↑cosata san giorgioの部屋(引っ越してきた時の風景)↑
(まさか、不本意に追い出されるとは)荷物多すぎ??
余 談
その後の日本へ 病院まで、6000マイル
日本で、養父であり、実の祖父が、倒れ、入院の知らせを聞き、
病院への見舞いの為、日本から連絡をもらった次の日、
工房に10日間の休暇をもらい、飛行機会社に電話して
即、飛行機を手配。金曜日に、月曜のチケットを取ろうとしたが、
月曜、日曜も、あいにくの満席。
翌日の土曜日の早朝だったらあると言う。
土曜日は、あいにく、僕の家の急な引越しにかかっていたのだ。
余談・緊急引越し
大家の勘違いで、家を、月終わり1週間前に出て行け宣言を食らったのだ。
頭が狂ってしまい、その月の初めに、
大家のオフィスの引越しを手伝わなかった、その家で出会った
イタリア人友達も、僕の為に説得してくれたが、駄目だった。
彼と僕は、シェアできる家を探したが、難しく、かれは、町外れ、
僕は、町中央のピッティー宮殿の前を選んだ。
明日へ・・・。