うちの子、あまり人見知りしません。


いろいろ要因はあるんだろうけど。


避難所にいたことが大きかったのかなと思います。
避難所にいたとき、みんなに抱っこしてもらいました。
それが逆に良かったのかなぁって思います。


たまたま良い人たちに囲まれた避難所だったからか、
赤ちゃんが笑うとみんな笑顔になって。
その前に、笑顔で大人は赤ちゃんに接するから。

赤ちゃんは、人の笑顔を真似して覚えていくらしいですね。

定禅寺ジャズフェスティバルを見に行ってきました。


震災の時刻に各バンドが「A(ラ)」の音を1分間奏でます。
会場にいるすべての人々が「A(ラ)」の音に耳を傾け、被災した方々へ「鎮魂・祈り・再生」を願う時を共有したいとおもいます。
「A(ラ)」の音は昔から、人間の心の中に深く響く音として、お寺の鐘の音や仏壇の鐘の音として鳴らされて来ました。
また、赤ちゃんがこの世に生まれ出たときの鳴き声も「A(ラ)」の音といわれています。
~ジャズフェスHPより


出生の時の鳴き声も「A(ラ)」の音なんですね。


ちちいく-jazz


震災から半年。
まだまだ復興には程遠く、やっと、雇用が問題であることに政治家はじめ、多くの人が目を向け始めました。
せっかく救われた命も雇用が無くて苦しむのも辛いなって思います。

車のガソリンいついれてますか?安いとき、土日に、半分以下になったら。

特に使う用事がなければ、妻が平日使っても、
土日に出かける時に、ガソリンを入れてから出かけていました。

あの日も次の日の土曜日にいれよう。そう思ってました。



東日本大震災:2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18秒

携帯の充電はすぐになくなりました。
そして電気も止まった。

自家発電の装置もないし。
車で携帯の充電ができるアダプターは前から持っていました。
しかし、最新のスマホにしたからかなかなか充電できません。


この状態がいつまで続くのか、それが問題です。
本当にいざという時のために、車のガソリンを残しておくか。


どこに行っても、並ぶので、活動はできるだけ歩いていきました。


もしも月曜だったなら、満タンになっていたかもしれない。
食材もそうです。我が家では土日にたくさん買いだめします。

なので金曜日にはそんなにありませんでした。

今では、ある程度の平日でも入れてある状態にしています。
沿岸部で活躍した自衛隊、消防、警察の人がいます。
鉄道を通すために頑張った人がいます。
ライフライン復旧を支えた人がいました。
メディアで情報を絶えず流してくれた人がいます。


病人はいないか。状況はどうか。
一度、赤十字から先生が看護師さんと来てくれました。

「救命救急の資格がありますが、何かすることありますか?」と尋ねると

「おーそれは何かあったら役に立つでしょう。
 ただ、今ここの環境(けがをしている人もいない)では、
 それよりも明るくいられる雰囲気作りをしてください。
 そして、身体を動かしてあげてください。
 避難しているとじっとしているため、動けなくなります。
 ラジオ体操とかいいですね。
 強制ではなくて、一緒にやりましょうよっと声をかけてください。」

誰かが持っていた携帯ラジオから、ラジオ体操みんなでやってましたね。




活躍しなくても、今の場を明るく保つこと。
それも大事なことかなって思いますね。
息子さん(結構な年齢の方)と一緒に避難していたお婆ちゃんがいました。

少ない救援物資を分けたり、みんなが持ち寄ったものを分けてご飯を食べていました。

「いいんだよ。」何やら配膳しているところで、そんな声が聞こえます。

息子さんが
「何もしてないから、他の人にあげて欲しいって。」

・・・
・・・


「たくさんあるから大丈夫だよ」
みんなで声をかけます。
実際に、全員にわたる分はあります。
次にいつ物資が入るかわからない状況。


動ける人達は、自分の家だけじゃなく避難所の食事、掃除、いろいろやりました。
それが、逆に動けないお婆ちゃんは「申し訳ない」と思われせたのでしょう。



集団生活では、我が儘な人がいてギクシャクすることもありますが、逆のこともあります。
被災しても差し入れができる人がいれば出来ない人が申し訳なく思い、
赤ちゃんがいれば、仕事が始まっている人に、夜泣くことで起こしてしまって申し訳なく思ってしまいます。



そのお婆ちゃんは、息子さんとともに、
家が復旧したあと、みんなよりちょっとだけ早く避難所を出て戻りました。
しばらくして、息子さんが避難所を訪れ、
お世話になったからと並んで買った大切な物資を、
「残った人達で食べてください」
と、わざわざ届けてくれました。






