いらっしゃいませ



  ようこそ
  スローレへ ☕️






  
  続きを…



  鬱病になった私



  だからといって

  すぐに田舎に帰る訳ではなく
 
  精神科で薬をもらい

  服薬しながら

  いつものように

  職場へ




  すぐ直るかも



  
  またしても

  甘い考えを持っていました。





  鬱病になる前に

  誘われて計画していた

  インド旅行に行くためにも

  帰るわけにはいきません。


  
  休みを旅行に使うために

  夏休みを最後に入れていた私は

  他の人が休んで人手が少ない中

  ずっと働いていたのも

  オーバーヒートの原因だったかも

  しれません。


  

  インド

  親に凄く心配 反対されたけど

  
  旅行に行く理由は

  現実逃避と向上心

  と伝えて…



  やっぱり優しい父は

  許してくれました。




  ありがとう…。

 

 

  旅費は

  小さい頃からの

  お年玉コツコツ貯金を

  全額使って

 

 
  
  ガイド付きの安全な旅行
  
  職場の先輩と同期の友人との

  女子3人と 

  あとひとり    4人
  (知らない男性の方 自称医者)
  


  

  デリー 
  
  ジャイプル 

  ガンジス川

  タージ・マハル




  
  それは本当に



  その時の私には



  現実逃避でしかなかった。



  初めての海外旅行



  素晴らしい景色


  



  
  鬱病になったことなんて

  忘れて



  夜は飲みはじめたばかりの

  睡眠薬



  とても効いて

  私が 誰よりもぐっすり眠れて



  翌日も元気でいられました。


  
  最後の日



  内戦の影響で 飛行機が飛ばず

  空港近くでもう一泊

  



  一番喜んでいたのは 私です。

  






















  旅行には
 
  終わりがあります


  
  日常に戻ります





  職場の 飲み会で


  上司の表情を見たとき


  また 
  人の気持ちが怖くなる感じが
  戻りました。




  そうでした。




  私は鬱病でした。

  




 
  私が運がいいと思うのは


  いつも


  いい人が回りにいる





  職場は
  
  無理に田舎に帰そうとせず


  休みを増やして

  負担をすこしでも軽くして


  仕事をする提案を

  してくださいました。




  
  今思えば

  この時 きっと実家の方へ

  連絡されていたのではないかと…

  

  知らないのは私だけで。



  会社にも両親にも

  ガッツリ 

  サポートしてもらいながら

  


  未練たらしく

  東京に残ってたんですよね。  

  

  
  行くのを反対されていたから

  病気になって

  帰るなんて…



  なかなか本当の事は

  言えずにいました。
  
 



  

  冬の休みに里帰りして

  夕御飯を作る母の側で




  病気になったんだと




  やっとの思いで伝えて

  
  母は

  静かに

  『うん』って


  返事をしてくれた

  記憶があります。


  
 


  もう一度職場に戻って

  そこからは

  よく 覚えていませんが


  しばらくは 働いたのか

  どうなのか…


  
  最終的に

  母に迎えに来てもらいました。












   

  
              
  その後こちらの精神科で

  服薬 通院しながら  病院

  家で過ごしますが

  


  私は

  働かない自分が

  駄目な人間であると

  いつも自分を責めていました。

   

  もっと気持ちも

  ゆっくりすればいいのに

  心の中では

  焦るばかり…   馬




  薬がすこしづつ減って

  飲まなくてよくなったら

  仕事すると決めたものの

  

  家の手伝いもする気になれず

  当時のレンタルビデオ屋に

  通い

  引きこもっていました。

  



  母の手伝いもせず

  ただ 自分を責めていました。




  
  どこかで働かないと…


  焦りばかり




  そして

  どうしても

  職種にも こだわり…
  
  


  地元の印刷会社の

  広告物のデザイナー

  の面接を受けました。



  
  薬を飲みながら

  働く事は

  実家ならできると

  思っていました。



  
  でも 実際は

  そこに家族という

  人間関係が

  ある事を

  忘れていました。


  

  職場の人間関係に

  気を使うと

  

  食事とか

  どうでもよくなりました。

  痩せていきました。





  職場の人との付き合いを大切に

  実際若い人が多くて

  とても明るくて

  私を色々誘ってくれたりして

  一緒に休日 出かけたりして

  楽しかったんですよ。



  どこからかなぁ。

  遅くまで起きていたり

  職場の人と出掛けて

  帰りが遅くなったりしたら


  
  帰宅後 母から

  心配した事

  どこで何をしていたか

  祖父母からさんざん自分が

  責められた事など
  
  聞かされて

  
  
   
  イライラが…

  母も 私も

  イライラが膨らんでいきました。 



    
  そりゃ心配しますよ


  色々やらかしてますから


  信用もないですよね


  そんな自分が はらただしくて…


  自分にイライラしているのに…


  母から色々言われると


  母に対して 苛ついてしまい。



  どんどん


  どんどん


  人の気持ちに過敏になっていき




  
  ちょっとしたことで

  気持ちが高ぶって

  この世界が

  自分中心で動いていること

  凄く感動したり




  
  反面 

  なにか否定的な事を

  言われたりすると

  凄く落ち込んで

  涙が 
  
  ぼろぼろ流れたり




 
  普通ではなくなりました。





  きつくて

  家族と一緒にいることも

  気を使われるのも

  きつくて




  
  明らかにおかしい

  私の様子を見て

  父が

  私に黙って

  私の事を説明に

  職場に行ったようでした。
  


  ごめんなさい…

  


  
  少しの間しか働いていない私を

  最初の会社のように

  様子を見ながら働かせてくれるはずもなく

  


  
  私は職場の上司の言う通り

  退職届けを書いて

  提出しました。





  
  家でゆっくりできる

  状態ではなく





  ひとりになりたくて

  家族に気を使いたくなくて

  家族に気を使ってほしくなくて
  
  誰にも会いたくなくて



  
  家族と
  
  廊下ですれ違うことも

  しんどくて


  
  とにかく

  ひとりになりたい
  
  













   
  入院したい






  そう思いました。









  
  私は精神病院に入院しました。
  
  









  
  この時の事 







  私の娘が凄く壊れてしまって

  自傷したり

  私に飛びかかったり

  したのと似てる

  



  ああ…


  そうか。

  
  
  同じことだったんだ


  特別な事ではなかったんだ


  親に言われて嫌だったこと


  私も子供に言ってた


  一生懸命心配して


  見守る事ができなくなって


  言ってしまってた。


  ああ…


  そうか。



  
  
  二次障害になって
 
  思春期

  苦しんだよね


  


  娘も私も。

 






  今日は ここまで

 



  
 

  お付きあいしていただき

  ありがとうございました。 ラブラブ





  またのお越しを
              
  お待ちしております。