先日、学校から電話がかかって来て

何かと思って出たら、



「息子さんがお友達に追いかけられて泣いてしまって、念の為ご連絡しました。」



今どきは、

そんな些細なことで電話してくれるんだな。

先生って大変。



それにしても息子は幼い。



息子は学習に著しく困難があり、

多分学習障害だと思うのだけど、

発達そのものが、

平均より2年くらいゆっくりなんじゃ無いかと思う。



まだ保育園に通う6歳児が、

(しかも、のんびり屋さん)

2年生のクラスに紛れ込んで頑張ってる。



2年生に追いかけられて泣いちゃう保育園児。

そう思うと、なんかしっくり来る。



ちなみに、

双子の娘は学習に困難は無いけど、

やっぱり幼い。



自分の子ども時代を振り返ってみれば、

やっぱり私も周りと比べたら幼かったように思う。

勉強に困難は無かったけど。



とにかく鈍臭い子だった。

休み時間に席に座って妄想にふけり、

「暇じゃ無いの?」と聞かれるような子で、

小さい頃はいじめられがちで、

少し成長したら、いじめられることはなくても、

女子グループにうまく馴染めないことが多かった。



その鈍臭さが、

私をここまで運んできてくれたと思うから、

長期的に見たら、鈍臭いのも良いもんだな、

と思う。



もっと要領が良かったら、

男社会なんかにサッと見切り付けて、

子育てを優先して働けそうな職種に転職したり、

高収入の男性を捕まえて専業主婦になる道もあったかもしれない。



要領が良くて、機転が効く人ほど、

男社会で頑張ることをバカバカしさを早々に見抜き、

若くして男社会に見切りをつけてしまう。



専業主婦や、

若くして総合職から一般職に転職した人を見てると

本気出せば私よりよほど仕事出来そうだな、

と思う。



でも人生は長距離走だから、

長く走ってみないと見えない景色がある。



鈍臭く、見切りをつけれないことは

必ずしもマイナスではなく、

長く長く走り続ければ、

壮観な景色を見られたり、

日々走り続けた積み重ねの経験や体力が

自信になって、

新しい一歩を踏み出せたりする。



だから、鈍臭いというのも、

ひとつの才能だと思ってる。



周りより幼い我が子たちは、

そのゆっくりさによって、

彼らにしか見られない景色を見るのでしょう。



⭐︎余談⭐︎

私は子ども時代、短距離はダメだったけど、

長距離は学年上位だった。

人生においても長距離走に向いてて、

大器晩成だと勝手に思ってる。笑