友達に本当の私を話す機会があって
私はマインドビンボーで
不平不満タラタラで
人に厳しくて人の間違いがゆるせない
人の揚げ足をとってばかり
などなど話したら
私の中の関西弁のおっちゃんの詳細はこち
うん 知ってたよ
それ前面に出てたよって言われて
えーーーー
マジーーーーー
隠してたよーバレないように
絶対に隠してたはずだよぉーーーーー
ウソだと言ってよ―――
またまた愕然と絶望
ガーーーーーーン
私、隠してますけどなにか?って
おすましして
ずーっと何年も何年も人前に出てたのー
今となっては笑えるけど
もう本当に恥ずかしかった
これ以上恥ずかしいことないってぐらい
恥ずかしかった
顔が真っ赤になったし
かなり動揺してた
関西弁のおっちゃんは私だった
現れたんじゃなくて私そのもので
それをさらけ出してた
こんなのは人にバレたら絶対に嫌われるし
信用もなくなるからって隠してたつもりが・・・
あますところなく全出ししてたー
ぎゃーーーー
恥ずかしいったらありゃしない
同時にその友達に
こんな私なのに嫌わないでいてくれて
ありがとうと感謝の気持ちが出てきたよ
恥ずかしい自分を認めて
これは私なんだと受け入れたら
関西弁のおっちゃんが前面に出てこなくなった
じゃ どうして現れるようになったのか?
前提に 人は陰と陽の両極があることと
多面的だということを理解していないと進まないけど
私がノートを通じて自分と対話するようになったら
関西弁のおっちゃんに圧倒されて隠されていた
私が出てきたってこと
関西弁のおっちゃんが陰だとすると
隠されていた陽の自分が出てきた
始めはノートの書き方も解らなかったけど
試行錯誤しているうちに
心の中に出てきた言葉を一語一句書き出す
私流の書き方が定着して
時間を費やして
丁寧に丁寧に自分と対話した
両親への悔しさ、憎しみ
人への恨みつらみ
思い込み
ルール
自分が自分に科しているワナ
子供のころに受けた悔しさや悲しみ
本当はこう言いたかった、言われたかった
などなど
大泣きすることもあれば
怒りに任せて書きなぐる事もある
取りこぼさず、目をそらさずしっかり向き合った
それでもそこに寄り添って
たっぷり時間を自分に使って気が済むまで対話した
本当にここだけは自負がある
これからも続けていく
どんなステージにいたとしても
私が私である限り両極も存在する
一度やったら全て終わる 解決すると
勘違いしてる人もいるけど
ある
ここまで続けてこられたのは
自分のマインドの変化を体感しているから
変われるよ
早い遅いなんてない
変わりたいと思ったら必ず変われる
せめてあと10年早く気が付いていたらなぁ な~んて思うけど
今が最善のタイミングなんだと思う