ランチでさ、
ちょっとちゃんとしたイタリアンを食べたんですよ。
『ちゃんとした』っていうと高級店をイメージしちゃいますけど、そういうことじゃなくて、何か本場っぽい人が作ってる、くらいのニュアンスです。
作ってる人がちょいワルを地で行くような外国の人だし、
食後にエスプレッソが出てくるし。
そういうとこでパスタを食べた。
でさ、何か、前も同じようなお店で食べた時思ったんですけど、
アルデンテ、硬すぎない?
本場っぽいパスタを食べると、いつも思う。
麺が、想像より随分硬い。
1本、芯が残ってるって感じよりは、生煮え感があるというか、ポキポキ折れるような感じすらある。
パスタ自体が、何だか小麦っぽさを強く感じるんだけど、それは良いパスタを使ってるからなのか、単純に生っぽいから感じているか分からなくてモヤモヤする。
食べてるうちに予熱で火が通るかも、とか思うけど、全然そんなことならない。
最後まで硬い。
アルデンテ、硬い。
この、イタリアを受け入れられてない感じですよ。
その店が悪いってことじゃなくて、アルデンテって、そもそも硬いんだと思います。
それを受け入れる土壌が、私にはない、って感じなんだと思う。
「これが本場なんだが?」
と主張してくる伊達男に対して、全く太刀打ち出来てない。
硬い。
何か生っぽい感じがする。
もっと茹でてほしい。
でも、もっと茹でるのは、本当は違うって知ってるんだ。
生ではない。
きっと生ではない。
これが本場のアルデンテなんだ。
私は、本場という言葉に弱い。
本場を受け入れたい。
本場の魅力を理解し、享受したい。
本場の中華より、日本風にアレンジされた中華料理の方が美味しいと感じていても、
「やっぱり本場だよな。」
って言いたい。
それを美味しいと感じるレベルに達していないことがバレるのは嫌だ。
すんごい辛いジンジャエールを飲んでも、
「本格的なジンジャエール飲めるなんて最高だな!(辛ぇー!!)」
って言いたい。
自分のレベルの低さは隠し通したい。
本場のアルデンテを食べて、
「絶妙な茹で加減だね。」って言いたい。
「何か生っぽい。」とかじゃない。
そんな感想いらない。
私もちょいワルになりたい。
イタリアに溶け込む男になりたい。
だから私は、
「さも完璧な茹で加減だ。」
と言わんばかりの表情でパスタを食べた。
「生だよ。」の顔は、自分の一番深いところに封印した。
慣れてしまえばいい。
慣れさえすれば、私だって、イタリアの伊達男だ。
スマートに食べ終え、店員さんを呼ぶ。
「とっても美味しかったよ。」とともにウィンク。
これでもう店員さんはメロメロだ。
簡単じゃないか。
今こそ、私は生まれ変わるべき時なのかもしれない。
そしてパスタを食べ終わった私は、手を挙げて店員さんを呼んだ。
「食後のエスプレッソをカフェラテに変更してください。」
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