『出生の届出は、14日以内(国外で出生があったときは、3箇月以内)に
 これをしなければならない。』

各区役所によって違うと思うので、それぞれ自分の地域のところでちゃんと調べてくださいね。
出生届(届出人の印鑑、母子健康手帳、出生証明書)
乳幼児医療費助成(対象児童の健康保険証、保護者名義の預金通帳)
子ども手当(請求者の健康保険証の写し、請求者名義の預金通帳
出産育児一時金など(国民健康保険証、印鑑、母子健康手帳世帯主名義の預金通帳

夜間に受け付けてくれるのは出生届だけ?
それ以外は、役所がやっている時間しか受け付けられません。

手続きで注意しなければならないことがあります。
役所の手続きには、母子手帳が必要なものがあります。
ところが!退院時にも母子手帳って必要なんです!えっ


役所にいって続き後、すぐに速達で帰省先の実家に送り、
義母に病院まで届けてもらいました。

退院時期は、初産、経産、帝王切開それぞれで異なるし、
病院によっても異なるので注意が必要です。

”もしも我が家のように、里帰り出産、その後一か月検診までは里帰り、
出生届などは現住所という方は注意してください!”
結構キツキツです。

出産連絡票とかもはがきに出産について書いて出さなきゃないし。

出生届の後に、戸籍抄本(子供の分も入って)をとって、
会社にいっての健康保険の手続きとか、その会社の独自の手続き(戸籍抄本のコピー提出とか)もあるだろうし。
↑これ考えると名前って、早めに決めておくと良いのかもしれませんね。

というわけで、妻がいる間に役所でもらってきたものに鉛筆で下書きしました。メモ
もらってきた役所の紙には、出生届は○番窓口に提出してとか丁寧に書いてもらっていました。
そして、指さし確認・・・どんだけ信用ないんだか・・・しょぼん
ファイリングまでしてもらい、これをもっていけばなんとかなるという状態にしてもらってから、
里帰りしてもらいました。

おかげで午前中でうまく済みました。ニコニコ


そうそう、病院で書いてもらってそれを役所に届けなきゃない書類?会社の書類?
そんなのもありましたね。


友人は、昨年の収入がどうのこうので、奥さんの引っ越す前の役所に何かの書類をもらいにかなきゃなくて、
いったりきたりとか1日がかりだったようです。走る人


妻任せに、手続きなどの面倒なことはお願いしてしまっていたので、
父一人は大変でした。

習い事の先生の娘さんは、仙台から東へ行った石巻に嫁ぎました。
3月頭に二人目のお子さんを出産しました。

東日本大震災の時も石巻にいて。
先生の奥さんもお孫さんが産まれたことでお世話に一緒にいて。

一人目も合わせて四人は、高台にある小学校に避難に行きました。
ところが、昨今の不審者のことも考え校内への入校が厳しいため、
なんと!入れられないと追い返されました。
先生方も事態が把握できていなかったのでしょう。
何度も食い下がっても入れてくれず、
らちが明かないと別の場所へ避難しようと戻り始めていたとき、
途中で津波による水がきたのです。


津波の水は娘さんも奥さんも腰までつかった程でした。
娘さんが産まれたばかりの幼い下の子を抱きかかえていたため、
上の子供は奥さんが手を握っていました。
しかし、その水の勢いに外れてしまい流されてしまったのです。

「あぁっ」と思ったとき、後から来た男性の方が助けてくれたのです。


後からもどんどん人が避難してきて、事態を把握した学校は、避難させてくれました。
そして、とある先生が濡れた子供にと学校にあるもう帰った子のジャージを貸してくれたのです。


まだ余震が続いていた数日後、テレビで流れているニュースを見たときに、そのジャージの子の名前が犠牲者の名前にあったというのです・・・。


2011年3月11日14時46分18秒


低学年の子供たちは下校の時刻でした。
校庭で遊んでいた子もたくさんいたそうです。
帰った子供もたくさんいました。


亡くなった人がいて。
生かされた人がいて。
失った悲しみと。
無事だった喜びと。

震災の時刻までの生活とは一変しました。
それによって、大切な人達との絆を感じ、今後を生きる志も変わりました。