被災地三県の失業者7万人
今後も増えていくでしょう。
この数は、氷山の一角で。
宮城も同じく下請け構造になっており、末端が切られては
自宅待機になっているのが多いのです。
その人たちが暮らせなくなると・・・
さらにお金は回らなくなるでしょう。

働き手は皆仕事を求め、他県や、関東に移るでしょう。
今でも、年老いた親も妻も子供も残し既に行っている人たちがいます。

影響は、被災地だけでとどまらず、関東に出ていけば関東の人たちも就職・転職が厳しくなる。



安心

そこに仕事がある安心。
働いたらお金が入る安心。
食料を買ってもまたお店で買える安心。

それが必要なのかもしれませんね。




被災地は、東電のように何次受けという下請けじゃなく、
自分たちで仕事をうみだせる会社を作らなきゃ。


築地銀ダコが石巻に本社を移転して、
中国の工場から3分の1を石巻にうつし雇用をうもうとしてくれている。

震災の時、ほとんどのお店は被害を受けました。
やってくれていたお店は青空市場のように、中のものをすべて外に出して販売。
中に入ると危険だから。

スーパーなんかは入ってきた食料を袋詰めにし、1000円とか会計しやすい金額にして
1人1袋という感じで売ってました。


コンビニは、1人に1店員ついて、店員の数に合わせて2人ぐらいずつ順番に入るんです。
POSも使えないから電卓計算で。


少ない物資を求めて、長蛇の列。
子供のいない家庭や一人暮らしは、食料や生活雑貨を買えばいいですが、
子供のいる家庭は、その他に子供用品も買わなければなりません。


オムツは、Lサイズから無くなります。
枚数も少ないし。



歩いて歩いて・・・。
歩いて歩いて・・・。
歩いて歩いて・・・。


のどが渇いても、自動販売機もやっていません。
そんな買い出し。



3日後ぐらいから区役所に行くと救援物資のオムツを頂けたようです。
聞いた話によると・・・

初日、1枚!
2日目、3枚!
3日目、5枚!
4日目、8枚!

ちなみに、新生児から乳幼児は、10~20枚/日くらい使いますよね。
乳幼児・幼児だって、5~10枚/日くらい。
来た人全員に配りわたるように、今後にいつどれだけ入ってくるかなど
配慮したのでしょうが震災3日後にしてオムツ1枚って・・・



隣県の山形まで、貴重なガソリンを使って行っても、
何も買えずに戻ってきた家庭もあったそうです。


オムツ以外にも必要なものはあります。
・おしりふき
・母乳パッド


贅沢言うなよって感じですが、
ママさんたちには必要なもの。

イクメン(イクダン):育児を積極的に率先して行う男性、育児を楽しんで行う男性を意味する。

育児するメンズ、育児する男子


イケダン:「仕事をバリバリとこなしながらも家族を大切にする」
      「奥さんを手助けすることに躊躇しない」
      「外見もイケてる」
      「ファッションも手を抜かない」

イケてる旦那



・子供と遊ぶ
・子供を風呂に入れる
・泣いてる子供をあやす

・料理作る

・後片付け
・掃除
・買い物
・洗濯干す
・洗濯たたむ

みんなどこまでやるんですかね?



料理できません。
皿洗いとかはたまにりますけど・・・。
夜、子供が泣いたら、ごくまれに起きます。

子供と遊ぶけど、
お風呂は仕事が遅いと入れられません。


休みの日は、掃除とかはやるけど・・・。



テレビとかのイクメン、イケダンは結構やっていますよねぇ。

イクメン、イケダンほど遠いな・・・しょぼん

連絡手段。携帯に頼りすぎていたかな携帯

その携帯も、電気がなければ動きません・・・。


家族と会えるまで携帯のリコールしまくり、
携帯ブラウザからネットで情報を吸い出そうとして、
最新のスマホは、震災の夜にはバッテリーが切れました。


電波は通じなくても、まだ携帯の電池がある。
そんな人が携帯に登録してある番号を書きだしていました。


賢いなーって思いましたねえっ

災害時、公衆電話は無料で使えます。
しかし、番号が分からなければかけられません。

便利になりすぎた今、携帯に登録してあるからと妻の番号さえ覚えていません・・・しょぼん



あの時、親戚からは、何度も、そして連絡が取れるまでずっと電話していたと後から聞きました。
子供が生まれたばかりの我が家は、さらに心配だったことでしょう。




個人情報流出は困るけど、連絡手段は安全に
分けて保存しておかなければならないなと思いました。
うぃぃぃーん。
先生「今揺れましたよね?」えっ
僕「あっはい。」かお

また、うぃぃぃーん。
先生「また揺れましたよね?」えっ
僕「あっはい。」かお

昨日、歯医者に行ってました。
歯を削ってる最中ではなく、はめ込む銀歯を先生が削っている間にちょっとだけ揺れました。
歯を削っているときじゃなくてよかった・・・ガーン



