差出人 :

井川りかこ <riri_aab6692@hotmail.co.jp>
送信日時 : 2005年8月7日 1:37:26
宛先 : diverenter@hotmail.com
件名 : 私のアドレスにメールした記憶はありますか?
私のメールボックスにエクセルらしき添付ファイル付きでメールが来てたんですが…どん
なご用件でしょうか?
送信者アドレスが私の知らないアドレスだったので、何か間違いかと思って。

添付ファイルの内容はもしウィルスだったらと思って開いてません。

4458_sumi_15.xlsと言う名前のファイルです。

もし重要な書類だったらと思いメールしたんですが…。
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井川 りかこ
riri_aab6692@hotmail.co.jp
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と、言う、メールが届くみたいですが、最近離婚し、実家に帰ったりとか、なさそうで、ありそうな話をしてくるそです。直接被害は、まだ聞いてませんが、10通近くメールしたら、出会い系の話になるみたいです。

piazza.s.marco

qui e Piazza San marco di venizia in Italia


tante aguri!!!

vi giuro che sono ferice da avete invitato a vostora matrimorio.


un amico del cuore digli Voi Naoki

結婚します。


この数ヶ月間の沈黙は、すべてその為でした。


最愛の人に出会うことができたからです。


その女性は、誰よりも本当の優しさを知っています。

かけがえのない人です。




Everything gonna be all right.




10月の挙式に向けて、忙しい日々が続いています。


彼女が幸せになることだけを願って、頑張ります。




平、Yちゃん、二人がいてくれたおかげで、ここまで来ることができました。


ありがとう。

Beauty and the Beast

たかゆき@工場長代理から、近々、大切な発表が御座います。uchujin

イタリアーギリシャ間の船上にて

pulizia

↑新しい工房で、前の人が残したごみ等を処理中。

結局仕方なく


切符を購入。仕事後、急遽荷物をまとめ、友人の手伝いもあり、

夜中の1時から荷物の運び出し、4時近くに終了。

そのまま、仮眠を取り、空港へ。



不安の10時間


小さな空港、フィレンツェのアメリゴ・ベスプッチ空港から、

ミラノ・マルペンサ空港でトランジット。


その飛行機中では、お見舞いに行くだけなのに、何故か不安が。

元気な祖父の不調な姿を思い浮かべてしまう。



成田に到着


僕は走りました。


1番早い特急電車に飛び乗り、

車内から、自宅へ電話。


平 『今、成田、着いたよ』

   

      祖父の家、母が電話に出る。


  『今、おじいさん帰宅するとこだよ』

 

 『あー、良かったね』


 母 『間に合わなかった』


平 『うぅん?!』


 母 『おじいちゃん、今、みんなに連れられ、運ばれて帰宅するとこなのよ』

 

平 『・・・・・・・・・』

 

平 『ごめん・・・・』


 母 『おじいちゃん、最後までお前の名前読んでたよ』

 

 母 『飛行機の到着の1時間前に、病院から連絡があって』

 

 母 『行ったら・・・・・』

平 『・・・』

俺は怒った。


何処からともなく、湧き上がる悔しさに。


特急電車の中で俺は発狂した。








間に合わなかった・・・・・。

La bottega

cosata san giorgioの部屋(引っ越してきた時の風景)

 (まさか、不本意に追い出されるとは)荷物多すぎ??

余 談


その後の日本へ   病院まで、6000マイル


日本で、養父であり、実の祖父が、倒れ、入院の知らせを聞き、

病院への見舞いの為、日本から連絡をもらった次の日、

工房に10日間の休暇をもらい、飛行機会社に電話して

即、飛行機を手配。金曜日に、月曜のチケットを取ろうとしたが、

月曜、日曜も、あいにくの満席。

翌日の土曜日の早朝だったらあると言う。

土曜日は、あいにく、僕の家の急な引越しにかかっていたのだ。



余談・緊急引越し


大家の勘違いで、家を、月終わり1週間前に出て行け宣言を食らったのだ。

頭が狂ってしまい、その月の初めに、

大家のオフィスの引越しを手伝わなかった、その家で出会った

イタリア人友達も、僕の為に説得してくれたが、駄目だった。

彼と僕は、シェアできる家を探したが、難しく、かれは、町外れ、

僕は、町中央のピッティー宮殿の前を選んだ。


明日へ・・・。

La bottega

↑Isola d'ELBA(エルバ島)の港です

 携帯のカメラで撮っているので画像が・・・。

 

