数日前から、さくらんぼが食べたくて仕方がありませんでした。


私は大昔に山形に住んでいたことがあるのですが、当時は旬の時期になると、どこからとも無くさくらんぼのおすそ分けを頂いていました。
しかも大量に頂くので自分からセーブしないとずっと毎日下痢になるほど、さくらんぼに囲まれていました。



今思えば本当に贅沢な経験でした。あの頃周りに溢れていたさくらんぼが、今はそんな簡単に食べられない代物になりました。



なぜかここ数日は「さくらんぼが食べたいーー!!」と、さくらんぼ欲が爆発!
山形に住んでいた頃を思い出しては、ああ何も気にせず大量のさくらんぼを頬張りたい!!!と、妄想に胸を膨らましていたのでした。



すると、そんな願望が爆発して今日こそもう我慢できないぞ!という日に、スーパーの入口すぐのコーナーでさくらんぼが大売出しされてましたあんぐり


​本日のみ 特別大特価!

1パック  599円→399円!
(山形県東根産)


ええーー!!
びっくりして、秒で手に取りました。


東北(山形以外)に住んでいた時ですら、山形県産でこんなお手ごろな値段見たことありません。
ちなみに、私はケチなので599円だったら買おうと思わなかったと思います。






なんという神様のお導き…。
ふと先日ブログで触れた、「引き寄せの法則」を思い出して、ぞくぞくっとしたのでした。


不安(本当に引き寄せてしまった…!?)



補足ですが、山形県産東根市はさくらんぼで有名な地域です。さくらんぼの生産量は日本一!
さくらんぼ東根駅という名の駅があったり、東根のJAは「JAさくらんぼひがしね」という名前です。さくらんぼの時期になると、「さくらんぼマラソン」という有名なイベントも行われます。(走りながらさくらんぼが食べられます)



その晩、さくらんぼを食べました。若かったあの頃の思い出をかみしめながら悲しいキラキラ
(私はもうあの頃のように若くないのね…。)


余談ですが、このパック。
ただパチッとしめるだけじゃなくて、スライドさせて開閉するタイプでした。こういうの初めてかもです!







さくらんぼ






後半は、定期的にバズっている

「専業主婦vsワーママ論争」

について。



サブタイトル

なぜ人はマウントを取りたがるのか?



最近、こんな内容がX(旧Twitter)で話題になっていました。

看板持ち「せっかく専業主婦になったから、沢山子供のために時間を作った。あんなところやこんなところに行き、そんな体験をした思い出があって懐かしいな。」(詳しい内容は伏せておきます)


という、清く美しい内容の思い出ポストが投稿されたところ…


ちょっと不満「私はワーママだけどそれ全部してます」
真顔「私なんて仕事しながらその体験+海外旅行まで連れて行ってます」

などと、マウントととれるRTが付きまくったという内容です。


一昔前と違ってそれだけでは終わらず、
『わざわざマウントをとるワーママ』達に対する批判も相次ぎ、争いが争いを産む展開となってしまってしまいました。




さて、ここでなぜXではこのようなマウントRTが大量生産されてしまうのか。

X(旧Twitter)の仕様も関係しているのでしょうが…
(すぐオススメ欄にこういったポストが出てきて目に付いてしまう仕様)


マウントを取りたがる理由を、素直にYahooで検索してみました↓






なるほど、誰かに認めて欲しいのね悲しい
ここでまた、あの本の内容を思い出しました。


この本の中で、

・人は判断したがるもの
・判断するのは気持ちが良いもの
・比較して、安心したがる

という内容がありました。


マウントを取る側の人には心身の余裕がないのかもしれません。
自分の気持ちひとつでは今の状況を保つことが困難で、誰かと比較して「自分はあの人より頑張ってる!」と判断することで自分を鼓舞して今を保っているのかもしれません。


そんな時に、「自分より頑張れてない」ように見える人が自分より幸せそうに見えるのを認められない。私はこんなに頑張ってるのに。


「私はあなたよりこんなに頑張ってますけど!」
顔も知らない人に、その人の背景も知らないくせに言ってしまうのでしょう。


もし、自分が仕事を楽しんでいて、それでも心身に余裕があって、子供にも寂しい思いはさせてないと感じているのなら…わざわざ噛みつかない気がしますよね。だって、十分満たされているんだもの。




実は私もかつては、このマウントをとる側の人でした。生まれ育った家庭が四六時中マウントをとる家でした。

私の両親は、いつでも私に対して「そんなことも出来ないの?私が子供の頃は簡単にできたのに」「お友達はみんな出来てるのに、どうして頑張れないの?」「97点しか取れなかったのはなぜ?100点まで3点も足りないけど」などの会話が日常でした。

そんな私は、両親の価値観を自身にも確立してしまい、幼い頃から日常的にマウントを取ってました。


社会人になってからも、看護師の世界もマウント合戦の宝庫でした。女の世界ですからね笑

風邪で休んでる人に対しても
「私の頃は座薬入れて這ってでも出勤したのに」
というきつい言葉。

子供が入院することになり、しばらく休みたいという人にも
「皆休めてないんだから、あなたも他の家族に休んでもらって出勤しなさい」
と言う辛烈な言葉。
(どちらにせよ、誰のことも労わらないと言う悲しさ)


当時は、この会話をなんとも思わず聞いてました。
皆が当たり前に、夜勤で一睡も出来ずに急患対応したり、夜勤明けも休みの日も係活動や勉強会、地域医療との打ち合わせなどで出勤していました。

心身の余裕が無くなり、自分の痛みにも、他人の痛みにも鈍感になり、他人を思いやる感覚が無くなっていたと思います。


皆が当たり前にやっている世界で、自分だけやらないのはありえない。同じように、あるいはそれ以上頑張って安心したい。
こうやってマウント族の心を養ってしまっていた気がします。



今の私は色んな立場を経験しました。
専業主婦、パート主婦、転勤、不妊治療。
自分では思いもしなかった経験ですが、いわゆるレールに乗ったままの人生では経験できなかった事が沢山ありました。


それに、その経験の中で出会った人達は皆それぞれ努力しているし、幸せも苦労も感じているし、誰が上とか下とかなくて、尊敬できる価値観をお持ちの方が沢山いました。


色んな世界を見て、認識して、価値を知ることは大事だなと実感しました。
そして何よりも、自分が進む道を納得して決めること。人のせいにしないこと、人を巻き込まないこと。それが心穏やかに過ごすために必要な事だなと思いました。



病気や不運で仕方がなく苦労している人は沢山いると思います。その人たちにも当てはまる話だとは思っていません。
誰にでも複雑な背景があったり、人知れず苦労をしていることはあるので、自分で決められることばかりではありません。それを想像出来れば尚更、私の方が凄い!とは言えないはずですよね。


1人でも多くの人が穏やかな対応をとれる優しい世界になればいいなと願いながら、今日のブログを終わりたいと思います。


今日もお付き合い頂きありがとうございましたお願い