やあ~重たいタイトルにしてしまった・・・
『生きること』 すっごく当たり前で、すっごく大変なこと。
当たり前のことを続けることというのは、案外大変。
生きることが当たり前なので、当たり前に反することは、もちろん許されないと感じる。
『生きること』というのは、色んな『死』が混ざり合っている。つまり、小さな死があり、再生する連続なのだと思う。
新しい自分に毎日出会い、しっかり受け止めることをするためには、
小さな『死』にしっかり、お別れする必要がある。
小さい頃どんな自分だったのだろうか?
弱い自分、自己主張できない自分、逃げてばかりいた自分、頑固な自分、強情な自分、ヒステリーな自分、
素直になれない自分、依存が強い自分、甘えん坊の自分、冷静な自分 ・・・色んな自分に気づくこと。
そんな自分に気づいてあげることが、お別れする一つの手段なのかもしれない。
案外本当の自分ということに見ないで生きているのかもしれない。
それは、自分自身をシカトしているのかもしれない。
自分自身生きていくことを感じるのならば、自分自身の感情に気づいてあげるだけで、
新しい気づけた自分が存在する。そのときに、色々新しい経験や価値観を得れることになるのかもしれない。
きっと、自分自身を知らずに(認めず)にいたならば、気づかないことなのかもしれない。
時たま、色々な場面で、弱さを認めている人、
弱い(?)人ほど強く見えることがあります。
『どうしてこの人は自分の弱さ、恥ずかしさ、自分が迷惑をかけてきたことを、
こんなに自分の事を語れるのだろう?』って思うことがあり、
そんな気持ちと同時に、「この人って大きい人だな」って感心してしまいます。
自分の弱さを知ることで、本当の強さを手に入れたのかもしれない。
『生きること』って自分自身に気づき、ちゃんと色んな自分とお別れが出来することなのかもしれない。