震災の時、ビルの7階で、セキュリティルームから出てきたところでした。

最近は、機密保持などのため、セキュリティルームなどを電子錠で管理しているところも多いので、
電気が止まってしまった場合に、出れなくなっていたのか。



避難訓練の通り、非常階段で降りていきました。
荷物も持って。

結局、そこで解散になりました。
荷物を持ってきていない人は、今なら大丈夫って時に、いったんビルの中に戻りとってきていました。




妻は、国道4号線沿いにいて、かなりのスピードで走っていた車たちがピタッと止まるのを見たそうです。


のちに美容室に行った時に、美容師さんに聞くと、
カラーリングしていたお客さんがいたけど、流し方を教えて帰ってもらったということでした。
後日、落ち着いてから来てもらって、再度やってあげたそうです。


友人の女性店長は、扉が閉まるのを防ぐため身体で止めていたそうです。




仕事が始まってからは、地下鉄に乗っているときに、揺れ、止まったことがあります。




出産の話は、テレビや新聞で聞いたけど。



震災の時刻 」にも書きましたが、
あの時、それぞれに、それぞれの生活をしていました。


もしも、もう少し早く昼の時間だったなら、飲食店で火事になっていたかもしれない。
もしも、通勤時間だったなら電車、バス、車で交通事故が多発していたかもしれない。



あの日の夜は、上司は飲み会の予定だったそうです。
次の日に、我が家は沿岸部に行く予定でした。
震災ネタちょっと大変な話に感じてしまう人もいるかもしれません。すみません。
でも、これからどこでまたあのような大きなあるかわからないから。
もしかしたら、準備ができるとか、良い手が思いつく人もいると思うので。

ここ最近も、地震あるし・・・。



↓震災の避難しているときに初めて食べました。

「アルファ化米」

米飯を炊いた後に乾燥させたものである。近年では防災用品としてパッケージ化されたものも販売されている。
湯を注いで20分程度、水を注いでも1時間程度で食べられる。


初日は、↓の炊き出し用のアルファ米を救援物資として頂き避難所で分けることができました。

ちちいく-wakame
画像はお借りしました。




その後、しばらくは野菜などは届いたものの、アルファ米は届きませんでした・・・。


どこにもなかったのか、わからないけど、大きい避難所から順次、救援物資は回ったため、
小さかった避難所は後回しでした。


かろうじて、在庫を売っているお店に行っても、売っているものはカップラ、缶詰など・・・。



自分は何とかなっても妻は母乳をあげています。
母乳をあげると、すごくお腹がすくそうです。

「子供がおしっこしか出ていないのは、栄養が足りないからじゃないかな。
 母乳をあげるためには、米が一番なんだけど・・・。」っと。
アパートに米はあっても水は出ても、炊飯器が動かなければ、ご飯になりません。

近くの避難所では、救援物資の炊き出しを行っていたものの、
トン汁のようなもので。
(一応、避難している避難所があるので、そこはもらいに行きません。
 自宅避難している人ももらわなければならないし。)
たぶん米も手に入らなかったのもあるかもしれないし。



数日して、やっと回ってきたのは、近くの他の避難所で余ったからと。
ラップがなかったのか、紙にくるまったアルファ米の小さなおにぎりでした。
ご飯だからもちろんくっついています。

あの時は、くっついていても紙まで食べました。

それでもすごくすごく美味しかった。

「俺まだ大丈夫だから、俺の分あげるよ」っていっても、
「動いて何かとしてもらわないといけないからいいよ」っと受け取りません。

妻は、次の日にと半分残してとっておいています。

次の配給がいつくるかわからないので、
今、なのかギリギリになるまで我慢するか、悩むんです。


未曽有の震災。
電気の復旧、ガスの復旧、水道の復旧、ガソリンの復旧、お店の復旧。
どこまで進んでいて、どこで今までの生活に戻れるか。
見当もつきませんでした。






妻がおっぱいをあげて頑張ってくれたのでなんとかなったものの。
ミルクをあげていたら、それも大変だったと思います。

粉ミルクがなかったから?
そういうところもあったかもしれませんが。

電気が通っていないから電気ポッドが使えない、電子レンジも使えない。
ミルクをあげていた家庭では、夜に泣いたら、その都度、
近くの消防署まで行って調乳用のお湯をもらってきてたようです。
消防署ではお湯を配給してたみたいで。
もしもですが、あんなことがあったら消防署とかあたってみましょう。




落ち着いた頃には、一食分のアルファ米も回ってきました。
非常食用には準備しておくのは、いいと思います。

ちちいく-アルファ米