どっぷり漬かって損は無いと思います。

 僕は、高校生と社会人の感覚はかなり違うと思うので、

』、思ったのであれば、今、やってみるのもいいと思います。


僕は、文系短大を卒業した当時、なんとなく就職し、

某、有名テーマパークで、楽しく働いていました。

 けど、やっぱり、以前から興味があった、デザインがやりたくて、

                            退職しイタリアへ行きました。



何でイタリアか・・・そんなことは、考えませんでした。


 行きたい→行く→戻る→本物を知る。


     ただそれだけです。


そうして、向こうでのひもじく楽しい生活の中、お金に困り、仕事を探しました。

その後、友人(前、私のフレスコ画の先生)に家具の修復なんてどうかと言われ、

家具のことを、何も分からないが、何故か迷わず、その仕事(弟子入り)をすることにしました。



昨日は、こちらのブログが、メンテナンス中で更新できませんでした。

申し訳ありません。

La bottega

↑OMAGGIOに向かう途中↑

ぶどう畑では黒人さんの姿も

■仕事での面白いお話


  沢山ありすぎた分、辛いことも沢山ありました。
 師匠がアンティーク市に出店してたので、

                 そこで数々の経験を獲ました。
 う~ん。

 面白かったのは、工房の邪魔な家具を見つけると、

 師匠が急にその家具を掴み、放り投げたことがあって、

 そのあと、家具は、案の定壊れ、悲しんでいました。

      おいおい・・・・。

 あとは、アンティークだから、正確過ぎる仕事をするなとか・・・・。

クローゼットが、手前に倒れ曲がってる、つまり四隅の足の長さが違うのだ。

      これって、兄貴OKですか!?って感じです。

言いたい事言って、仕事をしていたので、ストレスはありませんでした。

仕事後は、アパートのシュアで出会った、友達と色々な事を語ったり、

 夕食したり。昔の日本みたいな感じですね。

一杯やったり、立ち飲みのカフェ(バール)で、語り合ったり。

カフェは、ちなみに一杯は、80セント(105円)。

こんな毎日を過ごしてました。。

(そう言えば、ドイツに留学中のこのページに記入いただいた女の子と、

     先日お会いしたのですが、やはり、色々迷いがあると語ってくれました)

背中は、誰かに押される前に、押し易い様にしておかないとね。

       そしたら必ず、誰かが、あなたの背中を押してくれるよ!

La bottega

↑ミオ・マエストロ(師匠)の家の別荘の庭↑

 場所は、pontassieve、Rufinaの先

     OMAGGIO

      

日本で、学ぶ


 幾つか方法は、あると思いますが、

例えば、家具を学校で学ぶのであれば、

家具の学校が、飛騨高山にあるのを聞いたことがあります。


 イタリア・日本で、絵画・家具・磁器修復を学んで居る方に何人か、

お会いしたことがあります。

 日本人も、そのほかの国の人も、本当に真面目で、

働く上と学ぶ上での、苦しさ・辛さを、

後の達成感という『楽しみ』のスパイスとして、仕事や、

                    学んでた方に何人か出会いました。


  そのなかで、日本の修復の学校の生徒さんで、学校のプログラムで、

 イタリアでの修復学校履修後、そのイタリアの修復学校が、修復工房を

 紹介してくれるプログラムなのに、紹介してもらってない人が、居ました。

 日本でも学べて、本場の現場で学ぶためのお金を払ったのに・・・。

     (後に僕の師匠に、工房を紹介してもらっていました)

修復士

 それは、僕にとって、家具の価値観と、

 生活の中での、行動を変えてくれた、仕事です。


 仕事=遊び感覚 遊び=仕事感覚


 が、僕の中での、生きる力を与えてくれる、

       理想的な感覚です。



 日本にも修復士の方が何人も居ますが、残念ながら、

     まだ、名匠な修復士で有名な方に、お会いしたことがありません。


これからの時代、ただあればいい家具の時代は、終わりつつある

    と、

  僕は、考えてます。



 一つのものにアンティークと限らず、愛着をもって、

修復、改装といったことをするひとが、今以上に、

増えると思ってます。